◆ サブロー引退試合に巨人時代のチームメイトも観戦

「4番ライト、サブロ〜〜〜〜」

 超満員のQVCマリンに懐かしいコールが鳴り響く。日曜日のデーゲーム、涙のサブロー(ロッテ)は通算5917打席目で二塁打を放ち、有終の美を飾った。華やかな引退試合には多くの野球関係者が球場に駆けつけ、その中には昨年までのチームメイトで現巨人のクルーズだけじゃなく、同じく巨人の阿部慎之助、内海哲也、山口鉄也、長野久義、坂本勇人らの姿も見られた。

 94年にドラフト1位指名されたサブローはプロ22年目、ロッテ一筋のイメージが強い選手だが、そのキャリアで数カ月間だけ別のチームのユニフォームを着たことがある。2011年6月末、シーズン途中に突然発表された巨人・工藤隆人(現中日)プラス金銭との交換トレード。当時、ロッテフロント陣との不仲が度々報じられてはいたものの、サブローは前年の2010年には選手会長として19本塁打、71打点の好成績。リーグ3位からの下克上日本一に貢献していた看板選手の不可解な放出に野球ファンは騒然とした。

 巨人での登録名はサブローではなく、本名の大村三郎。見慣れた背番号3ではなく、0番を背負って35歳での再出発。移籍発表直後の7月1日に一軍合流すると、その日の東京ドームの中日戦で、相手エース吉見一起からいきなり代打本塁打をかっ飛ばす上々のスタートを切った。


◆ 2011年の巨人は過渡期

 当時の巨人を振り返ってみると第二次原体制6年目。投打の柱、阿部慎之助は32歳、内海哲也は29歳と全盛期真っ只中。まだ20代前半の坂本勇人は前年に31本塁打を放ちスター選手の仲間入り。さらに若手選手も08年山口鉄也、09年松本哲也、10年長野久義、11年澤村拓一と4年連続新人王に輝き、ベテラン陣も高橋由伸(現巨人監督)、アレックス・ラミレス(現DeNA監督)、小笠原道大(現中日二軍監督)、谷佳知といった豪華な顔触れが並んでいた。

 この年の巨人は07年からのV3の立役者・ガッツ小笠原が急激に衰え、新助っ人のラスティ・ライアルが極度の打撃不振に陥り、起爆剤として5月に日本ハムから金銭トレードで高橋信二(現日本ハム捕手コーチ兼打撃コーチ補佐)を獲得。そして6月にはサブローも駆け込みトレード、7月にも大型三塁手ジョシュ・フィールズを補強しながら、首位中日にわずか3.5ゲーム差及ばず3位に終わり、クライマックスシリーズもファーストステージでヤクルトに敗退した。

 そんな中、サブローは異様に厚い選手層に阻まれ、出場機会にも恵まれず48試合で打率.243という不本意な成績。オフにはFA宣言をしてロッテへ復帰する。この年のストーブリーグはサブローだけでなくラミレスもチームを去り、代わって村田修一(横浜)と杉内俊哉(ソフトバンク)をFA獲得。翌年から原巨人のリーグ3連覇が始まることになる(12年には史上初の五冠達成)。今思えば、2011年の試行錯誤の数々は「オガラミのチーム」から「阿部のチーム」への過渡期だったと言えるだろう。


◆ 5年間で大きく変わったプロ野球

 それにしても、プロ野球界の「5年前」は一昔前だと実感する。当時はダルビッシュ有(レンジャーズ)、岩隈久志(マリナーズ)、田中将大(ヤンキース)、前田健太(ドジャース)といった現在のメジャーエース級の投手たちが全員NPBにいて、今をときめく大谷翔平(日本ハム)はまだ高校生だった。ちなみに11年セリーグCSで1軍デビューしたのが、当時ルーキーの19歳山田哲人(ヤクルト)である。

 結局、5年前のサブローはわずか半年間ほどの巨人在籍期間だったが、月日が経ち引退試合にあの頃のチームメイトたちが駆けつけ、セレモニーでは1歳年上の高橋由伸監督からのメッセージ映像も流れた。由伸、ラミレス、小笠原と数多くの現役監督が在籍していた「2011年の原巨人」。

 そう遠くない未来、そこにロッテの指導者としてサブローの名が加わる日がきっと来るだろう。

文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)