ゲーム会社のRovioやSupercellをはじめとする有名スタートアップを生み出し、海外のテクノロジー企業も進出を加速させている北欧の小国フィンランド。「起業立国」を目指す同国の取り組みを、ヘルシンキの現地レポートで探った。

「フィンランドに生まれたら、自動的にグローバルになれる。そこが君たちの強みだ。実際、成功するスタートアップも出てきて、いいエコシステム(生態系)ができつつある。アメリカではパスポートを一生とらない人も多いんだから」
 
そう自虐的なコメントを真顔でするのは、クリス・サッカ(41)。スタートアップの世界で知らぬ者のいない、シリコンバレーの伝説的なエンジェル投資家だ。
 
クリスは昨年11月末、ヘルシンキで開かれたスタートアップの祭典「Slush(スラッシュ)」でゲストスピーカーとして登壇し、フィンランドの企業への期待感を示した。

つい最近まで通信大手ノキアの衰退により苦しんでいたはずの北欧の小国フィンランドが、欧州有数の「スタートアップ立国」へと生まれ変わろうとしている。

ヘルシンキにはノキアを買収したマイクロソフトやGEなどの大手企業から、マジックリープのような有望な新興企業までが続々と拠点を開設。同国のスタートアップ投資は右肩上がりで増加し、大型調達のニュースも相次いでいる。昨年、KNL Networks(ワイヤレス通信)は北欧の「シリーズA」史上最高の1000万ドル(約11億円)以上を調達。またM-Files(文書管理)はスラッシュで出会った投資家らからフィンランド史上最高額となる3300万ユーロ(約40億円)を獲得した。

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スラッシュで2つのピッチコンテストに出場した人事系スタートアップ、TalentAdoreの共同創業者兼CEO、サク・ヴァルカマ(44)は本誌にこう語った。

「10年前、優秀な学生たちはノキアに就職したがったけど、今は起業家を目指すようになった。スラッシュが人々の意識を変えたんです。スタートアップをリスペクトするようになった。フィンランドでは起業家になったあとでも、大企業に就職できますよ」

学生たちの”草の根運動”

昨年、スラッシュの参加者は1万7000人を突破。イベントの運営予算は年間1000万ユーロに上るという。興味深いのは、この巨大なイベントを運営しているのが、テクノロジー企業でも投資会社でもメディアでもなく、地元の大学生たちという点だ。

スラッシュはもともと2008年にヘルシンキの起業家数人が交流の場として始めたイベント。それを地元の学生たちが11年に引き継ぎ、投資家やメディアを巻き込んで世界的イベントへと急成長させた。

現在は市中心部に事務所を構え、25名ほどの学生たちで運営しているが、数年前までアアルト大学の学生団体「アアルト・アントレプレナーシップ・ソサエティ(通称、アアルトES)」の一部門だった。このアアルトESは学生組織ながら「欧州最大の起業コミュニティ」とされ、なんとスラッシュのほかにも、有力な起業支援キャンプ「スタートアップ・サウナ」(後述)や欧州最大のハッカソン「ジャンクション」などを生み出している。

つまり、今日のフィンランドの起業ブームは、学生たちによる”草の根運動”なくして実現しなかったといっていい。

スラッシュはNPOであるため、利益を上げることが目的ではない。だが、これだけの規模のイベントなら、十分に黒字化できそうなものだ。なぜ営利事業にしないのか。スラッシュの代表を務める現役女子学生、マリアンヌ・ヴィックラ(24)は「短期的には儲けることもできると思う」としつつ、こう答えた。

「イベントの成功は純粋にコミュニティによって作られています。ボランティアの学生たちやアドバイザーになってくれる有名起業家たちは皆、私たちと同じ志をもって、自発的に協力してくれています。もしイベントを金儲けの道具にしようものなら、起業家たちは協力しないと思うし、学生たちも『変化を起こそう』と熱い気持ちにはなっていないと思います」

その”熱い気持ち”は本物のようだ。昨年のスラッシュにはなんと2300人ものボランティアがかかわった。ほとんどが大学生や高校生たちだ。

会場でクローク係をしていた女子高生のイーダ・キヴィマキ(18)は、先輩に勧められ、初めて参加した。

「将来どんな仕事がしたいか、いろいろと考えるきっかけになった。以前はまったく考えてなかったけど、今や起業家になることも少し考えています」とはにかむ。

自分より少しだけ上の世代の先輩たちがステージなどで張り切る姿は、10代の若者たちにとって大きな刺激となっていることは間違いない。スラッシュではボランティアを通して、”起業家予備軍”を啓蒙するサイクルもできているように感じた。

会場にはさらに若い、小学生たちの姿もあった。聞くと、小学生のための起業プログラム「pikkuyrittajat(ピクウリタヤット)」の宣伝のために来ているという。昨年秋に国内200の小学校でカリキュラムの一環として導入され、すでに7000人の児童が参加したそうだ。

生徒たち(10〜12歳)は9週間(週1回の授業)でアイデアを考え、計画を練り、ピッチをして、商品やサービスを製作し、実際にモールなどで販売する。

「商品といっても子どもなので、ベイカリーやアクセサリー、文具などです。でも自分たちで何かを作って売るという体験が重要。『子どもでもトライすればできる』とわかって自信をつけられます」と、14年に同プログラムを立ち上げた元教師のヴィルピ・ウトリアイネンは話す。

アメリカンスクールに通うイェミナ(11)は、友達と一緒に石鹸やハンドクリームなどを作って150ユーロを売った、とうれしそうに教えてくれた。

「キャッチコピーの作り方とか、お客さんへの話し方とか知らなかったけど、今は少しわかるようになった。将来は自分の会社をもちたい」

小学校でここまで実践的な起業教育が導入されているのに驚かされる。スラッシュが始まって8年。今では東京や上海、シンガポールでも地元の有志により”地域版”イベントが開催されるようになった。

初日の開幕式でステージに立った創設者の一人、ピーター・ベスターバッカ(Rovioの元幹部として知られる)は、「スラッシュを始めたときはみんなから馬鹿にされた」と振り返った。

「ヘルシンキの冬は寒いし、暗いし、雪が積もっているだろと。でもまさにそこがポイントだった。世界のどこへ行っても、みんな『ここが第2のシリコンバレーになる』と言う。でも、シリコンバレーのマネをするのは独創性がない。だから僕らは最初からはっきりさせたかった。ここはシリコンバレーとは違う、もっと素晴らしい場所なんだ、と」

学生運動が生まれた大学へ

スラッシュをはじめとする起業ムーブメントを生んだアアルト大学とはどんなところなのか。ヘルシンキの郊外エスポーにあるメインキャンパスを訪ねた。

カフェテリアでは、多くの学生たちが昼食を食べながらプロダクトやビジネスの話に興じている。まるでビジネススクールか、スタートアップのブートキャンプに紛れ込んでしまったかのようだ。

じつはここアアルト大学は、政府が進める「イノベーション創出」のモデル校として、10年に設立された新しい大学だ。ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ工科大学、ヘルシンキ芸術大学という、いずれも創立100年以上の歴史をもつ由緒ある3大学を統合して誕生した。

つまるところ、「ビジネス」「テクノロジー」「アート」の専門大学を一つにまとめたわけだが、イノベーションの創出にはこの3分野の融合が欠かせないという判断は、スタートアップ経営者の多くが納得するものだろう。

同大学では「アアルト・ベンチャーズ・プログラム」をはじめ、起業やイノベーションに特化した複数の専門プログラムが提供されている。その成果はすさまじく、大学側によると「毎年70〜100社のスタートアップが誕生している」という。

学生組織「アアルトES」の活動拠点になっているガレージ風の建物を訪ねると、ちょうどハッカソン「ジャンクション」が行われた週末の直後だったため、フロアには徹夜で消費されたエナジードリンクのゴミ袋が山積みになっていた。

大部屋では地元の投資家たちによるセッションが行われていた。起業支援キャンプ「スタートアップ・サウナ」のプログラムの一つだという。

スタートアップ・サウナは10年に学生たちが立ち上げた5週間のプログラム(やはり非営利活動だ)で、これまで200社以上のスタートアップが卒業している。16年には30社ほどの参加枠をめぐって世界中から約1500社の応募があったというから、人気はきわめて高い。

その狭き門を通過してスタートアップ・サウナに参加したTalentAdoreのサク(前出)は、フィンランドのスタートアップの強みをこう語る。「フィンランドの素晴らしい点は、ここがテストマーケットになること。人口が500万人程度しかない。人々はオープンマインドで、新しいことを試したがる。ここで成功すれば、ほかの国でも成功するはずです」

一方、スタートアップ・サウナの代表で、以前アアルトESの副代表を務めていたという男子学生、パヌ・パリヤッカ(25)は別の側面を指摘する。

「(フィンランドは)コミュニティのエコシステムがしっかりしている。互いに助け合えるプレーヤーがいて、支え合う文化があって、困っていたらコーヒーを飲みながらアドバイスをもらえたりするんです」

さらに、フィンランド人の気質もスタートアップの経営にプラスになっていると語った。

「『sisu(シス)』という言葉があります。一般に『我慢』や『忍耐』などと訳されますが、英語には正確な訳語がないようです。『どんな逆境でも知ったことか、やってやるぜ!』という考え方ですね。典型的なフィンランド人のメンタリティです。だから、どんなに厳しい困難でも乗り越えられるのだと思います」

年間2000人が通う「実験工房」

アアルトESの活動拠点のすぐ隣には「アアルト・デザインファクトリー」と呼ばれる施設があり、工作機械などが並ぶ。ここでは40以上のコースが提供され、年間2000人近い学生たちがプロトタイプ製作の手法などを学んでいるという。アアルト大学の学生なら、専攻を問わず誰でもコースをとることができる。在校生が約2万人なので、10人に1人が通っている計算だ。

同大学の工学科の卒業生で、「製品開発コース」のアシスタントコーチを務めるサウラブ・インガレ(30)は言う。

「このコースでは企業と提携し、『プロブレム・ベースト・ラーニング(PBL)』と呼ばれる手法を採用しています。学生たちは数人のチームを作り、企業から課題の相談を受け、1年間(9カ月)かけて答えを導き、プロトタイプを製作します。各プロジェクトには1万〜5万ユーロの予算がつき、学期の最後に企業にプレゼンします」

製品開発コースを含むいくつかのコースでチームを組む際には、必ず守らなければならないルールがある。それはチーム内にビジネス、工学、アート専攻の学生をそれぞれ1人以上入れることだ。サウラブはこう説明する。

「工学専攻とビジネス専攻の学生では物の見方が違います。同じ会議に出席しても、1人だと顧客の要望をうまく汲み取れないこともある。社会に出てからミスをすると大きな損失をこうむりかねないけど、学生なら取り返しがつくし、いい経験になる。失敗から学べるからです。専攻が違う人たちと一緒に仕事をすることで、いろんな視点を学べるんです」

デザインファクトリーでのプロジェクトを事業化し、そのままクラスメイトと会社を興す学生たちもいるという。

スラッシュが閉幕した翌日、市内にあるフィンプロ(大使館商務部)のガラス張りのオフィスでは「チーム・フィンランド」による「米市場進出セミナー」が開催されていた。

チーム・フィンランドとは、同国の経済雇用省や外務省、教育文化省、および関連機関などからなる特別編成チーム。企業の国外進出を支援したり、国内へ投資を呼び込む活動を行っている。

この日、7時間にのぼるセミナーではアメリカから専門家を招いて、シリコンバレー進出を狙うスタートアップが知っておくべき法律問題や文化摩擦、資金集めの方法などについて、実践的な講義が行われていた。誰でも参加でき、料金は軽食込みですべて無料。最後にはカクテル付きのネットワーキング(交流会)まで行われた。こうしたセミナーは頻繁に開かれているといい、政府によるスタートアップ支援の手厚さを感じさせる。

政府と民間の協業は北欧社会らしい特徴ともいえる。いったい政府はスタートアップの育成にどこまで本気なのか。フィンランド技術庁(Tekes)のスタートアップ本部長、ユカ・ハウルネン(61)はこう答える。

「(政府の間でも)スタートアップと一緒に経済を変えようという前向きな態度が生まれています。フィンランドの現首相(ユハ・シピラ)だって、元起業家ですからね」

フィンランドでは、Tekes、国立研究開発基金(Sitra)、フィンランド輸出信用会社(Finnvera)など、起業家向けの公的ファンドが多く存在する。フィンランド産業投資(FII)によると、08年の経済危機のあとには、同国のベンチャーキャピタル・マネーの半分近くが公的ファンドによって支えられたという(現在は20%程度まで低下)。

とりわけ創業初期のスタートアップにとって心強い味方がTekesだ。企業の研究開発・イノベーションに特化した政府系ファンドで、15年に国内のスタートアップ700社に融資や助成金の形で総額1億4,000万ユーロを拠出した(10年前と比べると3倍以上の額だ)。

一般のベンチャーキャピタルとの違いは、Tekesは株主にはならないということ。出資ではなく、あくまで銀行のように資金を貸し出したりするだけだTekesからの融資を含め、昨年80万ユーロの資金を集めた前出のスタートアップ経営者、サクは語る。

「スタートアップにありがちなミスは、会社の大部分を早い段階で手放してしまうこと。そしてあるとき、自分たちが会社のオーナーでないことに気づく。私たちは今でも株式の80%を保有しています。ほかのスタートアップが80万ユーロの資金を集めたなら、おそらく保有株式の割合は50〜60%くらいまで下がっているでしょう。だからこの(政府支援の)モデルはとても素晴らしいと思います」

だが政府の存在はスタートアップ間の公正な競争をゆがめることにはつながらないのか。スタートアップ・サウナの代表、パヌ(前出)に疑問をぶつけた。

「もちろん、Tekesから支援を受けたスタートアップが結果的に失敗することもあります。でもネガティブな面より、ポジティブな面の方が大きいと思う。実際、Supercell (ゲームアプリ)などフィンランドで成功したスタートアップの多くは、『政府の支援がなかったらつぶれていた』と認めていますしね」

北欧社会ならではの”強み”

Tekesの融資には一つ大きな特徴がある。それは単独で融資を実行することはなく、必ず民間ベンチャーキャピタルからの出資獲得を前提条件とすることだ。Tekesの幹部、ユカ(前出)は話す。

「我々はスタートアップの成長を加速するために、民間投資をレバレッジしているのです」

政府ファンドの存在は本当に必要なのか、とあえて聞いてみた。

「この数年でフィンランドにもようやくエコシステムができてきた。だから国外のベンチャーキャピタルもやってくるようになりました。ただ、今でもこの国には民間のベンチャーキャピタル・ファンドは十分にない。正直なところ、我々は自分たちの役割を終えて必要なくなればいいと思っています。でもまだその段階にはありません」

中小企業向けの融資を行うFinnveraの上級顧問、マルク・オーリ(56)は、社会のあり方そのものもフィンランド企業の強みになっていると指摘する。

「フィンランドはイギリスなどと違って、民主的で平等な社会。所得の異なる人同士が同じ地区に住んでいます。会社の中でも階層の壁が低いんです」

同僚の金融マネジャー、ハリ・イハマキ(39)も「スタートアップの起業家でも大企業のCEOに電話すれば、相談に乗ってくれたりする。アイデアをぶつけて議論できる相手が必ずいるんです」と同意する。

こうした話を聞いていると、フィンランドという国家自体がまるでスタートアップのように迅速に意思決定し、ときにピボット(方向転換)しつつ、機動的に動いているのではないかと思えてくる。

新たな産業を創出するというのはむろん、簡単ではない。だがフィンランド人なら乗り切れるかもしれない。彼らにはそう、”sisu”があるからー。

増谷 康