天皇陛下の生前退位問題で皇室への注目度が一段と高まっている。また、今年は空前の「角栄ブーム」も続いている。両者が同時に脚光を浴びているのはなぜか。ノンフィクション作家の保阪正康さんが読み解く──。

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 昭和史を検証するとき、例えば、昭和前期の太平洋戦争に至る昭和16年の4月から12月に至る日米交渉、御前会議、大本営政府連絡会議など記録を見ると、天皇に対する尊崇の念と、天皇が間接的に言った内容がいずれもきれいな表現で残されている。

 だが、本質はそうではない。天皇が存在する目的は、皇統(天皇の血統)を守ること。その手段として、戦争も選ぶし、平和も選ぶ。多くの人はそこを誤解し、昭和天皇は抗戦主義者だ、和平主義者だと言うけれど、どちらでもない。皇統を守るのが天皇の本来の役目であり、そこに強い使命感を持っているというべきである。今の天皇もそうである。

 昭和16年の各種の会議録を丹念に読むと、きれいな言葉で綴られているにせよ、軍事指導者たちが言わんとすることは明確だった。「戦争しないと、この国はつぶれます。あなた、決断して下さい。我々はいつでもやりますよ。このまま石油も入らず、三等国、四等国になっていいんですか。皇祖皇宗にどう申し開きをされますか」という話だ。

 天皇は「私はあまりやりたくない」と考える。しかし、軍部は「そんなこと言っている場合じゃない。やったら勝つか? 勝つと思う」と。「じゃあ、やろう」となって、真珠湾をたたいて戦争に入った。

 天皇はその後1年もしないうちに「しまった。戦争はやるべきではなかった」と思い直している。戦争に勝っても負けても、皇統を守る保証にならないと気づいた。自らも認めた戦争だが、もはや天皇には抑えが利かない。しかも、軍事指導者たちは戦果について嘘八百を報告する。

昭和天皇は昭和17年12月、伊勢神宮へ参拝し、神武天皇からの皇祖皇宗に「私は戦争を選択しました」と報告する。前日に京都の御所に泊まった際、天皇の心理状態は困惑の中にある。ふだん話もしたことはない侍従に対し、「どうしてこんなふうになったんだ。誰が悪いんだ。戦争なんかしたくなかったのに」と、つぶやき続ける。

 天皇は、3年8カ月の太平洋戦争の間、精神的に相当疲れていたと思われる。各種資料を吟味していくと、昭和20年2月ごろがピークだったとみられる。戦争が終わったときは、信じるものすべてを失ったような心理状態だったはずだ。

 それをうかがわせる言葉はいくつも残っている。例えば、敗戦後の昭和20年の秋には、ある侍従に対し、「(戦時中は)短波を聞いていた」と語っている。米国の短波放送で戦況報告を聞いていたわけだ。

 天皇は大本営の戦況発表をまったく信用しなくなっていた。そういう昭和史の本当の姿をきちんと押さえておかないと、政治指導者、軍事指導者たちの姿も浮かんでこない。東條が「陛下、この道を選択する以外にないかと思います」ともっともらしく言ったのは、とりもなおさず、「あなた、戦争するしかないよ」という意味だったのだ。

 田中角栄は、そんなオブラートに包んだ表現をしなかった。例えば、園遊会に首相が特権として関係者を呼ぶ場合、ふつうはせいぜい10〜20人だが、田中は300人ぐらい呼んだ。越山会の人間がぞろぞろ来た。実家のある新潟・西山町で家を建てるとなれば、御料地の材木を譲ってくれと言ったとの説もある。実に庶民的な発想でモノを言っていた。

 大本営政府連絡会議、御前会議、最高戦争指導会議などの公式記録は、決まり切った文言で語られているけれども、それをかみ砕いて私たちの日常の言葉に直せば、天皇の意思をないがしろにしていることがよくわかる。それに比べ、田中角栄は正直だった。国家の本音の部分、官僚の手による各種資料の行間ににじむ「庶民の言葉」を代弁していた。田中は、天皇制国家には偽善・欺瞞があると受け止めていたのではないだろうか。

 死後20余年たった、今の「角栄ブーム」をどう見るべきか。

 田中角栄という人物は、人間的にも面白い。彼が総選挙に初めて立候補したのが昭和21年。27、28歳だった。この選挙では落ちるが、彼の選挙運動はユニークだった。早稲田大学の雄弁会の学生を何人か雇い、新潟の自分の選挙区に解き放つ。そして、彼らに「俺の名前を連呼して演説してくれ」と言う。そんなことをやった人はいない。発想がじつに庶民的だ。

 田中は、昭和の偽善を見事なほどひっくり返して見せた。あらゆる権威をひっくり返した。彼のそうした言動に今の私たちが何かを感じるからこそ、ブームが起きているのではないか。

 もし今、田中角栄が生きていたなら、彼は三つのことをはっきり言うだろうと、私は思う。

 まず、「安倍(晋三=首相)君、そんなのダメだよ。何を言ってるんだ。憲法を変える、自衛隊がよその国へ行く。君、自民党ってそんな政党じゃないぞ。自民党というのは結党以来、憲法改正を掲げてはいるが、旧憲法に帰れってことじゃない。だったら変えないほうがいい」──そんな声をあげたと思う。

 それから、天皇の生前退位の問題。彼は「天皇だって人間なんだよ。いつまでも天皇でいるってわけにはいかないんだ。辞めたいって言うのを認めるのは当たり前だろ」と言うだろう。田中の庶民的な地肌から出る表現である。

 もう一つ。「おい、アメリカをあまり信用してはいかん。ロシアもひどいけど、アメリカもひどいぞ」と言ったと思う。

 田中はロッキード事件で、その地位を米国に追われたと言えるが、それだけが理由ではない。彼は、「物量的な幸せ」というものを日本人に定着させようとした。だが、物量がどれほど満たされても、新幹線がいくら速く走っても、私たちが家を何軒持っても、背広を何着持っても、幸せとは限らない。幸福とは、もっと精神的なものである──ということに、政治家を離れてから気づいたと思う。その意味からも米国を語るのではないかと思う。

 さらに、大事なことを指摘しておきたい。日本のエスタブリッシュメントは、田中にかなり非礼な態度をとっていると思う。

 例えば、日中平和条約締結関連の記録集を読むと……1972年、田中が訪中して周恩来首相と対談するくだりで、田中が「日ソ中立条約」と言うべきところを「日ソ不可侵条約」と言い間違え、品のない表現でソ連の違約を責めている。そういう議事録を公表するなら、「中立条約」と直せばよい。田中があまりにもかわいそうだと私は思う。

 まるで田中は無知なんだ、教養がないんだと笑っているかのようだ。そういう目に見えない形の“田中いじめ”は、資料の中から浮かびあがる。

 私は田中角栄に対して、功罪相半ばの気持ちを持っているから、軽々に肯定したり批判したりはしない。しかし、田中という存在があることによって、私たちはこの国の本質や偽善を見抜くことができるのだと、はっきり言える。それこそが重要なのに、それに気づかせないようにするために、「田中ってこんなことも知らないんだよ」と後世に伝えようとする。それに対しては、弁解してあげなきゃいけない。

 田中内閣の支持率は70%を超えたこともあったが、政治資金の問題が批判されてから10%前後まで落ち込んだ。この数字から、何をくみ取るべきか。

 田中が欲望を政策にするとき、実は国民も欲望を政策化してほしいから、一生懸命に支えた。しかし、欲望を政策化することには後ろめたさもあった。ひとたび田中が批判されると、今度は足蹴にする。それは自分を足蹴にしているのと同じだ。私たちはその点にも気づくべきである。

 さて、8月8日に天皇自らが「お言葉」を発表して注目された生前退位の本質は何か。これは素朴に受け止めるべきだ。

 大日本帝国憲法と旧皇室典範はセットになって、天皇主権国家をつくっていた。天皇を神権化する国家。最終的にはそういう国家に突き進んでいた。

 それが戦争によって解体した。大日本帝国憲法は今の憲法に変わった。日本国憲法は市民的権利を保障している。そして、天皇を象徴とするなら、皇室典範も変えなければならない。

 天皇はその矛盾について声を大きくして訴えたのである。はっきり言えば、「皇室典範を変えてください」となる。「私が象徴天皇としての役割、公務をはたせないなら、もう天皇であるとは言えない。それを認めてほしい」と。これは天皇にしか言えない。

 天皇の心の叫びには、「大正天皇を見てください。昭和天皇を見てください」という訴えがあるとも思う。

 大正天皇は大正10年11月から、崩御する大正15年12月まで病に伏し、摂政を置いた。20歳の昭和天皇が皇太子として摂政についた。昭和天皇は昭和62年4月29日に倒れた。翌年9月からほとんど寝たきりになり、今の天皇が公務を代行した。

 そうした事実を今の天皇はよく知っている。国民が「摂政にすればいい」「臨時代行を認めればいい」といくら言っても解決しない。天皇自身が納得できないと言っているわけだから。

 天皇が政治的な発言をするのは控えなければいけない。しかし、皇統を守るという一点においては、賛成、反対、それが結論になるかどうかは別にして、意思表示をしても構わないと私は思う。

 天皇は、内閣の助言と承認があって国事行為を行う。ところがこの件について、内閣は知らぬ顔をしてきた。だから天皇は最後の手段として、メディアでメッセージを流した。

 あの中で大事なことはたった1行。最後の「国民の理解を得られることを、切に願っています」というくだりではないか。様々な政治的な制約はあるにせよ、私(天皇)は国民と直接手を結びたい、その気持ちを理解してほしい、という趣旨である。

 天皇は、天皇制の下で太平洋戦争の開戦を選択したことに疑問を持たれている。だから、追悼と慰霊の旅を繰り返してきた。その天皇が今、私たちに向かって「私の考えを分かってください」と言っている。これは歴史的に極めて大きな意味を持っている。

 考えてみてほしい。私たちはなぜ、戦後71年を経た今も、太平洋戦争のことを語り続けているのか。あの戦争をこれほど熱心に語っている国は他にない。

 それは、国民の間に「釈然としない空気」があるからだ。私たちの国はなぜ、特攻や玉砕をやったのか。日本は、人の命を何とも思わないような戦争をするような国家だったのか。そんな疑問が釈然としないから、今後も、私たちは語り続けることになる。

 天皇もそれを知っている。天皇にすれば、あの「お言葉」を出すのに相当の覚悟が必要だったはずである。私たちの社会がこの問題の底流を理解し、本質をくみ取ることができるかどうかが問われている。

 そのための補助線の役割をはたしてくれる一人が、田中角栄だ。私たちは田中角栄を通して、あの戦争を、昭和の姿を、そして戦後民主主義を問い直すことができる。田中の存在は、私たちが歴史を考えるうえでの補助線であり、田中自身が、その役目を引き受けてくれていると考えられる。

※週刊朝日  2016年10月21日号より抜粋