1968年に「内山田洋とクールファイブ」にリード・ヴォーカリストとしてデビュー、翌年にソロデビューした前川清さん。妻だった藤圭子さんには今でも感謝しているという。

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 内山田洋とクールファイブは、もともとジャズバンドだったんですよ。クールファイブの「ルルルル〜」「ワワワワ〜」というコーラス、あの音の組み合わせ方は、他のコーラスグループにはないジャズの経験を生かしたものなんですよ。毎回、ちょっとずつ難しい音が入って、「ここが歌いにくいんだけど」と言うと、「そこがシャレてんだから、ここは譲れない」って。今あらためて聞くと、ウチのコーラスはすごかったんだな、コーラスに生かされた部分はあったな、と思います。

 よく棒立ちと言われる僕の歌唱スタイル、あれはもともとバンド時代に楽器を持っていたのが何も持たなくなって、しかも当時は下からせり上がってくるスタンドマイクでハンドマイクはまだないころ。それでいて僕、リズムをとると、気が散っちゃうというか、うまく歌えないんですよね。その名残がそのまま定着しちゃったんですよ。

 デビュー曲の「長崎は今日も雨だった」(69年)。長いタイトルですよね。初めて聞いたときは、なんだか石原裕次郎さんの「夜霧よ今夜もありがとう」の歌い出しに似てるなぁと思ったんです。最初3カ月ぐらいはあまり売れなかったんですが、お昼の番組で1週間毎日歌わせてもらったら、日に何万枚も売れて。すごい反響でした。

 71年に藤圭子さんと結婚し、翌年お別れしました。娘の宇多田ヒカルさんには会ったことはないんですが、いわゆる歌謡曲は歌わなくても、やっぱり声の質感、歌い方、似てるなぁと思います。短い結婚生活でしたが、影響はお互い受けたと思っています。そんな藤圭子という女性がいたからこそ宇多田ヒカルさんという存在も生まれた。今も、1年に1回、彼女の歌を歌うんです。感謝を込めて。

 新たな発見は、2002年に福山雅治さんが作ってくれた「ひまわり」という曲。50回、60回、今までやったことないぐらいテイクを重ねて完成したものを聴いてみたら、俺にこういう響きってあったんだという新しい部分を引き出してくれた。すごいなこの人、と思いましたね。

 95年に発生した阪神・淡路大震災で、72年のヒット曲「そして神戸」があらためて注目され、その年の「紅白」でも歌いました。震災で、愛する人、家族との別れの歌としてとらえてもらった。あらためて歌というものが、いろんな人に届いて、力になっているんだ、と歌の力を強く感じました。

 今、九州朝日放送の旅番組「笑顔まんてんタビ好キ」で、街の方々と触れ合っています。歌番組じゃないのに「歌ってよ」とよく言われます。それでアカペラで歌うだけでも、涙を流して喜んでくれたりする。ああ、歌ってきてよかったんだな、ヒット曲があってよかったなって思うんですね。

※週刊朝日 2016年9月30日号