海の見える家での暮らしやごはんを、イラストとエッセーで紹介する妻・こぐれひでこさん。雑誌やコマーシャルの写真家として活躍する夫・小暮徹さん。出会いから51年経ったいまも「徹くん」「ひでこさん」と呼び合う仲の良さだ。出会いから結婚、パリでの生活を振り返る。

*  *  *
妻:出会いは大学の入学手続きのとき。私は「小柴」でこの人が「小暮」。だから「小暮徹」の次に自分の名前を書いた。それが最初。

夫:ひでこさんはちっちゃくって、かわいらしい人でしたよ。明るくて、ハッキリしてて、よく笑うしね。

妻:1年生のとき、女3人男2人で奥日光に写生旅行に行ったよね。それが付き合うきっかけかなあ。あと新潟のほうにも鈍行列車で行ったね。

夫:直江津の駅で電車がなくなっちゃって。

妻:そうそう、駅の中で寝たね。特別に劇的な出来事はなかったけど、そうやってだんだん仲良くなったのかな。音楽好きっていうのも共通項だったね。

夫:いまもテレビで「懐かしの歌謡曲」なんて特番をやっていると、二人で2時間ずっと歌ってます。

――1969年に大学を卒業した二人は、その5月に結婚。交際期間3年とはいえ、なかなかのスピード婚だ。

妻:素早かったね。私がそのころ引っ越しをして。

夫:そこに僕がボストンバッグ1個で転がり込んだんです。「じゃ、結婚しますか」となった。

妻:親が「あらあらあら」って言うくらい、あっという間。

夫:当時、僕は大学院に行きながら、高校の美術講師をしていました。お金が足りないから、郵便配達のアルバイトもしていた。

妻:私は通信教育の学校で美術の講師をしながら、趣味で洋裁の学校に行ったんです。学校はすぐ辞めちゃったけど、それから自分で服のデザインをするようになった。

夫:西武デパートに1週間だけ店を出したりしてたよね。僕はそのころ、まだ写真は全然やってない。ただ、ひでこさんの友達のつながりで、音楽誌やミニコミ誌のデザインをしてて、暗室はあったんだ。アパートのお風呂を改造してね。

妻:だから部屋にお風呂なかったんだよね。

夫:そう、ひでこさんはよく流しでお風呂に入ってた。

――やがて夫は写真に興味を持ち始め、妻は洋服のデザインを本格的にやりたいと考え始める。そして71年、二人は一緒にパリに行くことを決めた。

夫:なぜパリだったか? そりゃあ、写真と洋服と言ったらパリでしょう(笑)。

妻:私たち、そんなに理由をつけて動いたりしないの。でもあえて言うならば、学生時代にヌーヴェルヴァーグの映画はよく見ていたよね。ゴダールの「勝手にしやがれ」やトリュフォーの「大人は判ってくれない」……ああいう感覚がとっても好きだった。

夫:お互い仕事を辞めて行ったけど、「決意した!」って感じでもない。

妻:24歳といってもまだ社会的な地位もないし、大人になりきってない高校生みたいな感じだったから。

夫:で、僕は向こうでイギリス人写真家のアシスタントの仕事をして。

妻:私はパリにあった日本の洋服メーカーでお直し係をしてました。あるとき自分で作った服を着て歩いていたら、フランス人に声をかけられたの。「その服、どこで買ったんだ?」って。彼らは洋服の会社をやるためにデザイナーを探していたんです。それが縁で彼らの会社でデザイナーとして働くことになった。

――このときの経験がいまの自分たちの原点を作ったと、二人は振り返る。

妻:パリは楽しかったですよ。毎日、ドキドキハラハラで。でも私たち、いつも一緒だったわけじゃないんです。私は布地屋さんやボタン屋さんに行ったり、徹くんは美術館に行ったり、写真の勉強をしたり。それぞれに何かを見つけてた。

夫:ただ、のみの市には一緒によく行ったよね。

妻:そう! 朝真っ暗なうちから出かけて「今日はこれを手に入れた!」って競い合っちゃって。

夫:夫婦の転機はやっぱりパリだと思う。

妻:私もそう思う。このころの経験がいまの自分たちと仕事の“もと”を作っている。私たちはね、「なんでも一緒」じゃないんです。お互いが自立していて、くっつくときはくっつく。もともとそうだったけど、パリでそれが確立されたかな。

※週刊朝日  2016年10月21日号より抜粋