ちひろさんは、不思議な人だ。ナンバーワン風俗嬢だった過去を一切隠さず、町の弁当屋で看板娘として働いている。

周りのオバサン連中からは早く落ち着けと嫌みを言われ、オジサン連中とは飲み仲間、家庭環境が複雑な子どもたちに妙に懐かれているものの、本人はいたってニュートラル。何事も気負わず、色恋沙汰にプライオリティを置かない生き方が、とても楽しそうなのだ。

「恋愛や結婚には向き不向きがあるから、やりたい人がすればいいんです。よく『一度山に登ったら、絶対に好きになるから!』と説得する人がいますよね。登ったことのない人は、つらさや面倒くささを避けてる自分ってどうなんだろうと考えちゃうけど、実際に登った人全員が夢中になるかというと、そうじゃない。恋愛や結婚、出産するかどうかなど生き方を責められるのは、『なんで山に登らないの?』って言われてるのと同じようなことだと思います。『これをやらないと不幸だよ』っていう周りから植え付けられた先入観を外せるかどうかで、自分の幸せが決まってくる気がするんですよね」

その点、ちひろさんは誰からも縛られず、誰のことも縛らない。だから見ていて気持ちがいい。

「人は誰かに思い入れを持つようになると、嫌いなことや許せないことが出てきてしまうもの。ちひろは人に対して親身にはなるけれども、結構いい加減でもある。これって実は大事なスキルだと思うんです」

ちひろさんと、彼女を取り巻く愉快な人たちとの日常は、日々事件が起きているといえば起きているし、取るに足りないといってしまえばそれまで。そのすき間に見え隠れするメッセージは思いのほかディープで、幸せを感じる能力を試されているような、怖いマンガともいえる。

「飲みやすいけど腹にもたれるようなマンガを作りたいんです(笑)。幸せになれるかどうかは、その人のさじ加減ひとつ。一般的に人がうらやましがるものを何も持っていないちひろが、のうのうと楽しそうに暮らしている姿だけでも、十分伝わるんじゃないかな」

◇ちひろさんの自由な生き方&価値観に、多くの女性が共感。本作の前段にあたる風俗嬢時代を描いた『ちひろ』もオススメ。どちらから読んでも楽しめます! 秋田書店 619円

◇やすだ・ひろゆき マンガ家。主な著作に『ショムニ』『ちひろ』『紺野さんと遊ぼう』『ラビパパ』『寿司ガール』など。「ちひろさん」は『エレガンスイブ』で連載中。(C)安田弘之/秋田書店


※『anan』2016年10月5日号より。写真・森山祐子(本) インタビュー、文・兵藤育子