天皇陛下の生前退位などを検討する有識者会議のメンバー6人が決まり、議論が本格化しそうだ。この問題で皇室への注目度が一段と高まっている。一方、今年は空前の「角栄ブーム」も続いている。天皇と田中角栄の関係性をノンフィクション作家の保阪正康さんが読み解く──。

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 天皇と田中角栄が国民の関心事となっている。その背景を考察するため、「昭和」という時代を三つに分けて整理してみよう。

 まず、昭和元年から昭和20年9月2日まで。太平洋戦争を進めてきた日本は同年8月15日、ポツダム宣言を受諾する意思表示をして敗戦を受け入れた。だが、国際法的には9月2日が敗戦となる。ここまでを「昭和前期」とする。

 敗戦の結果、米国を中心とする連合国の占領支配を受ける。サンフランシスコ講和会議で講和条約が結ばれ、日本が国際社会へ復帰するまでが「昭和中期」。敗戦から講和条約が発効された昭和27年4月28日までの6年8カ月だ。

 それ以後、昭和64年1月7日までを「昭和後期」としたい。

 この三つの時代には、総勢32人の首相がいた。昭和前期に15人。中期に5人。後期に12人。それぞれの時代を代表する総理大臣は誰だろうか。

 昭和前期の中心は太平洋戦争だったのだから、やはり東條英機ということになる。軍人首相と言っていい。

 昭和中期は占領期で、米国を中心とする連合国との間にどういう関係をつくるかが最大の課題だった。その点では、外交官出身の吉田茂が代表的な総理大臣と言っていいだろう。

 昭和後期は誰か。「沖縄を返してもらった佐藤栄作だろう」「高度経済成長政策を採った池田勇人じゃないか」など、いろいろな考えがあるだろう。私は、もっとも妥当性のあるのは田中角栄だと考える。戦後民主主義を具体的に体現した首相だったからである。

 昭和中期に新憲法が施行され、女性が選挙権を得た。ほかの様々な市民的権利も実ってくる。GHQの占領支配が終わって昭和後期になると、本格的なデモクラシーの時代を迎える(戦後民主主義あるいはアメリカンデモクラシーと呼ぶ)。田中角栄はその時代を代表する存在だった。

 票を集めて多数派を形成するのが、政治的権力である。大衆的な「集票の個性」をもっていないと、首相の座に就けない。田中にはそれがあった。戦争に負けて散々な目に遭った日本は、この時期に復興していく。高度経済成長を突き詰めていく田中の存在は、復興のシンボルたり得た。

 田中は、「便利だ」「おいしいものを食べたい」「いい暮らしがしたい」という私たちの欲望を政策化した初めての政治家だった。きれいごとは言わない。国民の欲望をそのまま、正直に政策化した。

 東條英機、吉田茂と田中角栄を並べてみると、すぐにその違いに気づく。

 東條は陸軍大学校、吉田は東大法学部を出たエリート。田中は学歴に頼らず、自分の力でのし上がった。昭和前期、中期であれば、官僚制の底辺にいるような存在だっただろう。それが、戦後民主主義の中では首相になることが可能だ。

 首相になると、天皇としばしば会う。官僚出身者、あるいは長く政治家をしてきた人たちは、天皇に会ううえでのルールについて、ごく自然に覚える。

 例えば、東條英機の時代であれば、天皇のところに上奏に赴いたとき、天皇の目を見ないというのがルールだった。目を見ると天皇の考え方が分かるから、決して見ない。戦後であれば、政治と距離をおいた天皇からの質問にも、詳しい話はできない。政治的判断を天皇に求めることになってしまうからだ。

 田中角栄は、そうしたルールを見事に破った。

 田中が首相だったときの宮内庁長官・宇佐美毅によると、天皇に内奏をした田中の退出後、天皇は驚いた表情をしていたという。

 ふつう、内奏は5〜10分程度だが、田中は30分ぐらい使っていた。天皇が「経済はうまくいっていますか、どうですか」と聞く。佐藤栄作や池田勇人なら「景気は一時的に悪いですけど、大丈夫です」などと抽象的に答える。

 ところが田中は、次の国家予算や貿易収支の額から赤字国債の発行予定まで延々と説明し、「私の内閣において、このことを実行します」みたいなことまで言っていたという。天皇はびっくりしたわけだ。

 様々な関係者の話を聞いた私の結論だと、田中は天皇への尊崇の念を他の首相よりは持っていない。持たないことが彼の強みでもあった。

 天皇は自分の前に上奏に来る人物は、官僚出身者、あるいは練達な政治家ばかりだったから、どういう態度をとるかを知っている。だから、田中角栄を初めて見たときには愕然としたに違いない。「この男は、私を陥れるのではないか。私に敵対しているのではないか」と。

 昭和中期には社会党の片山哲が首相になっている。社会主義、共産主義というのは、天皇制にとって最大の敵。天皇は「大丈夫だろうか」と不安に思ったはずだ。でも、片山はクリスチャンで社会民主主義者であり、共産主義とは一線を画していた。話をしているうちに、天皇は片山を大好きになったらしい。片山の首相退陣後も、事あるごとに片山が宮中へ来られるような行事を考えるよう、侍従たちに言っている。

 田中角栄は無論、共産主義者ではない。しかし、天皇を前にした田中の態度は、他の首相とは違った。田中ほど、天皇に明確な立場をとった人はいない。俗っぽい言葉で言うと、天皇に対し、「あなたも人間だろう。いや、立場上、大変なのはわかる。でも、私も大変なんです」と。そういう態度だったと思える。

※週刊朝日  2016年10月21日号より抜粋