今年のノーベル医学生理学賞が、大隅良典・東京工業大学栄誉教授(71)に決まった。喜びの声とともに、大隅さんが訴えたことがある。

「研究生活に入ってから、ノーベル賞は私の意識のまったく外にありました」

 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった10月3日の記者会見で、大隅良典さんはこう話した。

●賞には無関心だったが

「本当に賞に無関心な方です。でも、ある時から、自分が受賞することで基礎科学の重要性をアピールできるならもらってもいいとおっしゃるようになった」

 と、弟子でともに研究する大阪大学教授の吉森保さんは言う。

 大隅さんは2009年の朝日賞、12年の京都賞、15年のガードナー国際賞など受賞のたびに、基礎研究の重要性を訴えてきた。ノーベル賞受賞が決まった後も、

「一つだけ強調したいのは、私が研究を始めた時は『病気に役立つ』などと確信して始めたわけではない。基礎研究はそういうものだと認識してほしい」

 と力を込めた。なぜ、大隅さんは繰り返しそう訴えるのか。

 大隅さんが長年取り組んできた細胞生物学の基礎研究は、研究成果をすぐに事業化できる分野とはほど遠い。

 受賞理由になった「オートファジー」は、細胞が自身の成分を分解する現象だ。大隅さんは1988年からオートファジーの研究を続け、93年にオートファジーに関連する遺伝子を解明。その後、吉森さんや東京大学教授の水島昇さんらの弟子たちが、マウスやヒトなど哺乳類でもほぼ同じ遺伝子が働いていることや、神経変性疾患やがんの発症に関わりうることを明らかにするにつれて、世界中でオートファジー研究が過熱した。

 関連の年間論文数は90年代には世界で数十本だったのが00年に100本を超え、08年に1千本超、15年には5千本近くと急増した。

 最近でこそ、「オートファジーを活性化することで、有効な治療薬がほとんどない神経変性疾患を治療できるのではと期待されています。オートファジーに着目したがんの薬の臨床試験はすでに米国で始まっています」(水島さん)などと、医療応用への報告も出てきている。しかし、基礎生物学研究所(愛知県岡崎市)で大隅さんとオートファジーの研究に取り組んだ水島さんと吉森さんは、90年代後半当時、オートファジーが「役に立つ」とは誰も考えなかったと口をそろえる。

●高校時代も好奇心旺盛

「役に立つ」より「面白い」を優先するのは、若い頃からだったようだ。福岡県立福岡高校時代、化学部でいっしょだった得田悟朗さん(72)は大隅さんのことをこう振り返る。

「顧問の先生から与えられるテーマはちゃっちゃと早めに片付けて、いかに面白いことをするかに熱中してました。水素ガスを大量に発生させたり、火薬を作ったりもしょっちゅう。よく事故が起きなかったと今になってヒヤヒヤするほどです」

 大隅さんは会見で静かに語った。

「『役に立つ』という言葉が、数年後に事業化できることと同義語になっていることに問題がある。本当に役に立つことは10年後、20年後、あるいは100年後かもしれない」

 国が、産業応用に直接関係がある「役立つ研究」に比べ、基礎研究を軽視しているのは、研究費の配分から見て取れる。

●基礎研究の軽視に警鐘

「私の研究のほとんどは、科学研究費助成事業(科研費)に支えられた」

 と大隅さんが語る、科研費を見てみよう。国が科学研究を支援する研究費の一つで、基礎研究にとって科研費の取得が第一選択肢になる。しかし、年3兆4千億円という国の科学技術関係予算のうち、科研費は2300億円弱。しかも、全国の研究者の応募に対する採択率は3割に届かない。申請書では、基礎研究でさえ、「何の役に立つか」を書く必要がある。

「研究費配分の問題もあるが、深刻なのは研究者を目指す人が減っていること。不安定な研究者にわざわざなろうという人は少ない。このままだと日本の科学は壊滅的で、大隅先生は、私たち研究者の声を代弁しているんです」(吉森さん)

 研究を「役立つ」ものへと「選択と集中」させる傾向は、04年に国立大学が独立行政法人化して以降強まったが、その結果、日本の研究開発の国際競争力が著しく低下したと指摘される。日本の論文数はこの10年で、世界2位から5位に転落した。

 大隅さんらが先行したことで、これまで日本の研究者がリードしていたオートファジー研究でも、政府が大規模に基礎研究へのてこ入れを続ける中国の研究者が急速に追い上げているという。

「日本の研究環境がこれ以上悪くなるなら、研究者の海外流出は否めません。中国やサウジアラビア、シンガポールなど他に行くところはあります。でも、研究者がいなくなったら日本の研究環境はもう立て直せない」(吉森さん)

 今年で3年連続、00年以降で17人の日本人がノーベル賞を受賞しているが、多くは20〜30年前の研究が対象になっている。今の研究環境が改善されなければ、いずれ「冬の時代」が来るとの危機感は研究者の間で根強い。(編集部・長倉克枝、石臥薫子)

※AERA 2016年10月17日増大号