写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.42

現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16〜95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。

草笛光子

松竹歌劇団からスタートした“ピカ一の声楽”

草笛光子は1933年10月22日、神奈川県横浜市の生まれ。49年11月、高校を中退して松竹少女歌劇学校に、翌50年、松竹歌劇団に5期生として入りました。

52年春に準幹部に昇進し、6月の『リオ・グランデ』で歌姫ビアトリスに起用されて人気を博し、特に声楽ではピカ一と謳われるようになりました。

53年、川島雄三監督の松竹京都作品『純潔革命』の主役に抜擢されて映画デビュー、同年8月には歌手デビューを果たします。

54年5月に歌劇団を退団して、以後は『恋愛パトロール』(54)『修禅寺物語』(55)『旅がらす伊太郎』(56)など多数の松竹映画に出演。

56年10月より東宝と演劇&映画の専属契約を結び、57年『雨情』で森繁久彌扮する野口雨情が恋する芸者の役を演じてから、森繁主演の『社長』シリーズに芸者やバーのマダム、クラブのママ、料亭の女将といった役柄を多く演じるようになります。

58年には日本テレビのバラエティ番組『光子の窓』のホステスとなり毎回ゲストを迎えてトークに歌に踊りにと、その後のバラエティ・ショーの基盤を築き上げていきました。

60年代に入ると、市川崑監督の『ぼんち』(60)や『猫と鰹節』(61)などを経て、62年『放浪記』に新劇女優の役で出演したことを機に、成瀬巳喜男監督作品の常連となり、『乱れる』(64)『女の中にいる他人』(66)『乱れ雲』(67)と、女優としての年輪や陰影をにじみだしながら、名匠の晩年を見事に彩りました。

その後、しばらくの間は舞台出演が多くなりますが、70年代後半から映画の世界へ復帰。中でも『犬神家の一族』(76)を第1作とする市川崑監督の名探偵・金田一耕助シリーズは、毎回手を変え品を変えてのユニークな役柄でレギュラー出演。その他『火の鳥』(78)『幸福』(81)など、この時期の市川映画に欠かせない人材として、映画ファンに強くその存在を印象付けました。2006年のリメイク版『犬神家の一族』にも出演しています。

80年代以降も『逃れの街』(84)『それから』(85)『玄海つれづれ節』(86)『女帝・春日局』(90)『REX恐竜物語』(93)などコンスタントに映画出演しています。

ミュージカル女優のパイオニアとしてそして現在

草笛光子の場合、やはり舞台を抜きには語れないでしょう。特に本領はミュージカルにあり、『歯車の中で』(60)『努力しないで出世する方法』(64)『キスミーケイト』(66)。67年には帝国ホテルのシアター・レストランで1か月ワン・ウーマン・ショーを開催。

その後も『ラ・マンチャの男』(69)のアルドンナ、『王様と私』(73)の家庭教師アンナなどで好演。そのほかにも独り芝居『私はシャーリー・ヴァレンタイン』(91〜96)や『ジプシー』(82)『シカゴ』(83)『ラ・カージュ・オ・フォール』(93)など、ミュージカル・スターとしての代表作を挙げ始めたらきりがないほどの貫録です。

21世紀に入ってもその活動に衰えはなく、『雪に願うこと』(06)『武士の家計簿』(10)などを経て、11年には姥捨て山に捨てられた老婆たちのサバイバルを描いた異色作『デンデラ』で熊と戦う猛者を熱演しています。16年も『殿、利息でござる!』で主人公の母親を好演していました。

また16年はNHK大河ドラマ『真田丸』で真田昌幸の実母で、「たとえ離れ離れになっても真田はひとつ」と、後の真田家の運命を予見した言葉を残す祖母とり役がお茶の間でも好評でしたが、実は彼女、かつてテレビ東京の12時間ドラマ『家康が最も恐れた男 真田幸村』(98)では真田昌幸の妻を演じていました。(三谷幸喜はそこまで考慮しての『真田丸』キャスティングだったのでしょうか?)

99年紫綬褒章、2005年旭日小綬章、2013年第48回紀伊国屋演劇賞個人賞、2014年第39回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞。

舞台だけでなく、映画の方でもまだまだ頑張って演じ続けていただきたい、日本映画演劇界の貴重な宝です。

(文:増當竜也)