「私、三浦大輔は、今シーズン限りで引退します」

 トレードマークのリーゼントで会見場に現れた“ハマの番長”こと横浜DeNAベイスターズの三浦大輔が、25年間に及ぶ選手生活に幕を下ろすことを発表した。

 35分ほど会見の中で、言葉の端々から感じられたのは、“野球に対する真摯な姿勢”と“ファンに対する熱い思い”。今回の会見中、三浦は何度も「ファン」という言葉を口にし、感謝の思いと共に、その存在の大きさを繰り返し説明した。

 終始、晴れやかな表情で受け答えをしていた三浦が言葉を詰まらせ、目を潤ませたのは、やはりファンに対するメッセージを求められたとき。三浦にとってファンという存在がどれほど大事なものなのかを再認識させられた会見だった。


三浦大輔「一日でも長くユニフォームを着て」
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「私、三浦大輔は、今シーズン限りで引退します。高校(高田商業高)卒業後、横浜大洋ホエールズに入団して今年で25年目。25年間、横浜の街に育てられ、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってこれました。うれしかったこと、苦しかったこと色々ありましたけど、いつも皆さんに支えられ、一歩ずつ進むことができました。

昨日(19日)、クライマックスシリーズ(CS)に出場することが決まりました。自分も今シーズンをまっとうして終わろうという気持ちで突っ走ってきましたので、残りわずかのシーズンではありますけど、一日でも長くこのユニフォームを着て、選手たちと一緒に戦えるようにやっていきたいと思っています。色々な思いはありますけど、感謝の気持ちでいっぱいです。」

高田繁GM「了承するしかなかった」
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「今月の16日、甲子園での阪神戦が終わったあとにホテルで私と(池田純)球団社長、(ラミレス)監督の3人が揃ったところで三浦選手から現役を引退したいという申し出がありました。

この結論に至るまでに悩んだり考えたり、色んな方に相談した上で出した結論ということで、了承するしかなかった。大きな柱であり、チームにとっては痛手ですけど、今後もチームの力になってもらいたいと思います。」


頭にあった“引退”の二文字
――率直な今の気持ちは?
「いろいろ考えて、決断してから伝えられていなかった方にも、この場で伝えられてちょっとスッキリしました」

――決断した理由は?
「勝てなくなったからです。常日頃、引退という文字は、今年だけでなく数年前から(頭には)ありましたけど、まだできる。もっともっと勝ちたいという気持ちもあって、先発ができなくなったら、勝てなくなったら辞めるというのは決めていました。

7月の初登板で打たれて、そのあとの8月まで声がかからず、その時にはほぼ気持ちは固まっていました。ただ、もう一度勝負したいという気持ちは頭にあったので、9月の頭に甲子園での先発を言われて、それまでは球団にも伝えないでおこうと決めていました。

そういう感情を抜きに真剣に勝負したいと。たぶんその時点では、勝とうが負けようが、今シーズンでという気持ちはどこかにあったんですけど、言いたいけど言えないというモヤモヤはありましたね。」

――誰かに相談は?
「もちろん家族には話をしましたが、最終的には自分で決めました。」

――引退を伝えたときの奥さんの対応は?
「残念がっていました。女房も子供たちも、まだできるじゃないかって気持ちもあったんですけど、プロの世界は厳しいので。その辺はしっかりと、やり残したことがないように精一杯やると決めて。この間の甲子園にも見に来てくれて、その前で投げられたのは良かったですね。」

――チームメイトに伝えたのは?
「昨日(19日)の試合後に伝えました。試合後に伝えるというのは決めていました。会見の前に皆に言いたかったので。会見の前にCSが決まって正直ホッとしましたし、決まったあとの喜びの中で、こういった報告はどうなのかとも思ったんですけど、チームメイトに伝えられて良かったです。」

――どういった言葉をかけられたか?
「引退しますということは言ったんですけど、そのあとは途中から何を言っているのかわからなくなって、それでも伝えたあと、後輩に「本当っすか?」、「まだ辞めないでください」と、今日もグラウンドで練習したときに言われました。うれしかったですね。」

――25年も現役を続けられたのは何が支えになっていたのか
「プロ入ったときに25年もやるとは思っていませんでした。1年1年が勝負だと思ってやってきましたし、打たれたら悔しい、もう負けたくない、勝ちたいという思いがあったからこそ、苦しい練習もできました。

試合で勝ったときに、たくさんのファンが喜んでくれる。あれが一番うれしかった。あそこにもう一度立って一緒に喜びたい。負けたら悔しいからもっと練習するしかないと思ってやってきた25年間でした。」

――25年で一番の思い出は?
「なかなか1つには絞れないんですけど、1998年に優勝したとき。優勝ってこれだけうれしいものなのかと。すべてが報われたというか、1年間のしんどいことが吹き飛んだというか、98年の優勝は最高でした。」

――今のDeNAは、あの時に似ていると感じるのか、違うと感じるのか
「98年は98年の良さがありますし、今年は自分の立ち位置も違います。ただ、苦しいときがあったからこそ、今のハマスタ、DeNAを見ているとうれしですね。良いチームになってきた。

昨日の試合もそうですし、横浜と広島の試合で数年前はあれほどお客さんは入っていませんでしたし、レフト側、三塁側を見ると真っ赤に染まって、バックネット、一塁側、ライトスタンドは、ブルーに染まって、満員の中でプレーできているということはプロ野球選手にとっては最高のことだと思います。

本当に何年か前はガラガラで苦しい時期もありましたけど、僕一人ではどうしようもなかったことでしたけど、FAで横浜に残って、横浜を良いチームにしたいと思って、小さな力でしたけども、横浜が変わっていくのを見ていて本当にうれしく思っています。」

――FA当時を振り返って
「色々悩んで色々な方にご迷惑をおかけしました。150勝したとき(2012年4月1日の阪神戦)にも言いましたが、横浜に残って良かったなと。たくさんのファンの方が喜んでくれた、支えてくれた。本当に三浦大輔は幸せ者だと思います。

――一番うれしかった勝利は?
「一番ですか? そうですね。どれもうれしいですけど、150勝のとき。僕自身はもちろんうれしかったんですけど、それ以上にファンの方が喜んでくれるのを見て、それを見て僕がまた喜んでいたという印象が強いので、思い出に残っています。」

――最終戦でどのようなピッチングを見せたいか
「勝ちたいです。それだけです」

――今後のプランは?
「とくに決めていません。現役からは卒業しますけど、野球からは卒業しないので。ずっと野球に関わっていきたいなと思います」

――どんな野球人生だったか?
「高校を卒業してドラフト6位で大洋ホエールズに入って、とびきり速い球があるわけでも、凄い変化球があるわけでもなく、よくやってこられたなと。球が速くなくてもプロ野球選手としてやれることを見せたかった。

勝ったり負けたり。負けの方が多かったですけど、本当に周りの方に支えられてここまで突っ走ってこられたなという感謝の気持ちでいっぱいです」

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――トレードマークのリーゼントは?
「卒業しません(笑)できる限りやり続けたいと思います」

――熱い熱いDeNAファンに一言
「25年間、熱い熱いご声援をありがとうございました。苦しいとき、本当に助けられましたし、良いときも悪い時も、僕たちに声援を送り、背中を押していただき、本当に感謝しています。

何回かヒーローインタビューで言ったこともあるんですけど、三浦大輔を応援していて良かったな、DeNAベイスターズを応援していて良かったなと思ってもらえるようになりたいと思ってやってきて、約束していた優勝は果たせませんでしたけど、若い選手が出てきて、CS進出を決めて、チームはどんどん成長しています。

これからも横浜を応援してほしいとおもいますし、僕も横浜から離れることはないので、一緒にもっと上に行けるように、頑張っていきたいと思います。25年間、ご声援ありがとうございました。」

――監督になって胴上げされたいという思いは?
「将来的には指導者という道も夢にはありますけど、もっと勉強しないといけない。まだ横浜のユニフォームを脱いでいないので、まだ登板があるので(笑) 将来的には横浜に戻ってきたいと思います」

――強いチームとはどんなチームですか
「プロフェッショナルなチームだと思います。個人個人がプロとしての準備をして、意識をしっかりともつ。強いチームとは、ファンと地元、チームが一緒になって、同じ目標に向かって戦えるチームが強くなっていくと思います。」

――チームの優勝を目標に掲げ続けたなかでCS出場を手にした今の気持ちは?
「昨日、ベンチで見ていて、若い選手が頼もしく見えましたし、まずはチームが勝つこと。個人プレーではどうしようもないことも、力を合わせれば勝てるスポーツだと思います。CSに唯一出られないチームと言われていましたから、これで来年から言われなくなるので、よかったなと思います」

――最後の登板で見てほしいところは
「今まで通りしっかりと準備してマウンドに上がって一生懸命、勝てるように、チームが勝てるように精一杯投げるところを見てほしいなと思います」

――トレードマークであるリーゼントには、反骨心のようなものを感じるが?
「ただこの髪型が単純に好きなだけです(笑)プロに入ったとき、何十人と投手がいる中で目立ちたいなと。注目されないと使ってもらえないので。もちろんプレーで注目されるのが一番ですけどね。それ以外で注目してもらいたいと思って、こだわってやってきました。その代り、野球はしっかりやるぞと思ってやってきましたけどね。それだけのことです」

――登場曲(リーゼントブルース)でも使用している矢沢永吉さんはどういった存在なのか
「中学生の頃に初めて聞いてから大好きで、矢沢さんに励まされながらやってきました。僕の中でのバイブルじゃないですけ、そんなような存在です」

――25年間やってきた中でのファンとは?
「三浦大輔にパワーを送れる存在ですね。どれだけ助けられたか。お客さんが少なくて苦しいときもありましたけど、どんなときも見捨てずに応援し続けてくれた。

最下位であろうが、今日こそは勝ってくれるだろうと信じてついてきてくれましたし、勝てないときはグランドにモノが投げ入れられたりつらい時期もありましたけど、それでもほとんどのファンが一緒に苦しんでくれたり、喜んでくれたり、一緒に戦ってくれたチームメイトだと思っています。」

――引退を決断した具体的なタイミングは?
「まだできるという思いもどこかにあったと思うんですけど、どこかでけじめをつけないといけないと思っていました。

23年連続で勝利を続けてきて、今年勝てれば24年になりますけど、チーム状況とか、チームで置かれている現状を考えたとき、8月までに勝てなかったことが僕の中では大きかったですね。

自分でどこかで決めないといけないなと。その中で甘えてはいけないなと思っていたので。色々な葛藤はありましたけど、悩んで悩んで、最終的に勝てなかったんだから辞めるというところに行きつきました」

――先発へのこだわり
「ゲームを作っていく。プレーボールから1イニングでも長くと思ってマウンドに上がってましたし、いけるところまでいく。苦しくなったり、ダメだったときはチームメイトが助けてくれる。週1回くらいしか投げないですけど、責任の重さ、準備の大切さ、というところを大事にやってきました」

――勝つための方法論として一番大事にしていることは?
「あったら教えてほしかった(笑)でも、練習しかないと思います。僕は自分のことをへたくそだと思っていたので、へたくそが何をするのかと言えば、練習するしかない。うまくなりなかったら練習するしかない。もっとうまくなりたい、もっとうまくなりたいと思ってやってきた25年間でした。」

――現役生活を支えた指導者との出会いは?
「たくさんの監督の下でやらせていただきました。野球だけでなく人としても色んなことを勉強させてもらいました。

誰というのは難しいですけど、プロに入ったとき、一年目のピッチングコーチの小谷さんという方と知り合ったのが三浦大輔のプロ野球選手としての第一歩だと思いますし、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。

まず己を知れということを言われました。自分がどういうタイプのピッチャーで、この世界で生き残っていくにはどういったことをすればいいのかということを教えていただきました。

その言葉を胸にずっとやってきましたし、勘違いしないようにしようと。自分はどういうタイプのピッチャーでどうすれば抑えられるかを考えてきました。」

――若い選手に伝えたいこと
「10数年やった選手もいれば、1,2年の選手もいますけど、後悔ってあると思います。僕も優勝したかったという気持ちも残っていますし、100%満足したという気持ちで追われることはないと思いますけど、やるだけのことはやって、もちろんプロなんで打たれることもありますけど、一人じゃないということは忘れないでほしいですね。

マウンドで苦しくなったときでも、チームメイトが後ろで守ってくれていますし、スタンドでファンが応援してくれています。ピッチャーだけでなく、野手も、グラウンドに立つ責任の重さを感じて、試合が続く日々ですけど、それを忘れずに。一人で野球をやっているんじゃないので、みんなでつないで勝利に向かってやっていることを忘れずにグランドに立ち続けてほしいです」

――「寂しい」と言っているファンに向けて
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「僕も寂しいです。まだまだ離れたくないですし、横浜のユニフォームを着てまだ投げたいという気持ちがあります。あと1試合になりましたけど、もっともっと投げたい、ずっとユニフォームを着続けたいと思いますけど、いつかは引退しないといけない。

誰もが通る道だと思うので、僕もつらいです。けど、なんて言っていいのかわからなくなってきましけど、つらいときはいっぱいありました。もっと前に引退がよぎったこともありました。

もうダメかなと思って一軍の試合を見ているときでも、18番のユニフォームを着てスタンドで応援してくれている人を見たら、絶対にあのマウンドに戻るんだと思って頑張ってこられました。それだけ、三浦大輔に力を与えてくれましたし、あの応援があったからここまでやってこられました。

つらいですけど、また違うステージでも頑張っていきますので、そこでも応援してもらえればと思います。」

――ライバルのバッターや思い出に残る本塁打は?
「たくさんの打者と対戦させてもらって、その中で自分も成長させてもらいました。思い出に残る本塁打は…いっぱい打たれたのでいっぱいありますけど。

プロ初勝利、初完封できるかというところで金本さんに打たれた本塁打とか。開幕戦の名古屋でサヨナラ満塁本塁打を打たれたとか、ハマスタでのプレイボール直後の本塁打とか。打たれたことはたくさんでてきます。打たれたことは覚えているので。」

――18番をどういった選手にたくしたいか
「96年くらいに18番をつけさせてほしいということを伝えて、98年からつけさせていただいて、横浜のエースナンバーを18にすると思ってやってきました。背番号の重みをわかってもらえる選手につけてもらいたいです」


最終戦は9月24日に横浜スタジアムで行われる巨人戦になるものとみられている。ファンを愛し、ファンに愛された18番の最後の雄姿を楽しみにしたい。