「日本化」のネックとなった被カウンターの弱さ

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、脳梗塞で倒れたイビツァ・オシム氏から日本代表監督を引き継いだ岡田武史監督は、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。「日本化」の方針も継続することになったが、W杯本大会直前に方向転換を強いられることとなる。(文:西部謙司)

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 岡田武史監督の「日本化」は順調にみえた。遠藤保仁と中村俊輔を軸としたボールポゼッションで押し込み、ボールを失ったら素早い切り替えからハイプレッシャーをかける。日本選手のパスワーク、機動力、スタミナを生かしながら、コンタクトプレーの弱さという短所を前向きの守備で補う。次のアルベルト・ザッケローニ監督のチームにも受け継がれた戦い方だった。

 ところが、ワールドカップイヤーの2010年になると突然失速してしまう。東アジア選手権での不振は、例年どおり年明けのコンディション不良と思われたが、その後も回復の気配をみせず、国内最後の強化試合だった韓国戦に完敗。この試合を最後に、岡田監督は守備重視へと大きく舵を切った。司令塔の中村を外して阿部勇樹を起用、フォーメーションも4-2-3-1から4-1-4-1へと変更した。

 それまでの戦術の基盤はすでに失われていた。まず、ボールポゼッションが安定しなくなった。これは中心選手だった中村、遠藤のパフォーマンス低下が直接の要因と考えられる。とくに負傷の影響で中村のパフォーマンスが落ちていた。回復を待つ手もあったが、戦術を変えるならば強化試合でテストする必要があり、韓国戦以降は待てないと判断したのだろう。

 しかし、むしろ最大の問題はカウンターアタックを受けたときの守備力だった。

生命線だったポゼッションとハイプレス

 日本の攻撃は、右サイドハーフの中村が中央へ移動して「間受け」を担当、空けた右サイドにSB内田篤人が進出する。そのまま右から崩す、あるいは中村経由で逆サイドへ展開するなど、中村と内田のラインが攻撃を作り出していた。

 ところが、この攻撃がカットされると内田の背後には大きなスペースが空いている。そこをカバーするCBの2人(中澤佑二、田中マルクス闘莉王)にはスピードが欠けていた。ハイプレスですぐに奪い返せれば問題は回避できるが、遠藤と長谷部誠のボランチコンビも守備のスペシャリストではなく、カウンターアタックに弱い編成だった。

 つまり、日本の戦術はポゼッションとハイプレスが生命線であり、ポゼッションに見合った得点を期待できるかぎりは有効だったのだが、ポゼッションが低下して押し込めなくなり、押し込めないことでハイプレスが効かなくなると、カウンターに弱いという短所だけが残ってしまう。「日本化」の成果をワールドカップで問うはずだったが、それをやる意味すらなくなっていた。

堅守速攻型のベスト16

 岡田監督は大会直前に現実路線を選択する。中村・内田ラインを外してまず守備を固める。それしか方法がなかった。しかし、堅守速攻型はよく機能した。中澤、闘莉王は速攻には難があるものの空中戦に強く、守るスペースが限定されていれば代表史上最強のコンビである。この2人の前に阿部を置き、サイドも大久保嘉人と松井大輔が献身的に守備をした。

 4-1-4-1は4-3-3の系統で、守備のオーガナイズは4-4-2系の4-2-3-1とは異なる。ただし、現在の4-3-3(4-1-4-1)の守備組織運用は4-4-2系と大差がない。相手のCBに対して1列目(2トップ)で対処するか、インサイドハーフを押し出して対応するかの違いである。もともとは出自と素性の異なるフォーメーションなのだが、中盤に守備ブロックをセットしてプレスする守り方が普通になってからは大きな違いはなくなっていた。

 ごく短期間で守備組織を構築できたのは岡田監督の手腕が大きいとはいえ、日本人の特性に合っていたのかもしれない。その後、関塚隆監督が率いたロンドン五輪のU−23代表も短期間で守備組織を構築して緒戦のスペイン戦に勝ち、そのまま準決勝まで進んでいる。

 どちらも多大な運動量に負っていること、守備の後の攻撃を考えていないのでカウンターが場当たり的というところはあったものの、ポジションを埋めて相手の攻撃を制限する組織は短期間で作れていた。

ザッケローニ監督時代に繋がった「日本化」

 南アフリカ大会の攻撃は、クリアボールを1トップの本田圭佑が何とか収めて押し上げを待つか、両サイドの大久保、松井が援護のないままドリブルで行けるところまで行ってファウルをもらうという形が多く、厚みを欠いていたが、個々の能力を発揮してフィニッシュまで持って行けていた。お家芸のセットプレーの威力もあった。

 グループリーグを突破した日本は、パラグアイに延長の末PK戦で敗れた。当初、岡田監督が掲げていたベスト4には及ばなかったが、ベスト16はそこまでの経緯を考えれば大きな成果である。岡田はいわば「撤退戦」の名手で、横浜F・マリノスを率いていたときも現実路線に転換してから本領を発揮している。高い理想を掲げているときよりも、旗を降ろしてからのほうが強い。

 ワールドカップでのベスト16は、2002年のフィリップ・トルシエ監督が率いたとき以来の2回目。どちらも快挙である。ただ、いずれも消化不良な感じは残った。守備は良かったけれども、攻撃面でもう少し良さを発揮できたのではないかという疑問である。

 後任の監督には、いずれも攻撃力アップが期待されることになった。岡田の後任となったザッケローニは、結果的に岡田が方針を転換する前の戦術を踏襲したといえる。「日本化」の流れはつながっていた。前任者のやり残した仕事を、ザッケローニ監督は進化させた。

 また、「すでにある日本サッカー」を尊重した最初の監督でもあった。ザッケローニも自分のアイデアを導入しているが、「ザッケローニ化」はしなかった。ただ、日本の弱点もそのまま引き継いでしまい、最終的に大きなツケを払うことになる。

(文:西部謙司)