見ず知らず同士の乾杯から友だちができるか、一人でオクトーバーフェストに行って試してみた



先月、一人でビアガーデンに行ってきた。それはそれは開放的で、もしも隣の席の人に乾杯を求められたら、うっかり応じてしまったかもしれないとすら思う。普段なら絶対に、誓って、何が起ころうと、そんなことはしない。何しろ私は“乾杯”という行為が苦手であり、できる限り避けて通りたいと思っているところがある。


まず、自分の杯をほかの人の杯にカチカチとぶつける作業をどこまですればよいものやらよくわからない。「乾杯!」の合図が終わった瞬間から飲み始めようと口に近づけると、周りはまだ遠くの席の人へ向けて杯を上げ下げしているではないか。誰かが乾杯し続けているところを一人で先に飲み始めてしまうのはバツが悪い。


仕方なく、いったん口からグラスを離してもぞもぞと上げ下げしてみる。積極的に遠くまで乾杯しに行くわけでもなく、自分の腕の届く範囲で上げ下げするにとどめるわけだが、一応、乾杯に参加していますよ、という意志表示はしておく。ああ、この儀式は一体どのタイミングで終わらせればよいのだ!


飲み始めたら飲み始めたで、しばらくすると今度は“席を移動しての乾杯の儀”というものがある。誰かが席を移動したら、それに呼応するかのように何人かが移動を始める。こういう自発的な交流を面倒くさがる私はたいてい動かずにじっとしているが、誰かがやって来る分には苦しゅうない。近う寄れ。だが余はそう何度も乾杯などしとうない。


そんな余の考えをよそに、席を移動してきたなにがしは乾杯を始める。こうなると、目の前のグラスがすでに飲み干されていようが、とにもかくにも再びグラスを上げ下げしなければならない。乾杯とはつくづく、強制的で記号的なコミュニケーションだ。




私は一人、日比谷オクトーバーフェスト2016の会場へやってきた。そこかしこで乾杯が繰り広げられている。外の開放的な雰囲気の中でビールを飲めば、乾杯の苦手意識からも解放されるのではないかと期待して、一人でやってきたのだ。


オクトーバーフェストには、近くの席の見ず知らずの人と歌ったり踊ったり乾杯したりする文化があるらしい。乾杯のみならず、ここで友だちを作る人も少なくないという。歌ったり踊ったり友だちを作ったりはともかく、乾杯くらいなら、どさくさにまぎれて、雰囲気に飲まれて、もしかしたら私にもできるかもしれない。






まずは手近な店でビールを買った。大きさに興味があるという理由だけでうっかり1リットルのジョッキを注文してしまい、のっけから失敗したかもしれない。重たいので運ぶだけで精いっぱい。ほかに食べ物などは買えそうにない。




こぼさないようにいそいそと空いている席に座った。6人掛けのテーブルの端には一組のカップルが座っている。向かいの席には歳の頃70くらいのおじいさんが一人。誰かを待っているわけではなく、どうやら一人で来ているようだ。






ビールをちびちび飲みながら写真を撮っている私に、おじいさんが話しかけてきた。なんと、オクトーバーフェストへやってきて10分もたたずとして友だちができそうである。……想像していたよりもずっと歳が上の友だちだが。




▲自撮りしまくっていたら後ろの席の人に怪訝な目で見られていた


おじいさん(友だち未満)は私に、荷物を見ていてほしいと頼んできた。ビールとつまみを買いに行きたいらしい。なんだろう、これは。なぜ私は一人でオクトーバーフェストへ来て、1リットルジョッキを手に持ち、どこの馬の骨ともわからぬおじいさんの荷物を見ているのだろう。




▲おじいさんの席に、おばさんが座ってしまった


だが、荷物番は失敗に終わった。おじいさんが座っていた席に、新たにやってきたおばさんが座ってしまったのだ。「あ……、そこの席は……」、この一言が出てこなかった。私はあのおじいさんの何なのだ、との一瞬の迷いがためらいを生んだのである。


ほどなくして、おじいさんが戻ってきた。「あ、人が来ちゃった」とボヤいたのち、なんとおじいさんは私のすぐ隣に移動してきた。




▲おじいさんがすぐ右隣りにやってきた


ますます、なんだろう、これは。思いがけず距離(物理的)が縮まってしまったことにまごまごして、ただただ下を向いてビールを流し込むしかできない私に、おじいさんは視線を送ってきているような気がする。これは、まずい。そういうのは、なんか違う。何度か送られてきた視線に気づかぬふりをしていたら、ついにおじいさんは席を立った。おかげで逆にフラれたような気持ちになってしまった。




▲後ろの席ではいま初めて会った風の面々が乾杯をしていた




▲奥の席のカップルが突然ポテトをくれた




▲ステージ席に移動してみた


その後、何度か席を移動してみたが、結局このおじいさん以外に話しかけてきたのは、食べ切れないからとポテトをくれたカップルくらいだった。無視されている、というよりも、それぞれがそれぞれの盛り上がりに集中しているから、といったほうが近い。


ステージで歌や踊りのパフォーマンスが披露されているテント席でもそれは同じだった。ここではステージのパフォーマーが乾杯を煽り、盛り上がりの中心核となっていたのだが、不思議と嫌な感じはしなかった。こういった盛り上がりの強い場では、往々にしてぼっちは肩身が狭い。うまく場の空気に乗り切れないと、その場に存在さえ許されないような気持ちになることが多々ある。


確かにオクトーバーフェストには、知らない人同士で交流をする雰囲気はあった。けれど、“全員で盛り上がらなければならない”ような強制的な雰囲気はなかったのだ。ふと周りを見ると、乾杯して盛り上がっている席を遠巻きに眺める、私のような一人客も見受けられた。大勢は大勢、一人は一人、それぞれがそれぞれのしたいように、ともに生きる共存がそこにあった。




▲ステージ付近で乾杯するパフォーマーと客




▲ステージを遠巻きに眺める私




▲隣の席のおじさんもたぶんぼっち


乾杯が苦手でもいい。友だちをうまく作れなくてもいい。それでもこの場にいてもいい。オクトーバーフェストは、優しい世界だった。




▲夜のオクフェス。優しい世界




一人オクトーバーフェストを楽しむ3カ条 その1 ラフに話しかけられるので、友だちを作ろうと思えば、作れる その2 うまく盛り上がれなくてもOK その3 オクトーバーフェストは優しい世界

お知らせ



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「一人プラネタリウム」から「一人豆まき」までの連載記事を大幅に加筆修正し、「一人スイカ割り」、「一人流しそうめん」、「一人ラブホテル」などの書き下ろしも収録しています。