この世のものとは思えない「アバター」のすごさ
(フィナンシャル・タイムズ 2010年1月22日初出 翻訳gooニュース) ピーター・アスプデン
ポピュラー・カルチャーの傑作というのは得てしてそういうものだが、ジェイムズ・キャメロンの3Dサイエンス・フィクション大作『アバター』は、決して深遠な作品ではない。しかし、映画史上最高の興行収入を記録しつつある『アバター』について、細やかな機微に欠けるとか、脚本に欠点があるとか、そういう批判をするのは、全くもって的外れなことだ。それはまるで、ビートルズの『I Want to Hold Your Hand』の歌詞を批判したり、ベートーベン後期のピアノソナタはダンスに向かないと批判するようなもの。ごく稀にだが、狙いを全て実現する芸術作品というものがある。とある芸術ジャンルの方向性そのものを大胆に変えてしまう作品も、ごくごく稀にある。『アバター』はこの両方にあてはまるのだ。
『アバター』は映画作りの新しい基準を打ち出した。これに疑いの余地はほとんどないだろう。しかしそれは『アバター』の最大の魅力ではない。むしろ『アバター』の様々な魅力の中でも一番ポイントの低い部分なのだ。キャメロン監督とそのチームは、エデンの園のような惑星「パンドラ」とそこに住む「ナヴィ」という人々を作り出した。地球からやってくるフーリガンのような連中に脅かされるナヴィ族の物語を描くにあたり、キャメロンたちは映画史上まれに見るほど美しい映像効果を生み出した。その3D技術は絶品だ。私たちはなんて恵まれているのだろう。ひとつの芸術形態が文字通り二次元から三次元へと深化する、その同時代に生きているのだ。
1940年代のハリウッドが作り出した白黒映画は平面的で、「銀幕」と呼ばれるにふさわしい銀色の光沢を放っていた。それが今や『アバター』の重層的で華やかな画面へと、映画は進化したのだ。これはたとえるなら、ルネサンス時代の大画家たちが試行錯誤しながら歩んだ旅路とよく似ている。ルネサンス以前のジョットは確かに名画家だったが、ルネサンス後に登場したカラヴァッジオの絵はそれとは全く別物だ。
とは言いつつも、いかに『アバター』に深みが欠けているかの話にいったん戻ろう。だからダメなんだという意見とは違って、深みに欠けるのは決して欠点などではない。初期のビートルズが1960年代に発表したいくつものシングルは、花咲く大衆文化そのものだった。初期のビートルズが送り出したたくさんのヒット曲が、はっきりと教えてくれたことがある。要するに、シンプルなテーマをひどくシンプルに表現しても芸術は芸術的であり得るということだ。ベートーベンの偉大なソナタ曲は、人生がいかに豊かで果てしなく複雑なものかを強調する。それに対して『I Want to Hold Your Hand』は、単純に楽しいものこそ、クラクラするほどめくるめく喜びを与えてくれるのだと、改めて気づかせてくれたのだ。単純に楽しいものほど嬉しい。ポピュラー文化はこの前提から出発し、半世紀の間に見事な作品群を積み上げてきた。
『アバター』はこの伝統の中にある。扱うテーマはシンプルで(人間の欲望で滅びつつある惑星)、かつ現代の私たちに共感できるものだ。伝えたいメッセージの中心には、ラブストーリーがある。物語は、人の強欲や悪意に対して憤りつつ、どれだけ面倒で辛くても、異文化とは誠意をもってオープンに対話していくべきだと訴える。差別や偏見に対する「正しさ」、つまりポリティカリー・コレクトであろうとするその姿勢はすさまじいばかりだ。主役の男性は車椅子に乗っている。そのほか印象的な登場人物は3人とも(賢者も戦士も浮世離れした科学者も)女性だ。9歳になる私の娘は映画を見終わって、自分も女性だということに誇りで一杯だった。もしこれが1977年で、当時話題のSF映画を観に行ったのだとしたら、娘は白いひらひらドレス姿のステキなお姫様に憧れただろう。まさにこれこそが進歩だ。
実にまともな作品に思える。なのに『アバター』はあちこちから批判されている。リベラルで知的な傾向の人たちは、『アバター』が仰々しくて単純で、かつ3億ドル〜5億ドルというとんでもない巨額予算の大作だから、大嫌いだという。アンチ資本主義な人たちは、『アバター』がすでにとんでもない巨額の興行収入をあげているから(現時点で実に16億ドル超)、大嫌いだという。
宗教右派は、『アバター』が伝統的な価値観を尊重しないからと狂ったようにいきり立っている。「ファミリーのための映画・娯楽ガイド」を自称する「Movie Guide」サイトでは、評者のひとりが映画の環境保護メッセージを激しく馬鹿にしている。いわく「地球上で起きる問題は資本主義のせいではない。人間が本質的に悪だという、それが原因だ。だから木にしがみついたところで、問題は解決しない。真実が知りたいなら聖書を読め」というのだ。中国政府は反体制的ともとれる主題を恐れてか、通常の2D映画館での上映を禁止した。中国で3D対応の映画館はとても少ないので、上映は事実上制限されたことになる(訳注・別のFT記事によると、通常映画館の上映はこのほど解禁されたとのこと)。
政治的な批判だけでもありすぎるほどあるのに、もっとけったいな理由であさっての方向から攻撃する人々もいる。たとえば、映画の反動で若者が鬱状態に陥ることを心配する人たち。作中のナヴィ族の暮らしに魅了されきった若者が、映画館を出るや、もとの地上の暮らしに対応できないというのだ。おまけに、これはまったく時代遅れな苦情にも思えるのだが、『アバター』の3D効果のせいで気持ちが悪くなるという少年少女もいるのだ。可哀想に。
こうした騒ぎのあれこれは確かに誇大広告的ではあるが、同時に、この作品の力点を端的に示してもいる。この映画は、観る者の反応をかきたてる。ともかくもやたらと気になるのだ。見た目が見事すぎるほど立派なのに物語のメッセージは実に薄っぺらで、そのあからさますぎる食い違いが評論家たちを苛立たせる。しかしキャメロンは、自ら選んだ映画という表現手段を、完璧に理解している。完璧に理解していると、『アバター』で示した。
かつて(『タイタニック』の際のアカデミー賞授賞式で)自らを「世界の王様」呼ばわりしたキャメロン監督は子どものころ、地元の博物館で古代エトルリア戦士のヘルメットを写生してばかりいたというオタク少年だった。その元オタク少年は、新しい千年紀における最強の芸術作品を、創りだしてみせたのだ。
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(翻訳・加藤祐子)
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