日本のサッカーを尊重したザッケローニ

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、ザッケローニ監督時代は3-4-3をオプションとして備えながらも、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。オシム時代より続く「日本化」の方針にも継続性があったが、W杯では厳しい現実を突きつけられることとなる。(文:西部謙司)

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 南アフリカワールドカップ後、岡田武史監督の後任探しは難航した。従来とは違う監督の探し方をしていたからだ。

 それまでの代表監督選びはコネクション重視だった。日本と縁もゆかりもない人物を招聘したファルカン、トルシエという例もあるが、オフト、加茂、岡田、ジーコ、オシムの“川淵人事”は、基本的にコネをたぐっての人選だ。コネというと聞こえが良くないが、人物や手腕をよく知っている監督を選ぶのは人事としては普通である。

 原博実技術委員長は、日本代表を任せるのに誰がいいかという視点から、全くコネのないところから探し始めた。ペジェグリーニ、ビエルサ、バルベルデという有名監督が噂にのぼったものの決定には至らず、ひょんなところからザッケローニが候補に浮上した。当初の人選にはなかったが、初のイタリア人監督の誕生となった。

 アルベルト・ザッケローニはウディネーゼで名を上げ、ミランユベントスインテルのビッグクラブを率いた。歴代監督の中でも最も華麗なキャリアの持ち主である。しかし、ザッケローニ監督は自らの考え方を押しつけなかった。日本にすでにある日本のサッカーを尊重した形でチーム作りを行った点で、それまでの監督とは一線を画している。

 ザッケローニが尊重したのは、原代行監督が率いた日本だ。手続きが間に合わず、新生チームの立ち上げにあたる親善試合の指揮を原技術委員長が執った。岡田前監督からザッケローニ次期監督への引き継ぎ役なので、戦術的な規制もなく、いわば素のままで2試合を行い、パラグアイとグアテマラに連勝していた。

「アジアのバルセロナ」との賞賛

 ザッケローニ監督は細かな指導を行っている。DFの体の向きが一般的な日本のやり方と違っていたり、ビルドアップの手順をパターン化するなど、ディテールにこだわりのある監督だった。ただ、細かく指導はするけれども「そのとおりにやらなくてもいい」と伝えていた。状況によって判断していいという余白を残している。アイデアは出すけれども絶対ではない。

 各ポジションの第一人者である代表選手、すでにある日本のサッカーを尊重し、そこに監督のアイデアを加えながら整えていく。強豪国の代表チームでは珍しくない手法といえる。主力の多くはヨーロッパのクラブで活躍するようになり、そうしたチーム作りが有効な段階になっていた。

 南アフリカ大会のチームに香川真司を加え、中澤佑二&田中マルクス闘莉王の後釜に今野泰幸と吉田麻也を据え、1トップに前田遼一を起用。だが、大幅なメンバー入れ替えはなく、岡田前監督の堅守に鋭い攻撃力を加える形でスタートする。

 ようやくまとまった練習時間を確保できたアジアカップ期間中、急速にチーム作りを進めた。グループリーグではもたつきもあったが、最後はオーストラリアを破って優勝。「アジアのバルセロナ」と賞賛された。

日本らしくあることとW杯を勝ち抜くこと

 アジアカップで骨格が出来上がった日本は、強みであるパスワークを生かした攻撃型のチームだった。

 遠藤保仁を軸とした後方のビルドアップから、長友佑都と内田篤人の両SBの前進、香川と本田圭佑による「間受け」、攻撃の2枚看板にスペースを提供するための1トップ(前田)による相手ディフェンスラインの牽制、岡崎慎司の神出鬼没な動き……個々の特徴を生かしながら組み合わせている。

 安定したパスワークでボールを保持して相手を押し込み、押し込むことでコンパクトな状態を作る。敵陣で失っても素早くプレッシャーをかけて奪い返すか、苦し紛れにロングボールを蹴らせて回収。この流れは確かにバルセロナと似ていた。

 基本フォーメーションは4-2-3-1。ザッケローニ監督には3-4-3という十八番があり、「私のドレスのようなもの」とまで話していたトレードマークだったのだが、機能している4-2-3-1を変えてまで押し通そうとはしなかった。3-4-3は「オプション」にとどめ、少しずつテストしながら熟成を待った。こうした柔軟性や懐の深さは、最初の2年間に関しては上手く作用した。

 ザッケローニ監督のチーム作りは、「無理のない日本化」を進めた岡田前監督の流れを期せずして受け継ぎ、より高い次元に持っていくことに成功したといえる。日本代表は、「日本らしいサッカー」を持ち始めていた。ジーコから始まった「日本化」は、ザッケローニの時代に集大成を迎えた感がある。ただ、日本らしくあることと、ワールドカップを勝ち抜くことは、イコールではなかった。

(文:西部謙司)