夫・稀音家義丸(きねや・よしまる)さんは邦楽界では演奏家の重鎮であり、邦楽研究家としても知られる。妻・犬飼昌子さんは人形収集家にして稀音家義之の名を持つ長唄演奏家。さまざまな顔を持つ夫婦の笑顔はなんとも穏やか、会話は洒脱。ともに80歳を超えた夫婦の出会いは、やはり長唄から。

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夫:私のところは、嫁の来てがなくて大変だったんですよ。なぜって、芸事の家というのは収入がめちゃくちゃ。あるときはあるんだけど、ないときはまったく、一銭たりともない。で、お弟子の女性に囲まれていますでしょう。見かけは派手な、内実は貧乏人ですからね。いまだに常時そうですけど。ははは。

 候補者だけはたくさんいたけど、そんなところへ娘を嫁がせようなんて考え
る親はいません(笑)。

妻:でも、私は初対面のときから結婚する人だと思っておりました。

夫:もとはといえば、3代前から知っていたんです。名古屋で生まれた私の父、稀音家和喜次郎が、稀音家和三郎に内弟子に入ったときから縁ができたようです。
妻 その和三郎の隣に住んでいた私の母方の曽祖父母が、まだ子どもだった義父(和喜次郎)をかわいがったそうで、大正初年にさかのぼるそうです。私の祖母もやはり長唄をやっておりまして、のちに大磯で伊藤博文公をはじめ、そうそうたる人々に手ほどきをしているんです。

夫:長唄、三味線は当時の教養の一つでしたからね。

妻:そんなご縁でつながっていたと知ったのは、結婚後のことですけれど。

夫:僕らが知り合ったのは東京です。この人はちゃきちゃきの神田っ子ですから。前からおさらい会を通して知っていたんだけど、あなたが何かの折、三味線を届けてくれたのが、きっかけだったんじゃない? そのとき、「嫁に来る気ある?」って聞いたら、その日のうちに「はい」。

妻:あとはパッパと何秒かで決まったと思います。

夫:私の親父が難物で、何事も茶化すんです。長唄以外のことは子どもみたいな人でしてね。まあ、私が育てたようなもんです。そんな親父に横やり入れられたら大変だから急いだ(笑)。

妻:私の父は旧大蔵省御用達の印刷用銅版が専門の銅版屋でした。お札を印刷するだけありまして、それは堅い家でした。子どものころ「おうちのお仕事は?」と聞かれると、「大蔵省御用達」から言うようにと教えられておりました(笑)。ですから、何度も申し上げますが、ご縁としか言いようがありませんね。

――結婚は、1959年3月2日。皇居前ののちのパレスホテルで挙式。この結婚は、妻にとって思いもよらない世界をもたらした。

妻:お仲人をしてくださった長唄の二代目吉住小三蔵師匠から、結婚にあたって「犬飼となりて嬉しき雛の宵」という祝句をいただきまして、その日本語の美しさに感動したのですが、さらに犬飼家でお雛さまを見て驚いたのです。

 それは北白川宮家(旧皇族)から拝領の素晴らしい細工のお雛さまで、以来、私は見立雛の収集を始めるのです。もともと小さな玩具や細工物に興味があったのですけれど、趣味が本格化いたしました。

※週刊朝日  2016年9月23日号より抜粋