ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「宇多田ヒカル」を取り上げる。

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 宇多田ヒカル大先生が、長い人間活動を経て本格的に再始動をされました。6年間もお休みになっていたとのこと。先だってステージ復帰を発表した明菜さんも7年ぶりの復帰です。6、7年前というと、ちょうど『オネエブーム』真っ盛りの時で、当時テレビを席巻していたオカマたちから逃げるかのように、おふたりとも表舞台から去って行ったのが昨日のことのように思い出されます。しかし、私もしぶとくテレビ界に生き残った甲斐あって、こうして彼女たちのカムバックを、6年前と同じようにワイドショーで知ることができ嬉しい限りです。

 宇多田さんがデビューしたのは、私が24歳の時でした。ちょうどイギリスから帰国したばかりで、レコード会社にデモテープを持って行っては箸にも棒にもかからず、気付いたら女装でステージに立っていた時代。「UK帰りのゲイ・シンガー」というまったく需要のなさそうな触れ込みで、勝手に将来を有望視していた薄顔青年の前に、15歳の宇多田さんは颯爽と濃い眉毛で現れ、一世を風靡してみせました。

 彼女の出現により、私の中で「宇多田以前・宇多田以降」という時代の境界線が生まれ、「以降」の音楽は、ほぼすべてが「最近のもの」として分類されるようになって現在に至ります。言うならば、私が一生懸命聴いた邦楽は、宇多田ヒカルが最後かもしれません。何が言いたいかというと、見ず知らずの宇多田ヒカルという女は、それまでダラダラ楽観的に送ってきた男の人生を、一気に「焦らせた」のです。私をドラァグクイーンのステージに急がせたのも、「宇多田以前」の歌謡曲を唄わせたのも、10年ぐらいほとんど英語を封印し、ミッツ・マングローブとしての人格に集中させたのも、すべて「宇多田の出現」によるものだったと仮定すると、宇多田さんは私を素人からプロにしてくれた「恩人」ということになります。そうだったんだ。ありがとう、ヒッキー。

 さて、そんな宇多田さんを想う時、必ずセットで思い出すのが、倉木麻衣さんです。私は倉木さんが醸す「大人に翻弄される歯痒さ」も好きでした。今や私も「マツコの二番煎じ」と揶揄(やゆ)される立場として、彼女ほど明白な打ち出し方で、あれほどの成功を収めたというのは、むしろとんでもない偉業だったのではと思うのです。今一度、彼女のデビュー曲「Love, Day After Tomorrow」のPVを観て頂きたい。すでに成功例があって、需要が有り余っているところに飛びつかないのは、資本主義ではありません。倉木さんの場合は、本家・宇多田以上に実存が曖昧で、性(さが)や業が丸出しな宇多田さんに相対して、ほとんど意思や感情や体温が感じられないという点で、宇多田よりも「商品」として成立し易かったのかもしれません。しかし、その単なるオトナのプロダクトに徹せざるを得なかった倉木さんの戸惑いと図太さと信念こそが、彼女の深い性(さが)だったのだと、20年近くの年月を経て感じ入る今日この頃です。なんと愛おしい!

 ここ数年、アルバムのリリースが途絶えている倉木さん。忘れられないのは、2005年の紅白歌合戦に出場された時、対戦相手が美川憲一さんだったことです。大晦日の幻として処理されたような身の毛もよだつ組み合わせでした。倉木さんこそ、人間活動をなさっているのかもしれません。

※週刊朝日  2016年10月14日号