「日本にとって素晴らしい日」
(フィナンシャル・タイムズ 2009年8月31日初出 翻訳gooニュース) 東京=アジア編集長デビッド・ピリング(前東京支局長)
日本にとって素晴らしい日だ――。かつて公務員だったその人は嬉しそうに、そして少しいたずらっぽいまなざしでそう言った。「これで日本もやっと、台湾や韓国なみになったということだ」と。
台湾や韓国のように日本の有権者も、ひとつの政治集団から別の集団に、権力を平和的に移動させたのだから。これは1955年以来、初めてのこと。8月30日の総選挙で日本の民主党は地滑り的勝利を収め、中国共産党に匹敵するほど権力を長く独占していた自民党の覇権的支配をついに打倒した。
すでに退官した某公務員氏の発言は、ほかの日本人を穏やかに挑発しようとしてのものだ。というのも日本人のほとんどは、東アジアでもっとも政治的に成熟している大人な国は日本だと、そう思い込んでいるだろうから。しかし実際にはある意味で、日本は未だにアジアでも政治的に遅れた国だ。1987年に軍政が終焉した韓国でも、そして国民党の半世紀にわたる一党支配が2000年にようやく終わった台湾でも、すでに何度も政権交代を経験している。しかし日本ではこれまで、一度しか政権交代できていなかったのだ。
今回の選挙以前、日本における野党の役割を最も端的に表現したのは、日本専門家のカレル・ヴァン・ウォルフレンだった。日本の野党はまるでギリシャ悲劇の「コロス」のような存在で、いくら政府を批判してもその声はあくまでも「儀礼的で実害はない」と、ウォルフレンはそう言っていた。しかし今回の選挙で日本にもようやく、「政党」と呼ばれるにふさわしい集団が二つ存在することになった。しかしこれで二大政党制が成立したのかどうかは、まだ実証されていない。
欠けているのは、思想だ。韓国や台湾と違って日本は未だに、分かりやすい政治理念をもつ政党や、国の未来像を独自に描くことのできる政党を欠いている。あまたの派閥に分断された自民党も、今回勝利した民主党も(見事なほどバラバラな意見が混在する、5つの政党の寄せ集めだ)、思想的な一体性をもっているとは言いがたい。そして現場レベルで言えば、日本の選挙戦というのは「私に入れてください。よろしくお願いします」と頼んで回る以外の、なにものでもなく、そこに政治的な洗練はない。とある自民党の政治家は必死のあまり「助けてください」と懇願したほどだ。
自民党はよく「中道右派」な政党だと呼ばれる。しかしそれは単純すぎる、いい加減なくくり方だ。確かに自民党は防衛や教育、そして一部の社会政策について本能的に保守的な感覚をもってはいる。しかしほかの民主国家の多くで同じことをやったならば「中道左派」と呼ばれるような、富の再配分的な政策を追求してきたことも事実だ。自民党にとって何よりも重要な政治課題は「権力」そのものだった。そして自民党の存在意義は、当選したいがためにその旗印の下に集まる人々のパトロンになることだった。しかし今となっては、自民党が何のためにあるのかよく分からなくなってしまった。
長年にわたり日本政治を見つめてきたコロンビア大学のジェリー・カーティス教授は、自民党について「分裂するとは思わない。これから党としてどうするのか、野に下り考える時間は、4年間もあるのだし」と言う。しかし常に潤沢な資金で潤っていたからこそ動いていた自民党の政治システムについては、「自民党は新しい党として再生しなくてはならない」とも指摘する。「ばらまき政策をばらまき続けることで政権復帰しようとしたら、自民党は二度と復帰できないだろう」と。
ゆえに今後の展望について、こういう展開もありえる(その可能性は確かに低いが)。つまり自民党はこのまま衰退して消えてなくなり、民主党はただ同じような政権与党として自民党の後釜に座るだけという展開だ。現時点で早くもすでに、来年の参院選で議席が危うい自民党議員たちが必死になって民主党に次々とくら替えするのではないかと、そういう話しも出ているほどなので。
そのほかにもう一つ、ありえそうなシナリオもある。利権誘導型の政治から解放された日本の有権者は、あっちの政党こっちの政党へと激しく行ったり来たりするかもしれない。なんといっても今回、野党に地滑り勝利を与えた日本の有権者は、わずか4年前、小泉純一郎氏率いる自民党を大々的に信任したのだから。与野党が激しく入れ替わる政治というのも、ある種の二大政党制なのだろうが、それは実に頼りない不安定な体制だ。
あるいはこうして書いてきたいずれも、日本では実現しないのかもしれない。政情は安定し、米英的な二大政党制が徐々に形成されていくのかもしれない。民主党はやがて社会民主主義的な政党として浮上するかもしれないし、自民党はそれに対する選択肢になりえる保守政党になるのかもしれない。しかし日本の有権者がこれまで疑いようもなくはっきりと示したことはただ一つ、「日本人も半世紀に一度は気が変わることもある」ということだけだ。
こういう事態になっても尚、自分たちには選択肢が本当にあるのかどうか、有権者は確信できずにいる。世論調査を見ても、個々の日本人に話を聞いてみても、日本の有権者は民主党の政策に心から同調して投票したというよりも、自民党に対して反乱を起こしたのだ。しかしそれでも日本人は、自分たちが本当の意味で主権を行使した、あるいは影響力を発揮したのかどうか、確信できずにいる。その証拠に30日の夜、こんなことがあった。あるイタリアのテレビ・プロデューサーが「民主主義の歴史的勝利をあちこちで祝っている日本人の画像をとってこい」と、カメラマンを外に送り出したのだが、そんな光景はどこにもなかったのだという。「何も録画できなかったんだ」とこのプロデューサーは嘆いていた。
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(翻訳・加藤祐子)
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