2016年の大ヒット作『シン・ゴジラ』。巨大生物=ゴジラの脅威に直面した政府上層部を、政治ドキュメンタリーのようなタッチで描いた異色作だ。驚いたのは『シン・ゴジラ』が過去の東宝怪獣映画を踏襲するのではなく、同じ東宝でも太平洋戦争終結までの24時間を描いた実録映画『日本のいちばん長い日』をベースにしていたこと。1967年に製作された岡本喜八監督の傑作である。(村山章)

 『シン・ゴジラ』に登場する重要キャラに牧悟郎という学者がいる。ゴジラの出現を誰よりも早く予見するも、物語が始まった時点ですでに行方不明で、チラリと映る顔写真以外は姿を現わさない。この「牧悟郎」として写っているのが誰あろう岡本喜八監督である。

 喜八自身は怪獣映画を撮ってはいないのだが、『シン・ゴジラ』の庵野秀明総監督はかねてから大ファンを公言しており、生前の喜八との対談では(ちくま文庫『しどろもどろ 映画監督岡本喜八対談集』に収録)『日本のいちばん長い日』と『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)を人生で何度も繰り返し観て、多大な影響を受けた2本に挙げている。

 庵野の細かいカット割りでテンポよくセリフをつなげていくスタイルも喜八作品からの影響が顕著で、劇中に故・喜八を登場させたのがリスペクトの表明であることは間違いない。人名や場所のテロップを多用して膨大な情報をさばく手法や、政府の高官たちが激論を戦わせて国家存亡の危機に立ち向かう群像劇であることも『日本のいちばん長い日』の引き写しだ。では『日本のいちばん長い日』は、喜八にとってどんな映画だったのだろうか?

 『日本のいちばん長い日』は、日本政府がポツダム宣言を受諾し、昭和天皇の「玉音放送」に至るまでの24時間を追った半藤一利のノンフィクション本(当時は大宅壮一名義で出版)の映画化。無条件降伏の決定に苦慮する鈴木貫太郎内閣、本土決戦を主張する陸軍と海軍の反目、政府決定に応じない軍内の反乱など、多種多様な立場が入り乱れる混沌が「終戦」がいかに困難な大事業だったかを浮き彫りにしていく。本作は喜八のキャリアを代表する一本になったが、そもそも監督すること自体に乗り気ではなかったのだから、映画史は実に不思議に満ちている。

 喜八は1924年に鳥取県米子市で生まれ、上京して明治大学に入学。太平洋戦争の最中に卒業して東宝の助監督に採用されるも戦況悪化で軍に招集されてしまう。前線に送られる前に終戦を迎えたが、配属された軍需工場が爆撃されて多くの仲間が死んでいくさまを目の当たりにした。後に「自分たちの世代は、あの戦争で友人の半分が死んだ」と述懐している。

 復員した喜八は東宝に戻り、1958年にラブコメ『結婚のすべて』で監督デビュー。自ら脚本を書いた戦争活劇『独立愚連隊』(1959)など軽妙なコメディーとアクションを得意としたが、根底には反戦への強固な想いがあり、持ち前の反骨精神は終生失われることがなかった。

 喜八が『日本のいちばん長い日』を撮ることになったのは、自作『殺人狂時代』(1967)が「変化球すぎる」とお蔵入りにされた事件に端を発する。存外な不名誉に腐っていたところ、東宝の重鎮プロデューサーだった藤本真澄と話す機会があった。喜八は鬱憤(うっぷん)をぶちまけついでに「棚上げになっている『日本のいちばん長い日』はやるべきじゃないですか」と進言したという。

 『日本のいちばん長い日』はすでに大御所・橋本忍によって脚本化され『人間の條件』(1959〜61)、『切腹』(1963)の小林正樹が監督に決まっていた。一方、喜八は“雲の上のお偉方たち”が活躍する『日本のいちばん長い日』にぶつけようと、自らの戦争体験をもとに『肉弾』(1968)という脚本を書き上げていた。名もない特攻兵の青春と終戦を描く真逆の視点こそが、自分が作るべき映画だという自負があったのだろう。

 ところが藤本は小林正樹との折り合いが悪く、橋本忍の推薦も後押しになって「じゃあお前がやれ」と『日本のいちばん長い日』を喜八に任せてしまう。東宝は創立35周年記念作品を謳い阿南陸軍大将役の三船敏郎をはじめ豪華オールスターキャストを投入したが、社内ではヒットを見込むより製作する意義を重んじる声が大きかったという。

 監督が決まった時点で撮影開始まで3か月しかなかったが、当人は「3か月もあったからいろんなところにロケハンに行けた」と涼しい顔。喜八は短い撮影期間で膨大なキャストと大きな予算を効率的にさばくべく、すべてのショットに詳細な絵コンテを描いた。分厚い絵コンテは「ほとんどマンガのような状態」で、後に書籍として出版されている。

 構成の骨子は橋本忍によるもので、ポツダム宣言から終戦前日までを冒頭30分で描いたのちに、初めて作品タイトルが出る高揚感が素晴らしい。喜八はいつになく重厚な絵作りをしながらも得意の畳みかけるようなテンポをキープ。完成した尺は2時間37分と長く思えるが、他の監督であれば3時間を軽く超えていただろう。

 物語の軸は大きく二つ。一つは終戦内閣として組閣された鈴木貫太郎内閣の無条件降伏をめぐるギリギリの駆け引き。二つ目は一部の将校が決起し、玉音放送を阻止しようと皇居を占拠した「宮城事件」。うだるような暑さの中で国の存亡を左右する攻防が繰り広げられ、白黒の映像自体が熱気を放っているように濃い。

 膨大なカット数、数え切れない出演者、同時多発する非常事態の数々。映画のオチは誰もがわかっている。昭和天皇の肉声がラジオで放送されて太平洋戦争が終わるのだ。しかし常に一触即発の緊迫感が持続し、予定調和はカケラも感じさせない。登場人物と同様に観客の一人一人がヘトヘトになり、針の穴にラクダを通すようにムリを積み重ねてたどり着いたあの戦争の終焉を体感する。それが『日本のいちばん長い日』という映画なのである。

 完成した映画は大ヒットしたが、批評は賛否が渦巻いた。当時のレビューの多くに「戦争指導者を英雄視しているのでは?」という疑念や戸惑いや嫌悪感が見て取れる。国の上層部を描かずに終戦の裏舞台を描くことはできないのだが、当時はまだ多くの人々が戦争との距離感を計りかねていたのだ。

 喜八はそんな批判は百も承知で、「なぜ自分はあの戦争で生き残ったのか?」という抱え続けた疑問の答えを形にしようと可能な限り事実に即した描写にこだわった。その上でラストに「この戦争で300万人が死んだ」という統計的な数字を出すことに固執した。劇中では見えない犠牲者一人一人の存在を300万という数字に託したのだ。

 本作を終えた喜八は東宝を一時的に離れ、念願の『肉弾』に着手する。ATGと提携し、自宅を抵当に入れて製作費をねん出した。『日本のいちばん長い日』で総理大臣を演じた笠智衆は爆撃で両腕を失い小便もままならない古本屋の主人役で出演し、ナレーションを務めた盟友・仲代達矢は『肉弾』でもナレーションを担当。喜八の分身である主人公「あいつ」の声を代弁した。

 個人的な意見を言わせてもらうと、監督の想いが詰まった『肉弾』も素晴らしいが、実は『日本のいちばん長い日』の方が好きだ。撮るつもりがなかった映画に「喜八映画」としか言いようがないスタイルと叫びを注ぎ込み、その軋みが「圧」となってすべてのカットに宿っているように感じるからだ。

 こんな喜八監督が『シン・ゴジラ』に登場し、「わたしは好きにした、君たちも好きにしろ」と言い残してこの世から消えてしまう。彼は日本に何を想い、何を託したかったのか。そこに現実とフィクションが交錯するメッセージが読み取れる気がするのはファンの妄言か否か。『日本のいちばん長い日』と併せて観ると、驚くほど新しい発見があるはずだ。