ジャーナリストの田原総一朗氏が、天皇制を論じる。

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 9月30日の「朝まで生テレビ!」は、8月に引き続き、天皇の「生前退位」問題を討論した。途中から、日本人にとって天皇とはどういう存在なのか、という議論になった。

 私は、若いときは天皇制に反対だった。天皇は日本国の最高責任者であり、当然ながら戦争責任がある。だから退位すべきであり、そもそも戦後の民主主義に天皇制はなじまない、ととらえていた。日本は将来、社会主義になるべきだと考えていた。

 その考え方が変わったのは、1965年にソ連に行ったためである。この年にモスクワで、世界ドキュメンタリー会議が開催され、なぜか日本から私が出席することになった。

 実はこのときまで、私はソ連が理想的な国だと考えていた。ところがその1年前、スターリンを批判して理想的なトップとして登場したフルシチョフが失脚した。そこで、フルシチョフ失脚について、モスクワ大学の学生たちに説明を聞きたいと思い、ディスカッションを申し入れ、その願いは聞き入れられて10人ばかりの学生を用意してくれた。

 ところが、私が質問をすると、学生たちは顔面蒼白(そうはく)、唇がふるえんばかりの状態となって、コーディネーターが、「そんな質問は許さない」と怒鳴った。そのことで私は、ソ連には言論の自由というものがまったくないことを知り、共産主義というものに決定的不信感を抱いた。だが、帰国して、そのことを言えなかった。言ったら私はパージされていたと思う。日本のメディア界が左翼志向であったためだ。そして、あらためて天皇の存在に強い関心を抱いた。

 一般的に「天下をとる」とはその国の最高位になることだが、日本ではなぜか源頼朝にしても足利尊氏にしても、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も、いずれも自分の上に天皇という存在を置いた。天皇から征夷大将軍という役割をもらったというかたちになっている。いずれの時代にも、天皇に力らしい力はなく、財政も将軍や大名たちに頼っていた。

 たとえば中国では、新しい実力者が古い皇帝を倒して天下をとるのが当たり前になっている。日本は仏教をはじめ多くの文化を中国から受け入れているのに、なぜ、天皇を最高位に置くという伝統は守ったのか。

 たとえば家康が天下をとったとき、相談相手である上野・寛永寺の天海僧正は、天皇を廃止したほうが良いと進言したが、家康はこればかりは聞き入れなかったということだ。明治維新にしても、西郷隆盛や大久保利通たちは、16歳の少年である天皇を手中にすることで、300年近く続いた江戸幕府を倒すことができた。

 さらに太平洋戦争に敗れたとき、占領軍としては当然ながら、最高責任者である天皇の戦争責任を追及すべきであり、現にソ連やオーストラリアなど少なからぬ国が、天皇を戦争裁判にかけるべきだと主張した。だが、占領軍の最高司令官であるマッカーサー元帥は、天皇を裁判にかけることには反対で、だから占領軍より上位となる極東委員会がつくられる前に、大急ぎで憲法草案をつくり、天皇を象徴というかたちで固めることで、裁判にかけるのを回避したのだと言われている。

 マッカーサー元帥は、日本の占領政策をうまくいかせるために、いわば天皇を利用したのだ。これは徳川家康が天海僧正に従わなかったのと重なる。天皇とは日本人にとってどういう存在なのか、議論はどんどん深まったが、そこは見えなかった。

※週刊朝日 2016年10月21日号