日本サッカーの「オシム化」

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。オシム監督時代の日本代表は、相手に合わせて3バックと4バックを併用していたが、2007年のアジアカップには4バックで臨んだ。当時話題になった「日本サッカーの“日本化”」とはどのようなものだったのか。オシムジャパンのサッカーを振り返る。(文:西部謙司)

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 イビツァ・オシム監督は就任時に「日本サッカーを日本化する」と言った。しかし、日本にすでにあるプレースタイルを尊重するという意味ではなかったようだ。簡単に言ってしまえば、オシム監督が行ったのは日本の「オシム化」である。同じように、ジーコ監督はジーコ化ないしブラジル化であり、その前はトルシエ化だ。どの監督も素材(選手)の特徴を最大限に引き出そうとするわけだが、とりあえず自分の型に入れている。

 オシム監督の戦術は特殊な部類だった。アルゼンチンやチリを率いたマルセロ・ビエルサ監督、現在ではセビージャのホルヘ・サンパオリ監督と似ている。この型のサッカーをやるチームは極めて少なく、「日本化」されているはずの選手が最初に感じたのは違和感だったはずだ。

 守備は基本的にマンツーマン。しかも前方からハメ込んでいく。70年代には主流だったが、オシムが代表監督になった時期にマンツーマン・ベースで守るチームはほとんどなかった。04年のユーロで優勝したギリシャ、60年代から同じ戦術で通してきたギー・ルー監督のオセール(フランス)ぐらいである。その意味では、マンツーマンは時代遅れだった。しかし同時に先進的だったともいえる。

 80年代末にACミランが始めて、00年代にはほぼ世界中に普及したゾーンディフェンスは、08年ユーロでのスペインの優勝を境に「ゾーンの隙間」を浸食されるという危機に直面する。ところが、マンツーマンで守れば「隙間」はない。スペインとバルセロナの登場で世界的に抱えることになる難題が、最初から存在しない。

「考えて走る」の真意

 敵陣内でプレッシングを行うにもマンツーマンは適している。ただし、1人がマークを外されてしまうと玉突き的にズレてしまう弱点があり、何より守備の重点地域を確定できず守備範囲が広すぎる。多大な運動量が要求され、それ以上にリスク管理の速さと的確さが求められた。

 例えば、マンマークと言ってもリベロを1人余らせているから、1対1のマッチアップを10個作れるわけではない。相手の誰か1人はフリーになる。フリーにしていい相手は誰か、あるいは同数で守るべきかどうかを的確に判断しなければならない。

 抜かれてしまったときのカバーをどうするか、プレスを外されたときは、マークを引き連れてスペースを空けようとする相手にどう対処するか……オシム監督は「走る」をテーマに掲げていたが、実は走る以上に「判断力」が重要だった。

 オシムのサッカーは「考えて走るサッカー」と形容されていたが、そもそもサッカー選手が走るときは何かの意図がなければ走れない。無目的に走る選手はいないので、「考える」と「走る」はどうしたってセットなのだ。

 しかし、間違えて走る選手もいる。チームの中心だった遠藤保仁は、「オシムさんのときの代表が一番やりにくかった」と話している。これは初期段階で、やみくもに走る選手が多かったからだろう。

 オシム監督の練習は「多色ビブス」が有名になったように、常に判断力を問うもので占められていた。「考える」は「走る」と並んでこの型のサッカーに必須であり、的確な判断によるリスク管理は重要なカギだった。

リスクを知ったうえで踏み出す

 オシムのサッカーでリスク管理が決定的に重要なのは、その戦い方自体がリスキーだからだ。

 サッカーはバランスのゲームである。しかし、ときにバランスは失われる。同点のままロスタイムに入り、どちらのチームも引き分けを望まなければ、雌雄を決するノーガードの打ち合いになることがある。

 どちらも攻撃に人数を割き、どちらもカウンターに無防備、90分間で作ったチャンスの数を上回る決定機がロスタイムに作られたりする。オシムの戦術は、このオープンな状態をある程度容認する。この時点でリスキーだ。

 マンマークのハイプレスは、それが外されたときに一時的な総退却を余儀なくされる。もう一度防御ラインを設定し直して守備を立て直すわけだが、カウンターアタック直撃の危険は排除できない。

 一方、ハイプレスがはまれば相手のビルドアップごと破壊できる。再設定した防御でボールを奪えればカウンターのカウンターもできる。構造的に乱戦指向なのだが、それをたんなるノーガードにしないためのリスク管理がカギになるわけだ。

 オシム監督は「リスクを冒せ」とよく話していた。リスクは知らなければならない、無謀ではいけない、しかしリスクを知ったうえで一歩踏み出すことを要求していた。

 90年ワールドカップの緒戦(西ドイツ戦)は、あえてオールスターで編成して「わざと負けた」とも言われている。日本でも「エキストラキッカーは1人か2人」と言っていた。

 しかし、ユーゴスラビアは準々決勝のアルゼンチン戦にドラガン・ストイコビッチ、サフェト・スシッチ、ロベルト・プロシネツキの3人を起用している。アジアカップでは遠藤、中村俊輔、中村憲剛を使った。彼らは走るチームをコントロールする頭脳で、守備ではリスクかもしれないが攻撃のリスク管理ができる。正しく攻撃することで守備のリスクを相殺するわけだ。

「水を運ぶ人」と「マイスター」

「水を運ぶ人」という表現もよく使われていた。いわゆるハードワーカーである。では、その対義語は何か。水を撒く人でも飲む人でもなく、「マイスター」になる。ヨーロッパの徒弟制度におけるマイスターは、例えば煉瓦職人なら煉瓦を積む人だ。

 煉瓦を積むために必要な水を運ぶ仕事をマイスターはやらない。マイスターは特殊技能者であり、ピクシーや中村俊輔はそれにあたる。マイスター(=エキストラキッカー)を何人まで起用するかは、おそらく相手との力関係で決めるつもりだったと思う。

 アジアカップでは3人だったが、もっと相手が強ければハードワーカーを増やしたのではないか。ただ、実際に3人を同時起用していたのだから、オシム監督自身「リスクを冒す」タイプといえる。

 07年アジアカップでは、マイスター3人の併用に踏み切ったのと関連して、ゾーンの4バックを採用した。とはいえ、実際には2バック+アンカーで相手のカウンターに備えるという戦い方である。

 考えて走る、水を運ぶ人とマイスター。その関係がわかりやすく表れていた例として、オーバーラップがある。

 右サイドで中村俊輔がボールをキープしたときには、右SB加地亮が中村の背後を追い越していく。このとき相手は縦にマークをスライドさせる。中村と対峙していたSBはオーバーラップする加地をマークし、加地を追ってきた選手は中村をマークする。

 すると、守備側は下がったSBに合わせてラインを再設定することになる。SBと同じか、それよりも低い位置へ下がる。ディフェンスラインを下げさせることで、その手前のスペースをマイスターに使わせることができる。SBのハードワークによって、マイスターが技術を発揮する条件を作るわけだ。

ときに格上の相手を倒す。しかも圧倒して勝つこともできる

 ディフェンスラインは下げたままではいられない。誰かが前に出て、バイタルエリアでボールを持った日本のマイスターにプレッシャーをかけなければならない。

 それが1人だけなら、ラインとの間にギャップができる。ラインごと上げてくれば、逆サイドの後方からラインと入れ替わりに飛び出せば裏をつける。もし、その選手を相手の1人がマークすれば、そこでまたギャップが生まれる。

 そのどれかの弱点を的確につけばいいし、それ以外の正解を叩き出せば「ブラボー!」だった。アイデアと運動量、才能と献身の組み合わせで相乗効果を狙う、オシム監督が用意した仕掛けである。

 リスクを前提に、それをできるだけコントロールしながら一歩踏み出す。この戦い方は、ときに格上の相手を倒す。しかも圧倒して勝つこともできる。今季のシーズン前、スペインのスーペルコパでセビージャはバルセロナ相手に途中までポゼッションで上回った。バルサ相手にボール支配で上回るなど、まず起こらない現象である。それができるのは、ゲームの設定を変えているからだ。

 オシムが目指したサッカーは「日本化」という枠を超えていて、相当に野心的なものだったと思う。強豪に囲まれながら一泡吹かそうと狙い続けた旧ユーゴの伝統を踏まえ、その中でも最もロマンティックなスタイルだったといえる。

(文:西部謙司)