◆ 通算195本塁打の大砲が引退

 かつてのWBC戦士で現役通算195本の本塁打を放った中日の多村仁志が、現役引退を表明した。

 多村と聞けば、横浜そしてソフトバンクのユニホームを連想する方も多いだろう。しかし今季は中日で育成選手としてプレーした。

DeNAから戦力外通告を受けた多村は今年1月、横浜時代の同僚谷繁元監督が率いる中日に育成選手として入団した。38歳10か月という日本球界最年長での育成選手だった。背番号「215」を背負い、支配下登録を目指して闘ってきたが、度重なるケガで、結局思いは叶わなかった。

◆ 横浜時代に2年連続30本塁打

 多村がもっとも輝いた時代。それは10年以上も前になる。2004年、当時横浜で開幕スタメンを勝ち取った多村は、その素質を一気に開花させる。球団初となる日本人選手での40本塁打を達成。3割、40本、100打点と輝かしい成績を残した。

続く2005年にも3割30本を達成し、この年に始まったセパ交流戦では12本の本塁打を放ち、初代交流戦本塁打王となった。

 スター選手への階段を上り始めた多村は、2007年に寺原隼人との交換トレードで、ソフトバンクに電撃移籍。通算1000試合出場と1000安打を達成した2011年には、骨折しながら日本シリーズに強行出場し、見事日本一に輝いた。

 2013年、6年間過ごしたソフトバンクから7年ぶりに古巣横浜に復帰した。多村を象徴する試合といえば、この試合を挙げる人は多いだろう。横浜復帰後の13年5月に横浜スタジアムで行われた巨人戦。

 大きくリードを許した展開で代打出場した多村は、代打本塁打を放つ。そのまま守備に就いた多村は、1点差まで追い上げた9回、今度はサヨナラ逆転本塁打を放った。同試合で代打本塁打とサヨナラ本塁打を放ったのは史上5人目の快挙だった。

 そして迎えた2014年、今年度本塁打王の筒香嘉智そして主力の梶谷隆幸が外野にコンバートされ、徐々に出場機会を失っていく。スタメンをこの2人に譲る形で、代打要員となった。昨年はわずか4試合の出場にとどまり、同年10月に戦力外通告を受けた。

 今年は育成選手として中日でプレーした多村。横浜で頭角を現し、ソフトバンクで日本一になった男が、静かにユニホームを脱ぐ。