9月21日、近畿日本鉄道(近鉄)奈良線・東花園駅(大阪府東大阪市)で起きた「車掌の転落事件」は、新聞やテレビのワイドショーでも取り上げられ話題となっている。

 報道によると、別の駅で人身事故が発生したことで、東花園駅への電車の到着が遅れた。電車を待つ乗客への対応をしていた26歳の車掌男性が、突然ホームから線路に降り、制服の上着と制帽を脱ぎ捨て、高架橋から7.6m下の地面に飛び降りて負傷する事件が発生したという。

 車掌が数人の乗客に囲まれ、暴言を浴びせられていたとの証言もある。そのため、車掌に同情する声が多く、インターネット上では近鉄に対して車掌の処分をいったん白紙にすることを求める署名活動が行われている。

 近鉄の秘書広報部はメディアの取材に対し、「まずは車掌本人から当時の状況を聞く必要があるが、現段階で面談による状況把握はできておらず、今後のスケジュールも未定」としている。

 近鉄が車掌をどのように処分するのかに世間の視線が集まっている。そこで、人事労務の専門家、社会保険労務士として25年のキャリアを持つ、埼玉労災一人親方部会理事長の中村紳一氏に、今回のような場合の「処分」をテーマに話を聞いた。

「何よりも、車掌の健康面の確認をすることが最優先だ。報道にあった、制服の上着を脱ぎ捨てホームから線路に侵入、高架から飛び降りて負傷したという行動が事実ならば、病院で医師などにメンタル面も確認してもらう必要がある。前からストレスなどが蓄積し、精神的に支障を来していたとも考えられる」(中村氏)

 中村氏が注視するのは、近鉄の社員に対する労務管理や危機管理などだ。

「報道内容が事実ならば、結果としてホームにいた乗客だけでなく、ほかの駅や電車に乗っていた客らにもなんらかの迷惑や被害をかけた可能性がある。その数は、少なくはないと思う。乗客の命を預かる会社としては、この車掌になんらかの処分をすることは、ある意味では当然かもしれない。

 しかし、会社として就業規則に則って厳しい処分をするならば、まずは再確認すべきことがある。それが不十分な状態で厳しい処分をすることはできないだろう」(同)

●危機管理の甘さが招いた事件か

 中村氏が「再確認すべき」と述べている事項は、次のようなものだ。

・会社は、この車掌に限らず、全社員のメンタル面も含めた健康管理を普段から行っていたか。乗客の命を預かる会社として、当然できていないといけない。

・健康管理などの結果に基づき、適正な社員の配置や人事異動などが行われていたか。メンタル面で不調を抱える社員を、負担のかかる部署においていなかったか。

・人身事故や車両故障などによって運行に遅延が生じたときの乗客への対応を、きちんと車掌らに教育・訓練していたか。それも、漠然と教育・訓練をするのではなく、教育効果が表れるように実施できていたか。

・興奮した乗客が詰め寄ってきたときなどにどう対応するのか、という危機管理マニュアルがあったのか。それをもとに、教育・訓練をしていたか。

・今回、会社側は乗客らに人身事故などで電車が遅れることを適切なタイミングで伝え、繰り返し説明したか。

・日ごろから、乗客らへの「教育」をしていたか。すなわち、電車が遅れたときや人身事故が発生したときなど、乗客にどのように行動してほしいのかを普段からアナウンスしてきたか。

 さらに中村氏は、こう指摘する。

「少なくとも、これらのことを会社として継続して行っていたならば、今回のような大きな問題にはならなかったのではないか。乗客に対して説明が十分だったならば、車掌に詰め寄ることはなかったかもしれない。また、車掌も教育・訓練を十分に受けていれば、ここまでのことはしなかったかもしれない」

 そして、こう繰り返す。

「会社として、解雇などの厳しい処分をすることができるのは、これらをすべて実践できているときのみだと思う。十分にできていないならば、この車掌を厳しく処分することは難しいのではないか」

 だが、報道が事実ならば、鉄道会社として多くの乗客などに迷惑や損害を与えたことも否定しがたい。それを踏まえ、中村氏はこう予測する。

「実際のところは前述したように、厳しい処分をすることは難しいと思われる。しかし、これだけの騒ぎになっているので、なんらかの説明をせざるを得ない。そこで近鉄は、対外的に『この車掌には適切な処分を下し、今後は社員の再教育を徹底する』といったことを発表するだろう。本音とは異なっても、そのような建前によって解決を図るのではないか」

●ネットで情報が拡散される時代の危機管理

 今回の事件で、思い出したことがある。

 1980年代後半に国鉄が民営化される数年前、筆者はこんな光景を目にした。中央線の駅の改札口付近で、駅員の男性が乗客を怒鳴りつけていた。当時は自動改札口ではなく、駅員が乗客の切符を1枚1枚確認していた。乗り越したまま精算せずに改札口を通り抜ける人も時々いた。駅員がそんな不正を行った人を追いかけ、口論になることも珍しくなかった。民間企業となった今では対応が大きく改善されたが、「親方日の丸」の国鉄時代には横柄な態度の職員が少なくなかった。

「今はJRでも私鉄でも、鉄道会社の社員や車掌は当時の国鉄職員よりもはるかに謙虚で誠実だ。しかし、ネットやツイッター、フェイスブックなどでちょっとした問題がすぐに拡散されることを踏まえると、会社としての危機管理が十分にできているとは言い難い。

 その最たる例が、JR東海・東海道新幹線の運転士が運転台に足を上げた状態で運転をしていたことがツイッターに投稿されて大きな問題に発展したことだ。会社は、こういう側面における危機管理をもっと充実させるべきではないだろうか。

 私は以前、外食しているときに、その店の店長に30分にわたって因縁をつける客を見た。その客は、『唐揚げが熱くて口の中をやけどをした。お詫びをしろ』などと店長に迫ったが、店長はほかの客がいる前でうろたえることなく、冷静に対応をした。言い返すことなく、きちんと最後まで聞く。そして激しく議論をするのではなく、店としての考えを丁寧に淡々と伝える。謙虚ではあるが、毅然とした態度だった。ついに客は引き下がった。

 こういうことを危機管理と呼ぶのだと思う。おそらく、店長などには危機管理のマニュアルが与えられ、念入りに教育・訓練が施されていたのだろう。鉄道会社に限らず、多くの会社にとって、このような危機管理を徹底していくことは、社員の労務管理にもつながっていくと思う」(同)

 近鉄の車掌が、どのような処遇となるのか注視したい。
(構成=吉田典史/フリーライター)