大正時代に和歌山県那智勝浦町の鉱山で採掘作業をしていた労働者ら29人が名を連ねた文書が、串本町大島の樫尾幸代さん(83)宅で見つかった。新人作業員の身分を保証する免状のような書き物とみられ、文化財関係者らは「鉱山の歴史を知る上で貴重な資料」と話している。


 樫尾さんの夫、貫一さん(1996年に69歳で死亡)の父である壽雄さん(31年に39歳で死亡)の遺品で、仏壇の引き出しにしまわれていた。

 文書は縦19センチ、長さ2・5メートルで、小さくたたまれ、文字がはっきり分かり、きれいな状態だった。題は「取立目録」。内容は要約すると「坑夫(炭鉱作業員)の仕事は国が栄える基礎を作っている。法令に基づいて活動し、鉱業の繁栄に資するべし」「名誉を毀損(きそん)することなく、恩義を忘れることなく、職務を怠慢にすることなく、堅く順守するものなり」などとなっている。

 29人の名前には、「職親」「兄分」「子分」「浪人立會」「世話人」などの肩書のほか、「紀伊」「伊予」「岩見」「長州」「下野」などの出身地が添えられている。

 29人はかつて那智勝浦町井関にあった高原鉱山の労働者とみられ「和歌山県東牟婁郡那智村井関高原鉱山 坑夫一同」と書かれている。日付は「大正六年十二月三十日」。

 地域の近現代史を研究する和歌山工業高等専門学校(御坊市)の重松正史教授によると「子分を作業員として取り立てるという免状のようなもの。ほかの鉱山に行っても身分証明書になったのだろう。当時はどこの鉱山でも同じようなものを発行していたのではないかと思う」という。

 文書には、子分の肩書で樫尾壽雄さんの名も入っている。