昭和にはいつも“歌”があった。1950年代の草創期から、70年代の昭和歌謡黄金期を経て、80年代に入ると、音楽のジャンルはさらに広がった。当時のシングル年間チャートとレコード大賞を参考に、アイドル全盛期を振り返る。

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 80年代には松田聖子、松本伊代、早見優、小泉今日子、中森明菜などアイドルも続々誕生した。80年の1位はもんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」。ツインボーカルのクリスタルキングや、顔を黒塗りにした“ドゥワップ”のシャネルズなど新たなバンドも登場。81年に大ヒットし、レコード大賞を受賞した「ルビーの指環」は寺尾聰による切ない大人の失恋ソングで、TBS「ザ・ベストテン」で12週連続1位という記録を達成した。

 82年には女子大生デュオのあみんが、あなたがふり向いてくれなくても待つわ、と健気にコワい女の子の心情を歌い、映画「セーラー服と機関銃」の主題歌を主演の薬師丸ひろ子が歌って大ブレーク。作詞は来生えつこ、作曲は来生たかお。この“きょうだいメーカー”は中森明菜のデビュー曲「スローモーション」や「セカンド・ラブ」も担当している。岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」は日本テレビの火曜サスペンス劇場の主題歌として注目された。

 ところで、“ぶりっ子”“聖子ちゃんカット”で一世を風靡した松田聖子は84年に16枚目の「Rock’nRouge」が3位にチャートイン。週間チャートではデビューから24曲連続1位の記録も持つが、レコード大賞は無冠。対照的に中森明菜は85年「ミ・アモーレ」、86年「DESIRE」と2年続けてレコード大賞を受賞した。聖子はなぜレコード大賞を獲れなかったのか。

 聖子が所属していたサンミュージックの名誉顧問の福田時雄さんは振り返る。

「80年代は演歌の方々、ジャニーズの方々もいましたし、うちの事務所の力不足」

 だが聖子は80年代の歌謡曲において重要な意味を持つ、と音楽評論家の田家秀樹さんは言う。

「松田聖子に多くの詞を提供した松本隆は日本のロックの元祖はっぴいえんどのメンバーであり、作曲陣には同じくはっぴいえんどの大滝詠一や細野晴臣がいれば、ユーミン、財津和夫もいる。80年代の日本のポップスのいちばんいいところが詰まっているんです。聖子の曲とともに、歌謡曲の言葉が変わり、良質な音楽になっていきました」

 80年代には、佐野元春、ハウンドドッグなどのロックのほか、アーティスト性をもったアイドル歌手も人気になった。特に83年にデビューしたチェッカーズは、売野雅勇作詞、芹澤廣明作曲による、フィフティーズなどの要素をうまく盛り込んだ不良スタイルで「涙のリクエスト」でブレーク。前髪の一部をたらした髪形“チェッカーズカット”も流行。“チェッカーズ現象”が起きた。

 85年にはひとつのバラエティー番組がスタートする。

「夕やけニャンニャン」。秋元康プロデュースで番組アシスタントとして結成された、おニャン子クラブは、素人感ただようグループアイドル。同じく秋元が手がけ、2000年代後半から現在に至るまでのグループアイドルブームを牽引するAKB48の先駆けのような存在だった。
 
 80年代において、ジャニーズ勢の活躍はめざましかった。80年の近藤真彦のデビュー曲「スニーカーぶる〜す」は、100万枚を超える売り上げ。シブがき隊、少年隊など人気グループが次々誕生し、87年には光GENJIがデビュー。デビュー曲「STAR LIGHT」の作曲はチャゲ&飛鳥、作詞は飛鳥涼だ。90年代にデビューしたKinKi Kids山下達郎が曲を提供している。

「踊りやそれまでにない洋楽の要素を取り入れてきたところが革命的。形は欧米だが日本的なタイトルのミュージカルをしたり、アメリカに対抗する意識を(ジャニー喜多川さんは)60年代から持ち続けているようにみえます」(前出の田家さん)

 89年、昭和の最後の年の年間売り上げ1位、2位を独占したのは、ガールズバンドの頂点とされるプリンセス・プリンセスだ。同時期に起きたバンドブームに乗り、作詞・作曲の技も磨いてブームを牽引した。

 同年のレコード大賞では“事件”が起きた。大賞がWinkの「淋しい熱帯魚」で、次点が美空ひばりの「川の流れのように」。ひばりがWinkに負けてしまった……。翌年から92年まで「演歌・歌謡曲部門」「ポップス・ロック部門」に分かれるきっかけだといわれる。

 ビーイング代表、日本コロムビア社長などを歴任した中島正雄さんは言う。

「これ以降、ヒット曲は数週間の勝負になった。売り方を変えず、時代と関係なく一定の売り上げを保っているのは実は演歌。作曲家の鈴木淳さんが言ってました。『昔のヒット曲には必ず発明があった』と。どの曲も、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、鮮明に思い出せる。それは、それぞれの曲に、発明があったから。今の歌謡界は成熟しすぎてしまったんでしょう」

(編集部・藤村かおり、太田サトル)

※週刊朝日 2016年9月30日号