「ミダス・リスト2016」2位のスティーブ・アンダーソンは、インスタグラムへの創業時の投資で知られる、慧眼の投資家だ。なぜ彼は、次なる”鉱脈”を誰よりも早く、次々と発掘できるのか。アンダーソン流の投資哲学に迫る。

その時、2人の若き起業家は岐路に立っていたーケビン・シストロムとマイク・クリーガーは、ソーシャル・チェックイン・アプリの開発に、実に7カ月間を投じたものの、まったく芽は出なかった。そこで、代わりに”ある写真共有ツール”をゼロから作ると決断した。

問題は、彼らにとって最初の出資者スティーブ・アンダーソンをどう納得させるか。彼は25万ドルの創業資金を4カ月前に提供してくれたばかりだ。
 
怒るのか、失望するのか、それとも理解を示すのか。今後の計画を聞き、顎の無精髭をなでながら、テーブルに目を落としたアンダーソンは、すぐさま顔を上げ、笑みを浮かべてこう言った。

「その決断に、何だってそんなにもたついていたんだい?」
 
写真共有アプリ「インスタグラム」を10億ドルでフェイスブックに売却した今なら、この会合もただの笑い話だろう。

「スティーブは僕らの失敗を案じる様子を微塵も見せなかった。案じていたかもしれないが、素振りは自信ありげだった」

こうした瞬時の判断をたった1人で下せるのが、投資家・アンダーソンの強み。彼は小さいながらもシリコンバレー屈指のベンチャーキャピタルである「ベースライン・ベンチャーズ」を率いている。社内唯一の意思決定者であるアンダーソンには、起業家と会ってから30分以内に、誰にも相談することなく50万ドルの小切手を切ることさえもできる。
 
超人的な慧眼を武器に、有望なアイデアの芽を持つ起業家を早期に発掘。彼の名を知れ渡たらせたインスタグラムへの投資をはじめ、約2億5,000万ドルでセールスフォースに買収されたヘロクやツイッターへの投資など、圧倒的な実績を残してきた。米「フォーブス」の「ミダス・リスト2016」では堂々の2位に入っている。
 
現在の出資先も、フィンテック企業のソーシャル・ファイナンスやファッション業界でブームを起こすスティッチフィックス、「ゲーム・オブ・ウォー」で知られるゲーム開発会社マシンゾーンなど、次なるイグジット(出口)候補である企業ばかりだ。

米「フォーブス」の推計で少なくとも1億5,000万ドルの純資産を、47歳で築いたアンダーソンには、今さら大手のベンチャーキャピタルで働く必要はない。

「会議でパートナーがまとめたい契約について聞かされたり、社内政治を巡ってオフィスで口論したりする時間のすべてを、私は企業との会合に充てているんだ」
 
この”一匹狼の投資家”は、サンフランシスコ・カウホロー地区の元・子ども向け写真スタジオにオフィスを構える。サンフランシスコやカリフォルニアのビジネス街から離れたこの場所で、年間約10件の契約を一人でまとめているのだ。

「私とパートナーとの会議は短い。代わりに私と俺と僕が長いこと議論するからね」

大音量でダンスミュージックをかけながら電話をさばき、パーカとジーンズでスーツ姿の投資家と会う。年数回はラスベガスで豪華なパーティを楽しむ。ワンマンバンド的なやり方は、エゴではなくてあくまで自由のためだというアンダーソンは、このスタイルで抜群のリターン勝ち取ってきた。
 
最初の3件のファンドで集めた7,000万ドルは、7億ドルにまで増加。資金回収を断念した企業は4社に1社しかない。これまでに20件の出資契約が1億ドル以上のイグジットを達成している。

ベースライン社の成功の秘密ーそれは2006年の創業時に、ベンチャー投資の”新カテゴリー”を開拓したことにある。裕福な個人が投資する2万5,000ドルまでの「エンジェル・ステージ」と、従来型のベンチャーキャピタルが出資する100万ドル以上の「シリーズAラウンド」に挟まれた領域。

ここに目をつけたベースライン社は、25万〜100万ドルを出資し、5〜15%の株式を握る。創業者たちには12〜18カ月の猶予を与え、最小限のプレッシャーの下で開発に当たらせるのだ。

このアプローチへのこだわりから、ドロップボックスやウーバーへの出資を逃したこともあった。しかし一度投資を決めれば、ベースライン社はスタートアップの”心強い味方”となる。法人クライアントへの対処法からリストラによる組織の効率化まで、あらゆる相談に対応した。

「アンダーソンがいなければ、我が社は生き残れなかっただろう」

そう語るのはソーシャル・ファイナンスのマイク・キャグニーCEO。12年夏、約6,000万ドルのローンを承認していた後に突如1億ドルの出資の約束を取り消された同社のため、アンダーソンは8,000万ドルの資金調達を取りまとめたという。

アンダーソンは、シアトル郊外イサクアのシングルマザーの家庭で育った。父親は彼が5歳の時に家族を捨てたため、母や姉妹とトレーラーハウスに住み、時にフードスタンプで食いつなぐ生活を送った。

幸運にも、福祉活動の一環で父親代わりとなった男性の導きで、ワシントン大学に進学。物理学と経営学を学んだ。母はボーイング社のエンジニアになることを希望したが、バイトに明け暮れて成績が振るわず、その願いは叶わなかった。

ある時から「スターバックスのコーヒーワゴンで他の飲み物を販売する」というアイデアに熱中したアンダーソンは、学友の父親で同社CEOの右腕であったハワード・ビーハーに自分のプランを直訴。熱意が伝わり、卒業後はスターバックスのある店舗を任され、その後4年以内には、シアトル地区のゼネラルマネジャーに昇格したのだった。
 
1997年、スタンフォードのビジネススクールに入学したアンダーソンは、上場目前のイーベイからもらった採用のオファーを辞退。一夜にして”百万長者”になるチャンスを逸したものの、卒業後はベンチャーキャピタルのKPCB(クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ)に採用された。
 
入社した99年春はドットコム・ブームの真っ只中。アマゾンのIPO(新規株式公開)を成功させたばかりで同社パートナーのジョン・ドーアと組んだアンダーソンは、ある時創業直後のグーグルとの契約を担当した。彼らはネット検索に革新を起こすアイデアを既に持っていたが、すぐに利益を生みだす見込みはなかった。

「この投資を正当化するスプレッドシートがどこにあるのかってジョンに尋ねたよ」と、アンダーソンは言う。

「これはスプレッドシートではなく、アートの問題だ」
 
ドーアはそう答え、KPCBはグーグルの企業価値を9,900万ドルと見積もり、1,250万ドルを出資した。
 
KPCBで投資家の基礎を学んだアンダーソンは、パートナー昇格への経験を積むべく、シアトルに移り、マイクロソフトのシニア・マーケティング・ディレクターとなった。しかし、06年にはシリコンバレーに復帰。当時は株式市場が復調し、才能ある者たちが続々とIT業界に戻り、モバイルという名の”新大陸”を目指していた。
 
折しも、アマゾンが巨大なコンピュータインフラの安価なレンタルを開始。起業のハードルが下がる中、アンダーソンは前職の仲間にサイバーセキュリティ会社を起業させ、投資するつもりでいた。
 
しかし、「25万ドル前後の創業資金」を出そうというベンチャーキャピタルが見当たらない。「25万ドル」は、エンジェル投資家の出資額よりは多いが、5億ドルのファンドを運用するようなベンチャーキャピタルには、小さすぎる。この経験が転機となり、アンダーソンはそれまでのプランを放棄。1件あたり25万ドル前後を出資するベースライン・ベンチャーズを、創業した。

1件あたり1,000万〜5,000万ドルを投資する大手は、8倍〜10倍のリターンを得るために、数十億ドルのイグジットが数回必要である。アンダーソンは良いスタートアップを早期に発掘すれば、同等のリターンを”シングルヒットとツーベース”だけで達成できると考えたのだ。
 
その後、台頭した1件あたり25万ドル前後を出資する「スーパーエンジェル」たち。彼らには本格的な企業経営の経験や大手IT企業とのパイプもあったにもかかわらず、守旧派の投資家は一時の流行に過ぎないと侮っていた。

「我々はアウトサイダーであり、反逆者だった」と、グーグルを辞めてフェリシス・ベンチャーズを創業したエイディン・センクットは、当時を振り返る。

”伝説の投資家”に従わず、貫いた哲学

06年の晩春、アンダーソンはファンド設立に向けて、KPCB時代からの師である伝説のエンジェル投資家ロン・コンウェイに白羽の矢を立てた。グーグルやペイパルへの出資実績のあるコンウェイは投資の第一線から一時身を引いていたが、アンダーソンの求めに喜んで応じ、1号ファンドの中心的な出資者となった。
 
当初は1,000万ドルの1号ファンドも簡単には組めなかった無名のベースライン社も、1年前に出資したパラキーのフェイスブックへの売却で最初の成功を掴むと、状況は好転。しかし、コンウェイとの関係が投資哲学をめぐりぎくしゃくし始める。

何十社ものスタートアップに同時に資金を注ぎ込み、利益が出たらさらにリスクを取るという、自分流の必勝法にこだわるコンウェイ。彼は次第に入れ込んでいったソーシャルメディアの分野に、一点集中で投資したがった。

一方のアンダーソンは業種をかなり分散させて、年に10社ほどしか投資しなかった。やがて2人は道を分かつことに決め、コンウェイは自分のスタッフを伴って、新たにSVエンジェルを創業した。
 
皮肉にも、コンウェイがソーシャルメディアに的を絞るために出ていった後、アンダーソンはソーシャルメディアへの出資で成功を掴む。10年2月に創業資金を提供したスタートアップの写真共有アプリ「インスタグラム」が、12年4月にはザッカーバーグが喉から手が出るほど欲しがる人気サービスへと成長したのだ。
 
アンダーソンはインスタグラムが50億ドル以上の会社になると見込んでいた。しかし、若きCEOシストロムの意向を尊重し、約10億ドルで売却。その時、アンダーソンのファンドは12%の株式を保有していた。

「私が投資したのは自分のリターンを最大化するためじゃない。ケビンのことを買ったから、投資したんだ」
 
スタートアップは、どれほど成功しても、必ず危機に見舞われる。今年、オンライン古着ショップ「スレッドフリップ」のマニク・シンCEOは、サービス閉鎖の意向を告げに来た。もし閉鎖すれば、アンダーソンの出資金約100万ドルを含む何百万ドルもの資本金が失われる。しかし「君は私に巨額のイグジットをさせるために働いているわけじゃない」と、アンダーソンは彼女の意志を受け入れた。

「私は投資家である。だから、このビジネスでは金を失うことだってある」
 
近年、スタートアップの経営環境が厳しくなる中、アンダーソンはポートフォリオの組み替えを準備している。15年の最終四半期は、投資先は2件のみ。シード期よりも後の投資に乗り出すなど、投資戦略の変更も厭わなくなっている。
 
富も名誉も手に入れたアンダーソンのリタイアを止めるものは、何もない。ただ仕事を心から楽しんでいる彼は、まだスローダウンできる状態ではないようだ。
 
この記事の撮影で、触れる物すべてを黄金に変えたミダス王にちなみ、アンダーソンは両手を金色に塗った。撮影を終え、手を洗うと、石けんとお湯が、そばかす混じりの手から金色の輝きを消していく。これは何かの前兆だろうか。「そうでないことを祈るよ」と、彼は笑顔で答えた。

Forbes JAPAN 編集部