「ハリルホジッチ叩き」

 日本代表監督であるヴァイッド・ハリルホジッチを巡って、激しい批判が巻き起こっている。マスコミだけでなく、サッカーファンの間でも、その「人気」は底を突きつつある。サッカー関係者からも、「ハリルでは戦えない」と失格の烙印を押される始末だ。

 しかし、安易に「ハリル降ろし」に"加担"するべきではない。

 筆者は、就任直後の試合からハリルホジッチの力量に疑問を呈してきた。当時、周囲はハリルに対し、むしろ歓迎ムードだった。「八百長疑惑」のハビエル・アギーレ前監督の後だったこともあるだろう。なにより弁が立つハリルホジッチを、「イビチャ・オシムの再来」のようにメディアは迎えていた。ただ、それこそ軽率だった。饒舌すぎるハリルホジッチはその後、傲岸不遜かつ弁明のような発言を繰り返し、墓穴を掘る。

 実は、デビュー戦直後の会見で"予兆"はあった。2014年W杯まで日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ元監督の戦術的欠陥を誇らしげに批評。危うさはあったのだ。

 また、選手スカウティングでも偏見が見えた。ハリルホジッチは独自の視点は持っているが、それを無理矢理に日本人選手に当てはめ、就任当初からズレが出ていた。徹底した「フィジカル主義」で、スピード、パワー、アグレッシブネスに引っ張られた選考。選んでは外すの繰り返しになった。それにほぼ1年半を要し、挙げ句に「選ぶ選手がいない」という発言もあった。

 つまり、戦略的にしくじり続けている。信望を得られていないし、強化も十分にできていない。

 では、すべてがネガティブなのか?

 1‐1で引き分けた直近のオーストラリア戦は、「みっともない」「もっと攻撃しろ」というような否定的意見が多かった。

 しかし、これは感情的すぎる批判だろう。「ハリル憎し」の嫌悪感に振り回されてしまっている。なぜなら、オーストラリア戦の日本は戦術的に目覚ましい戦いを見せ、原口元気の先制点はまさに「カウンターの手本」だった。

 ハリルホジッチは万全の準備をしていた。下がりすぎないラインを微調整させ、DF、MF、FWのラインをコンパクトに保ち、前線のプレスも相手CBのどちらかに蹴らせるように仕向け、ほとんど相手に攻めさせていない。ボールの出所を抑えながら、奪い取るゾーンを限定。奪い取った後のカウンターはスピードも強度も高く、リアクションフットボールの真骨頂だった。

 先制点も、縦パスをサイドから中寄りにポジションを取った原口がパスカット。長谷部誠→本田圭佑→原口と数秒以内につなげた。原口にボールが渡ったとき、日本は数的には2対7(GK含む)の状況だったが、敵の右SB不在のスペースを原口が駆け抜け、ポジション的優位を作ってゴールを奪った。

 試合を通し、戦術は旋回していた。その点は、ハリルホジッチの功績として評価するべきだろう。

 終盤、ハリルホジッチは交代が後手に回って、「勝てたのに」と非難を浴びた。しかし拮抗した展開では、天秤が不利に傾く恐れもあり、判断は簡単ではない。劣勢の中、チームは決定機を作っている。浅野拓磨のように技術、判断が明らかに拙い(2度のオフサイドは不用意、決定機も押し込めず)選手を起用しているのは問題だが……。

 試合に臨むまでの「戦略」の部分で、ハリルホジッチは下手なところがある。一方、ピッチ上に現れる「戦術」には一つの成果を上げている。受け身のカウンター戦術が日本人選手に合うか、というのはまた戦略的議論だろう。戦略と戦術という二つの軸で、一人の監督を正しく評価するべきだ。

「憎たらしい」という感情論では、日本サッカーが向かうべき道を見失うことになる。(文=スポーツライター・小宮良之)