近年はジャズを歌うなど幅広く活躍中する八代亜紀さん。デビューは1971年と、歌謡曲全盛期を体験した彼女は、今でも忘れられない思い出があるという。

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 70年代から80年代は歌謡曲の全盛時代、ほぼ毎日ゴールデンタイムに歌の生番組があり、賞レースはお祭りのようでしたね。80年はヒット曲が多く生まれて、誰が日本レコード大賞を獲ってもおかしくない感じでしたが、五木ひろしさんの「ふたりの夜明け」と私の「雨の慕情」のどちらかが大賞を獲りそうだと業界が煽り、〈五−八(ごっぱち)戦争〉という言葉まで生まれました。

 五木さんとはまだ売れない時代に銀座のクラブで一緒に歌った“流行歌仲間”だし、戦争だなんていわれても私自身ピンとこないわけです。当時は過密スケジュールをこなすだけで精いっぱいだし、テレビ局からテレビ局への移動の車に看護師さんに乗ってもらって点滴を受けていたくらい(笑)。でも騒動が過熱する中で、「賞を獲るな」とか脅迫めいた手紙を(ほかの歌手のファンを名乗る人から)もらったこともありました。一緒に住んでいた父が心配して、私が事務所の車で仕事に出かけるときと帰ってくるときに大通りまで見送りと出迎えに来ていましたよ。

 ありがたいことに結局、レコード大賞を受賞しましたが、その瞬間、日本武道館の会場で五木さんのもとへ駆け寄り、ありがとうって言いました。彼は唇を噛んで何も言わず、私もちょっと切ない気持ちに。でもいざ受賞曲を歌い始めると、会場の雰囲気が一転したんです。その年の新人賞は田原俊彦君の「ハッとして!Good」や「青い珊瑚礁」の松田聖子ちゃんなどがノミネートされ、「ハッとして……」が受賞していたんですが、会場にいたトシちゃんや聖子ちゃんのファンが「雨の慕情」を一緒に歌ってくれた。雨、雨、ふれふれというサビでは皆が手のひらを天に向ける振り付けをまねて大合唱、感動しました。

 昭和のよき思い出には、藤圭子ちゃんのこともあります。圭子ちゃんは1歳下だけどデビューは2年先輩。クールに見えてあがり性で、楽屋でいつも手が冷たくなって震えているの。「アキさんどうしよう」と言うから、「大丈夫よ」と両手でよく手を温めてあげました。圭子ちゃんが引退してアメリカに渡り、その後結婚して、しばらくして日本に戻ったときに何かの番組で再会したことがあります。リハーサル時にスタジオを小さな女の子が走っていて、圭子ちゃんが「こらっ」と叱っていた。それが宇多田ヒカルちゃんでした。

 あれから数十年、音楽シーンは変わりましたが、私は今もライブを年100日前後行っています。若い子から「生の『舟唄』聴かせて〜」とせがまれる。昭和の歌を今の時代にも受け入れてもらうのは嬉しいですね。お酒はぬるめの燗がいい〜なんて酒通っぽく歌い続けているけれど、本当は私、一滴も飲めないのよ(笑)。

※週刊朝日 2016年9月30日号