『怒り』については書きたいことがありすぎました。突っ込んで書けば「犯人探し」要素へのネタバレにつながって未見の方の「怒り」を買いそうだし、早く書かないと編集さんの「怒り」も増す一方だし、とモヤモヤし続けていました。でも、公開されてずいぶん経ったから、もういいわよね!女装のゲイおじさんが書くからには、「ゲイカップル編」の解説中心にいこうと思います。

タイトルの「怒(り)」は、惨殺現場に残された血文字であり、信じていたものに裏切られる怒りであり、信じるべきものを疑ってしまった自分自身への怒りでもありました。全国に報道される逃亡犯の情報から、東京・千葉・沖縄に現れた「素性の知れない身近な男」への疑念が生まれます。今の日本で「素性の知れなさ」を体現するキャラクターとして、沖縄のバックパッカー、千葉の漁港の日雇い労働者、そして東京のゲイが登場するという群像劇。

ゲイは社会的に隠すべきこととされてきたため、昔から新宿2丁目などの盛り場でも「通り名」が基本でした。毎週末のように飲んで笑い合う仲間でも本名は知らない関係ですから、お互いの体を使って欲望を放出し合うだけの「ハッテン場」ではなおさら。もちろんストレートにも風俗に行く人と行かない人がいるようにゲイもいろいろですが、けっこう多いスキモノ派の皆さんは、「暗いから顔もよく分からない相手」とヤルことや、「全く素性の知れない人の家に行ったり、自宅に入れたり」という、普通の感覚ならリスクの高い行為を平気でヤッてきたのがゲイのセックス文化なんです。

昨今の同性婚報道やオネエタレントのイメージで、堅い話題とポップなキャラは伝わっていたでしょうが、一番多数派の「普通に色恋を楽しんでいる、人権運動も女装もしていないゲイ」の、痛みも含んだ実情が、この作品で大々的に表現されたのは画期的だったと思います。鍛えたボディを見せつけ合う派手なクラブパーティ。そこで繰り広げられるオネエ言葉を交えたお仲間トーク。母の前ではいい息子だけど、こっそりゲイ探しの出会い系アプリも使っちゃう。エリートだろうが薄汚れたハッテン場でエグい欲望を吐き出す。でもそこから生まれる本気の想いだって、ある。

妻夫木くん演じる「優馬」と綾野くん演じる「直人」は、実際に同棲までした(も、萌えぇ)というだけあって、どこまでも生々しいゲイカップルを演じてくれました。(唯一、短髪至上主義のハッテン場では、綾野くんの髪型は入店拒否されるはず、というツッコミはありましたが。苦笑)

彼らが語り合った「自分たちが入るお墓に誰が手を合わせてくれるというのだろう」という想いも、ゲイに限らず性的少数者の多くが身に染みるはず。でも、「どんなに心を通わせられても親に彼氏だとは紹介できない」「警察沙汰になってゲイということが公にされるわけにはいかない」というのも多くのゲイにとっての根深い本音であり、それが後悔を生み、自身への怒りともなってしまうのですね。

基地問題をはらんだ沖縄編も重く心にのしかかります。普通の役だけしていても安泰であろう広瀬すずちゃんが、あえて過激な役に取り組む女優魂にもしびれましたし、さすがの森山未來くんの凄み、とそれに負けない新人・佐久本くんの演技合戦もすさまじい。バカ正直な危うい娘と、守りたいからこそ信じきれない父親を描く千葉編も、一般客が一番「わかる」ものでしょう。真似したくなる宮崎あおいちゃんの「お父ちゃん!」、聴こえるか聴こえないかくらいに呟く高畑充希ちゃん、少女から一気におばさんになる永作さんラインだった池脇千鶴ちゃん、と重い作品ながらオネエ好きする役作りもいっぱい。とにかく俳優陣の魅力が全編にわたってみなぎっていました。過酷な現実が多く描かれている分、観終わった後にすっきりしない人も多いでしょうが、そのモヤモヤを抱えること、咀嚼することに意義のある作品です。

社会に渦巻く怒りのうねりが、絶対悪のような不条理な狂気を生み出す。それは避けられない悲劇かもしれません。でも、負の感情の伝播に関わる大半は、優しさも愛も持つはずの普通の人々です。恐怖に怯え疑う心が、普通だったはずの自分や大切な人々をも飲み込んでしまう。わめき散らし破壊する怒りではなく、「本当に恥ずべきことは何か」を自分に問うための「怒り」を。