二〇一三年春の選抜大会で初めて甲子園の舞台に立った旧春江工業高校(三月閉校)野球部の石碑が、坂井市春江町江留上緑の同校から、統合先の同市坂井町宮領の坂井高校へ移された。当時の部員たちの保護者でつくる「春工野球部父母の会」が企画。「逃げない野球」を掲げ、夢舞台の切符をつかんだ足跡を後輩たちに伝える。
 石碑は縦一・二メートル、横一・五メートルで厚さ〇・二メートル。表面にはチームを導いた川村忠義監督の信念である「逃げない プレーヤーとして 人として」の言葉と当時の部員ら四十三人の氏名を刻んでいる。今月初旬に正面玄関脇に移し、二十二日に父母の会メンバーら十二人が集まって祝った。
 移設に奔走した宗沢英雄さん(54)=あわら市柿原=は「坂井と校名が変わっても前身は春工野球部。先輩に負けず、甲子園を目指して」と、坂井高野球部にエールを送る。
 坂井高は旧春工グラウンドで練習しているが、旧春工への県教育研究所の移設工事が始まり、坂井高のグラウンドも完成間近。今は坂井高で指導する川村監督も移設を快諾した。
 「春工に置き去りにされるのは寂しいと思っていた」と喜ぶのは選抜当時エースだった坪田和大選手の父、徳生さん(50)と母、寿美恵さん(50)=福井市大瀬町。
 石碑は整備中のグラウンドを見守る位置に陣取る。裏面には「日本一厳しい練習」で鍛え上げ、一二年秋の北信越大会を制し、各地区の優勝校が激突する明治神宮大会で浦和学院(埼玉県)に逆転勝ちするなど熱闘の記録も刻まれている。
 選抜当時の大崎省二主将の母、晶子さん(47)=坂井市丸岡町南横地=は「甲子園を夢や憧れに終わらせず、実現させた息子たちは輝いていた。そんな先輩がいたことが励みになれば」と語った。
 (北原愛)