三陸地方唯一の映画館だったみやこシネマリーン(岩手県宮古市)が9月25日に19年の歴史に幕を閉じる。東日本大震災後、落ち込んだ来場者数が回復しなかった事も一つの要因だ。今度は定期上映や巡回上映を行っていく方針だが、いかにして映画文化を守り続けていくか? 新たな挑戦が始まっている。(取材・文:中山治美)

東日本大震災から15日で営業再開

 忘れられない記事がある。

 2011年3月26日の日刊スポーツに、東日本大震災で被害を受けた映画館が、15日ぶりに営業を再開したことを報じていた。記事の横には、『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』(2011)を楽しむ親子の写真が。その映画館こそが、みやこシネマリーン。支配人の櫛桁一則さんが「春休みなのに被災地の子供たちは楽しみが少ない。映画館で元気を取り戻して欲しい」という思いを込めた、英断だった。個人的なことだがそれは、テレビで流れる被災地の惨状の目にしてオロオロしていることしかできない自分に、何か手助けができることがあるのではないか? と考えるきっかけを与えてくれ、そして本連載をはじめるきっかけにもなった。

 同様の思いを抱いた映画関係者は多かったのだろう。みやこシネマリーンの館内には、震災後、同劇場を訪問した映画監督や俳優のサインがずらりと並ぶ。確かに劇場の注目度は高まった。しかし宮古市の人口は、震災前の平成22年度(2010年)の5万9,430人から平成27年度(2015年)は5万6,569人と2,861人減少(*いずれも国勢調査より)。

同劇場の入場者数も、『千と千尋の神隠し』(2001)が公開された2001年の約5万人をピークに、2011年度は1万6,402人とワーストを記録。以降も数字は伸びず、毎年約900万円の事業損失を被っていたことから閉館の道を選ばざるを得なかったという。櫛桁さんが苦い表情を浮かべながら語る。

 

「震災前は、近隣の釜石市や大槌町から足を運んでくれる人も多かったのです。でも震災で山田線(JR東日本)の宮古・釜石間は不通となり、公共交通機関がなかなか復旧せず。また大槌町のように壊滅状態となった町も多数あり、復興にはまだまだ時間を要します。いまだ仮設住宅で暮らしている方も多いので、映画どころではないのでしょう。震災以降、ずっと我慢して営業してきましたが、今後、震災前の入場者数に戻るということは難しい。このまま続けていたらもっと大変なことになると思い閉館を決めました」。

人口減少だけではない地方映画館の抱える問題

 日本映画全盛時代の1960年代、宮古市には7館の映画館があったという。やがて斜陽時代を迎え、1991年に最後まで残っていた宮古国際劇場が閉館。

 その後は有志が自主上映活動を行ってきたが、1995年にいわて生活協同組合がショッピングセンター「マリンコープDORA」を建設することに伴い、2階に映画館を設置することに。1997年4月に、2スクリーンを擁した「みやこシネマリーン」がオープンした。運営は「みやこ映画生活協同組合」で、生活協同組合による映画館は日本で初の試みだ。現在も運営の基盤は組合員による出資金(2口・2,000円以上)で成り立っている。

 これまでも危機はあった。映画界がフィルムからデジタル化に移行する2012年〜2013年頃には、高価なデジタル機材を導入する資金がなく頭を悩ませた。しかし県内外から「三陸沿岸唯一の映画館をなくすな!」の声が沸き起こり、約1,600万円の募金が集まって無事にデジタル化を完了した。

 一方で映画のデジタル化の加速は、シネコンの増加に繋がり、映画を取り巻く環境自体がガラリと変わった。宮古でも自家用車を持つ若い世代はレジャーがてらに1時間半から2時間かけて盛岡や北上のショッピングモール内にあるシネコンに出かけ、大手映画会社の最新大作映画を見るという、ライフスタイルに変化を与えるまでになっていた。櫛桁さんが語る。

 「じゃあ大手の最新話題作をシネマリーンで上映すれば客が来るのか? というと、そもそも全国同時に作品を提供してもらえる事は少なく、上映できたとしても苦戦するでしょう。大概、大手の大作は、人口規模などに関わらず、8週間とか10週間以上の長期上映期間となり、上映回数も多く確保しなければなりません。フィルム上映の時は、次の映画館にフィルムを送ってしまえば物理的に上映できませんが、デジタルだとサーバーに作品が残っている以上、映画会社からの『もう少し延長して下さい』という要望も可能になってしまう。となると、こんな小さな街なら3週間の上映期間で、その作品を観たいと思う市民はほぼ鑑賞してしまい、残りの週は、映画をただ空回しするような状態になってしまいます。

それよりは、都心での公開より少し後で上映する“2番上映”や、ミニシアターとして作品数を増やしてコンパクトに上映した方がお客さんの選択肢も広がり、動員に繋がる可能性が高くなります。実際、震災以降は最低入場者数が続いていたとはいえ、人口約5万5,000人の街の映画館に、年間1万7,000人が見に来てくれていたわけですから」。

みやこ映画生活行動組合は継続

 みやこシネマリーンは9月25日で閉館となるが、「みやこ映画生活協同組合」は継続して活動を行い、公共ホールでの定期上映や巡回上映を行っていくという。今までも交通の便の悪い山間部に趣き、移動上映活動を続けていたが、震災以降は避難所や仮説住宅内の公共ホールを使って巡回上映を続けてきた。その回数は380回以上を超えた。櫛桁さんはその功績を称えられ、今年2月に開催された第70回毎日映画コンクールで特別賞を受賞したばかりだ。櫛桁さんが複雑な胸のうちを明かす。

「実は巡回上映活動をすることで、映画が生活の潤いになることを映画館にいる時以上に実感しました。映画館の中で仕事をしていると、日々(興行の)成績ばかりを追いかけているような感じで、映画は好きだけど、夢のある所からは離れていたと思います。でも巡回上映では、観客と同じ空間で映写の作業をするので、皆が喜んでいる顔を見ることができる。まだまだ映画を楽しんでくれる人たちがいるのだなという可能性は感じています」。

映画館のない街・釜石の新たな動き

 その言葉を実証するように、宮古市から南下すること約60kmの釜石市で映画の定期上映が根付きつつある。2016年1月に開業した多目的ホール「釜石PIT」で毎月1回行われる「CINEPIT」だ。SEASON 1は今年5月からスタートし、これまで『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)、『くちびるに歌を』(2015)、『この国の空』(2015)、『エール!』(2014)を上映してきた。主催のCINEPIT運営委員会は釜石まちづくり株式会社が中心で、釜石シネクラブやシネマリーンも参加している。釜石と宮古は近いようでこれまで交流はあまりなかったが、震災をきっかけに繋がりが深まり、CINEPITの作品選定や映写をみやこシネマリーンがサポート。閉館後のデジタル映写機材の一つが移設されることも決まっている。

 釜石PITに釜石まちづくり株式会社事業課長の下村達志さんが語る。

 「震災後は釜石市でも巡回上映が結構行われましたが、復興支援ということで無料でした。いろんな意見はあるかと思いますが、固定の場所で、いくらかでも入場料を払って娯楽を楽しむという習慣を取り戻せたらと思っています。今後も継続して開催する予定で、デジタルの映写機材が入れば新作も上映できますし、徐々に上映回数も増やせていけたらと思っています」。

かつて釜石は文化豊かな街だった

 釜石は、平成初めに最後の劇場「富士館」が閉館し、街に映画館がなくなって久しい。

 かつては“近代製鉄発祥の地”として栄え、1963年のピーク時の人口は9万2,123人。しかし地元の産業を牽引していた新日本製鐵(現・新日鐵住金)の経営合理化や高炉休止などの影響で減少し、2010年(平成22年度)は3万9,574人。

 さらに震災後の人口流出で2016年7月末時点で3万5,516人(「広報かまいし」より)。この人口規模では常設館が出来たとしても、経営は厳しいだろう。釜石シネクラブ代表の平松伸一郎さんが説明する。

 「かつての釜石は、新日本製鐵の本社から転勤してきた人たちも多く、僕が通っていた小学校ではクラスの4分の1近くが東京出身者ということもありました。彼らによってもたらされる都会の情報にダイレクトに触れることができた当時の釜石は、岩手県下の中でも文化度は非常に高かったと思います。県道4号線には市民文化会館(*震災の影響で2015年に解体。2017年秋完成予定で市民ホールを建設中)やレコード店も結構ありましたしね。確かに文化ってなければないで生活には困らない。でも5年後、10年後の自分たちの暮らしを考えた時に、文化的なことがあるか、ないかで街の景色が全然変わって見えるのではないかと思うのです」。

 平松さんや櫛桁さんらは「釜石てっぱん映画祭実行委員会」を設立し、「映画を通じた『心の復興』と、釜石の映画文化の再生を!」をスローガンに掲げ、今年8月26日〜28日、釜石てっぱん映画祭をチームスマイル・釜石PITで開催した。

 「僕たちが若い頃は、デートと言えば映画だった。今日も上映後に自然と拍手が沸き起こったけど、あの雰囲気がいいですね」俳優永瀬正敏をゲストに招いて『あん』(2015)など9作品を上映し、会期中の来場者は約430人。『あん』を鑑賞しに来た釜石在住の夫婦が顔をほころばせながら語る。「やっぱり大きなスクリーンで、皆で見るのは楽しいですよ。今回はイタリア映画『ひまわり』(1970)も上映されて、残念ながらスケジュールが合わず見られなかったのだけど、また旧作も上映して欲しいですね」。

 平松さんはCINEPITの定期上映に加え、来年も映画祭を開催したいと意気込む。

「1回だけ満足していてはいけない。皆の生活に入りこんでこそ“文化”ですから」。

9月24日、25日は名作でファイナル

 一方、櫛桁さんも諦めてはいない。宮古市内に小さくてもいいから場所を探し、常設館の設営を考えているという。

 「全国、特に地方では映画館の無い街がほとんどです。街に映画館があり、毎日何かが上映されているのはとても素敵なことで、街の宝だと思っています。みやこシネマリーンでも観客動員数が減少したとはいえ、年間1万7000人の子供たち、市民が映画を楽しんでくれているのです。映画館というのは公共性の高いもので、本当は、市などの行政が少しでも常設館継続に手を差し伸べてくれたら嬉しいのですが、どうしても一営利事業と捕らえられてしまうのが寂しいですね。でも街に映画館があるということは、どういうことなのか? 無くなってからでもいいから、考えてくれたら嬉しい。そこからまた新しい試みが出来るのではないか? と思ってます」。

 みやこシネマリーンでは9月24日(土)、「ありがとう上映会」と題して岩手県出身の大友啓史監督『るろうに剣心』(2012)と木下惠介監督『二十四の瞳』(1954)、9月25日(日)は「クロージング上映会」として、宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』(2001)とジュリー・アンドリュース主演『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)の吹替版を上映する。いずれもスクリーンで味わいたい名作ばかり。そして24日の『るろうに剣心』の上映時には、
急きょ、大友監督の来場が決まった。

 最後に、櫛桁さんの名刺に書かれているメッセージを紹介したい。

「子どもたちに夢を、若者たちにつどいの場を、すべての人々に生きがいを!」

*この取材で釜石と宮古を訪問した翌日、台風10号の影響で現地は多大な被害を受けました。度重なる災害に胸が痛むばかりですが、被害に遭われた方にお見舞い申し上げると同時に、現地の一日の早い復興をお祈りしています。

みやこシネマリーン

http://cinemarine.blog45.fc2.com

2011年3月26日の日刊スポーツの記事

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110327-753471.html

釜石てっぱん映画祭

http://kamaishi-teppan-filmfestival.jimdo.com

釜石PIT

http://kamaishi-pit.team-smile.org

石巻金曜映画館

https://www.facebook.com/kinyoueigakan.ishinomaki/

みやこほっこり映画祭

http://www.hokkori385.com

シネマエール東北

http://cinema-yell-tohoku.com

釜石シネクラブ

https://www.facebook.com/kamaishicineclub/

釜石まちづくり株式会社

http://kamaishi.co.jp

CINEPITの情報・釜石情報交流センター

http://en-trance.jp/jkc