「石原さとみ『校閲ガール』、放送事故レベルの現実乖離に批判殺到「校閲をナメるな」」(Business Journal)という記事があがっていた。
「ほう、どれどれ」と読んでみたが、いやいやいやいや、そんなんで放送事故レベルって言うのはいくらなんでも誇大妄想。
もしくはPV狙いの釣りタイトル。ウケ狙いの扇動だ。ひどいなー。
WEBライターは焼きゴテをお尻に当てられて泣きながら書いてるという都市伝説を信じてしまいそうになる酷さだ。


こどもに諭すように書いてしまうが、ドラマってのは現実とは違うのよ。
ドキュメンタリーじゃないんだから、現実と同じだったり、ふつーだったりしないんだよ。

日本テレビ系水曜日の夜10時の放送。『家売るオンナ』『世界一難しい恋』の枠だ。
主演が石原さとみ。タイトルは『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』。
観る側は、そういった情報からドラマのリアリティレベルを無意識に設定する。

それは、ガチなドキュメンタリーや、社会見学レベルの真面目さで真実だとは誰も思わない。
「気力で髪をなびかせることができる不動産屋はいません」とか「地団駄踏んだり、ベッドに細工する社長はいません」とか言う人はフィクション音痴だ。

“出版社の新入社員は通常、雑誌や書籍の編集部、最近ではデジタルメディア関連の部署に配属されるのが通常で、いきなり未経験の若手が校閲部に配属されるなど、あり得ません。”
と指摘するが、これもドラマをちゃんと見ていれば、それを踏まえて作られていることは一目瞭然だ。
そもそも「出版部門の編集者を募集してない」と面接官が言っているのだから。
何の面接だかは語られないが、営業か何かだろう。
そこに、強引に無理矢理、勘違いした情熱を持った女の子として石原さとみ演じる河野悦子が、やってきた。
というのがドラマとしての設定である。
だから、そもそもが、雑誌の編集部への配属予定のある面接ではない。

そして面接官5人のなかに校閲部部長の茸原渚音(岸谷五朗)がいる。
4人座って、ちょっと離れて茸原渚音が座っている。
おそらく4人が役職や人事部の人たちで、茸原部長は進行役って感じだったのだろう。

その茸原部長は、編集者だったのが、いまは校閲部部長になっているという設定だ。
そうとうのやり手であり、くせ者っていうキャラクター造形だ。
『機動警察パトレイバー』でいえば後藤隊長みたいな人ね。

彼が面接の場に進行役としていて、河野悦子の情熱と雑誌の内容をバッチリ記憶していることと、後に伏線として収束されるネクタイピンのエピソードから、彼女に校閲者としての適性があることを見抜いて、異例の配属をしたのだ。
茸原部長は、しっかり「わたしがあなたを校閲部に欲しいと申し出たのです」と語っている。
異例であることは、じゅうにぶんにドラマのなかで語られているのだ。

のであって、“いきなり未経験の若手が校閲部に配属されるなど、あり得ません”という前提のもとにドラマは作られている。
現実と乖離しているのではなく、現実を踏まえてドラマ的想像力を発揮しているのである。
これを、批判するのは、痛快な刑事ドラマを観て「日本ではあんなに銃を撃たない」と苦情を言うようなものだ。
ドラマのリアリティレベルを、現実とまったく同じにしなければならないという勘違いをしている。

“校閲者として採用された人がのちにファッション誌の編集部に異動するという話は、聞いたことがありません”という批判も、お門違いだ。
なにしろ、ちゃんと「そういう話は、聞いたことがない」という前提でドラマは描かれている。
そもそも、第一話の段階では、ファッション誌の編集部に異動する気配などない。
やり手の茸原部長が、そそのかしで言ってるにすぎない。
「仕事ぶりが認められれば希望の部署に移れることもあります」と言ってるだけで、ファッション編集部に移れるとは言ってないところが部長も策士だ。
「ファッション誌編集部に異動できますよね?」という質問にも、はっきり答えずに「未来への扉はもう開きかけていますよね」とごまかす。
異動できるというのは、河野悦子の勘違い的願望として描かれているだけである。聞いたことなくて、当然だ。
だが、茸原部長と河野悦子ならやりかねないという期待を抱いたり、でも校閲の奥深さを知った河野悦子はファッション誌編集部の道を選ばないかもしれないという予測をしたり、そういったことがドラマを楽しむ方法のひとつだ。

“大御所作家の原稿まで担当していますが、校閲という仕事をナメているとしか思えません。”
という指摘もドラマをナメてるとしか思えない。

茸原部長は、自分が目をかけた新人を育てるために、がんばっているのだ。
「冗談やめてくださいよ」と反対されて、でも、それを押してやってもらうのだ。
だからこそ、「わたしも重ね読みしますし、何かあったら私が責任とりますから」とまで茸原部長が言って、どうにか叶うのだ。

しかも、ドラマの後半で判明するのだが、茸原部長は以前その大御所作家の編集担当だったのである。
だから、大御所作家の人柄も知っている。フォローも可能だ。
おそらく大御所作家が河野を気に入ることも予測していただろう。

“とにかく経験がものをいいます”
そう。だから、茸原部長は新人の河野悦子に経験させ、育てようとしているのだ。
忙しいから、不況だからといって、育てることを諦めたりナメたりした分野は滅びる。
そのことを茸原部長は知っているのだ。

“河野が事実確認のために原稿内に出てくる場所を実際に訪れて聞き取り調査するシーンがありますが、あり得ません。校閲はとにかく毎日大量の原稿をこなさなければならず、いちいち事実確認のために外出していたら仕事が進みません。”
という指摘もおかしいだろう。

新人だから、そもそも、まだ毎日大量の原稿をこなすことは無理だ。ベテランのように多量な仕事はできない。
スローペースだが、ていねいな仕事をさせる。それが新人を育てる道だろう。
「仕事のペースはひとそれぞれですから」と部長は言う。
「あなたなりの校閲を思い切りやってください」とも言う。
現場に行って調べるような新人を、茸原部長は見いだしたのだ。
「いちいち事実確認のために外出していたら仕事が進みません」という現場にしていたら、新人が育たないと茸原部長は考えたのだ。

“河野が超有名作家と食事に行くシーンなども出てきますが、あまりに現実離れしすぎていて、放送事故レベルにも思えます”
ええええー? これこそあるでしょう。
どうして、これが放送事故レベルなのか、わからない。
作家が、校閲担当者を気に入り、指名することは、実際にある。
「校閲者を呼んでこい」って有名作家が言ったら、そりゃ呼ぶでしょう。
作家さんと、実際に食事に行ってる校閲担当者は、実際にもいるので、なんで、これが現実離れしすぎなのだろう?
しかも「放送事故レベル」?
理解に苦しむ。

というか、校閲の人だから、ドラマに対して「あえてのことか、単純ミスか、疑問出し」したのだろう。
それを悪用して、「石原さとみ『校閲ガール』、放送事故レベルの現実乖離に批判殺到「校閲をナメるな」」なんて煽り記事をつくるのは酷い。
ドラマの持つ想像力をナメんなよ。

『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』、石原さとみ、本田翼がバッチリ役にハマっていて良いドラマです。俺は楽しんで観るよ。(テキスト米光一成)

参考→「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」の原作を絶対読むべき理由