医療事故の再発防止を目的に、医療事故調査制度が始まってまもなく1年。制度を活用するかは医療機関の判断次第という仕組みが、今も遺族を苦しめる。

 日曜日の夜9時を過ぎたころ、首都圏在住のAさん(67)の携帯が鳴った。義兄(65)からだった。

「俺はだまされた。同意書を求めた医師じゃない研修医が手術して、妻が気を失った」

 2015年10月下旬の朝、Aさんの姉(当時71)は、自宅でベッドから椅子に移ろうとした際に転倒し、頭を打った。近所の人に連れられ、救急搬送された。

 Aさんサイドの説明によると、病院に駆けつけた義兄に、医師は緊急性を強調した。CTで頭の異常は見られなかったが、血液検査でカリウムの数値が正常値の半分以下であることがわかったのだという。

 放置すると命に関わる不整脈に移行する可能性があるとして、早急な対処を提案された。

 手術では安全に点滴を入れるため、首の下から中心静脈へカテーテルを入れると言われた。血液検査でアルブミン値が低く、出血しやすいこともわかっていた。義兄は不安を医師にぶつけたが、医師からは「経験も十分にある。安心してください」と説明されたという。

 義兄は入院準備のために一時帰宅。約2時間後、別の医師から電話があった。

「奥さんの容体が急変した」

 急いで病院に戻ると、研修医だという、その電話の医師が執刀したと説明された。カテーテル挿入時に深く針が入り、動脈が損傷。大量出血で脈拍が感知できなくなったとして、心臓マッサージを受けていた。

 Aさんはこう振り返る。

「『首下ではなく、太ももなどから挿入する方法もあった。判断を間違ったかもしれない』と医師は言っていた」

 3日後、姉は帰らぬ人となる。病院側はこう提案した。

「医療事故調査制度を使い、当病院のなかで終わらせるのではなく、第三者を入れて、真実を明らかにしたい」

●目的は再発防止

 医療事故調査制度とは何か。1990年代末、大学病院などで医療事故が相次ぎ、医療不信が広がった。遺族を含めた議論が重ねられ、責任追及ではなく、原因究明・再発防止を目的にすることで合意し、昨年10月から施行されたばかりだった。

 主なポイントは、国内のすべての医療機関で管理者が「予期せぬ死」と判断した場合、第三者機関である医療事故調査・支援センター(以下、センター)へ報告をしなければならないと義務付けたことだ。その後、医療機関は内部調査で事故原因を調べ、その結果を遺族へ説明するとともに、センターへ書面で報告する。センターは全国から集まった報告書を整理・分析し、再発防止策を医療機関に周知することで医療安全の確保を目指す。遺族が調査を請求することはできない一方、医療機関が実施した内部調査の結果に納得ができなければ、遺族はセンターに再調査を依頼できる。

 制度開始からまもなく1年。医療機関からの報告数は8月末までの11カ月で356件だった。年1300〜2千件とされていた想定数を大きく下回る。

●納得できない遺族も

 医療従事者の個人の責任を追及することを目的とした制度ではないが、患者側にとってこの制度はどう機能しているのか。

 東京都内の40代女性は昨年11月、母親(当時68)を失った。初期の食道がんで入院した母親は、もともと抗がん剤での治療に強い抵抗を示していた。女性は医師を信じ、母親を説得した。

 しかし、抗がん剤の投与から3日目に強い吐き気に襲われ、食事もできない状態に。入院から1カ月足らずで死亡した。死の4日前、ICUに運ばれる母親に「頑張ってね」と声をかけると、母親は声を絞り出した。

「これ以上、どう頑張ればいいの?」

 親子最後の会話になった。

 女性は言う。

「末期がんであれば納得はいきますが、なぜ医者の言う通りにしてこんな結果になるのか」

「予期せぬ死」と判断した病院は、制度に基づいて院内調査を実施したが、その報告がさらに女性を傷つけた。

「最初は口頭で説明する、と書類を出そうともしなかった。最終的に書類を出したが、A4用紙2枚で担当者名すら書いてなかった」

 冒頭のAさんも、説明で納得できたわけではない。

「専門用語で説明され、質問の時間も十分与えられなかった」

 Aさんは医学用語が並ぶ報告書を独学で読み解き、病院に対して質問状を送った。

 質問状に対する8月の回答では、病院側の説明も当初の報告書の結論とは違っていた。

「動脈の出血による合併症が原因だと。医療事故はあったが、ミスはない。病院に過失はないと、はっきり言われました」

 納得できないAさんらは、センターに再調査を依頼した。

 アエラの取材に対し、病院側は「第三者機関のセンター調査がこれから始まる。遺族と協議中のため、現段階でのコメントは差し控えたい」と回答した。

 再調査で決着がつかなければ、次は裁判しかない。

 通常の民事裁判で原告側の勝訴率が80%を超える一方、医療訴訟では20.6%(15年)。平均審理期間も約2年と長く、訴える側の経済的な負担も大きくなる。医学用語が羅列されるカルテ1枚読み解くにも時間がかかり、起訴に至る前に泣き寝入りする遺族が多いのが現状だ。

 医療事件を専門に手掛ける石黒麻利子弁護士(54)は、こんな気になる指摘をする。

「それほど大変な手術ではなくても、死亡リスクが同意書に印刷文字で記入されているケースが目立つようになっている。同意書に書いてあれば『予期せぬ死』にならず、センターに届け出る必要もないだろうという発想を病院側が持っているとすれば問題です」

 医療安全が専門の名古屋大学医学部附属病院の長尾能雅副病院長(47)の試算では、医療行為に伴う年間の死者数は、過失の疑いを否定できない死亡が500〜1500人程度。その他、やむを得ない合併症と考えられる死亡は3万人程度という。

 少なくとも医療事故調査制度の年間の届け出数は、前者の数字に近くなるのが自然だろう。

 長尾さんはこう話す。

「医療安全に長年求められてきたのは、過失の疑いを否定できない人為的ミスによる不幸な死亡を減らすこと。再発防止のためには丁寧な調査が必要だ。しかし、制度では『予期せぬ死』の判断に幅を持たせているため、何から調査すべきかわかりにくい。調査の精度も医療機関により異なっており、それらも標準化する必要がある」

 医療過誤による被害者とその遺族のサポートをする医療過誤原告の会には、年間150件を超える相談が届く。宮脇正和会長(66)は、こう話す。

「医療事故調査制度は医療者側に立ったものであり、被害者は置き去りにされたままだ。遺族側から院内調査を依頼できる体制にしなければ、医療の安全は獲得できない」

●早くも制度を一部改正

 こうした患者側の声を受け、今年6月に制度が一部、改正された。センターを運営する日本医療安全調査機構の木村壯介常務理事(72)はこう説明する。

「医療機関が『予期せぬ死』と判断しなくとも、センターに届いた遺族の調査要望を医療機関に伝えられるように改正されています。法的に強制力はないが、遺族の声が医療機関へ伝わる第一歩になりました。また、全国にある支援団体が協議会をつくり、予期せぬ死の判断基準を標準化する方向で検討も始まっています」

 見えてきた多くの課題。同制度に命を吹き込むには、まだまだ議論が必要なようだ。(編集部・澤田晃宏)

※AERA 2016年9月26日号