英語とは誰の言葉か 形を変え続けて広まる英語――フィナンシャル・タイムズ(1)
(フィナンシャル・タイムズ 2007年11月8日初出 翻訳gooニュース) マイケル・スカピンカー
テレビニュースの元アンカーマンで韓国大統領候補の鄭東泳(チョン・ドンヨン)氏は支持率で遅れをとっているかもしれないが、選挙公約にはかなり目を引くものがある。大統領に当選した場合、韓国の若者が英語を学ぶためにわざわざ外国に行かなくてもいいように、国内の英語教育を充実させるつもりだというのだ。英字紙「コリア・タイムズ」は、「英語を学ぶために、家族が離れ離れになる問題を解決する」必要があると、鄭氏がコメントしたと伝えている。
中国では、ユー・ミンホン(マイケル・ユー)氏が創設した英語スクール・受験塾、新東方教育科技集団(ニューオリエンタル・エデュケーション・アンド・テクノロジーグループ)が、国内最大手となった。昨年度の学生数は100万人以上。ほとんどが英語を勉強している。南米チリでは、次世代までに全国民が英語とスペイン語のバイリンガルになるよう目指すというのが、政府方針だ。
世界中でいったい何人が英語を学んでいるのか、誰もはっきりとは把握できていない。英国の公的な国際文化交流機関ブリティッシュ・カウンシルは10年前、10億人ぐらいではないかと見ていた。同カウンシルが昨年発表した報告書「English Next(次は英語)」では、今から10〜15年後ごろに、英語学習者は20億人でピークに達するのではないかと見ている。
では、現時点ですでに英語を話す人は世界で何人ぐらいいるのだろう? 英語についての世界的な権威で、100冊以上の著作も発表している言語学者デビッド・クリスタル教授によると、世界中で約15億人(地球人口の約4分の1)がまあまあそれなりに英語で意思疎通できるのではないかという。
かつて広大な地域で共通言語として使われていたのは、ラテン語だった。しかしそれは欧州と北アフリカ限定。今の英語のようにこれほど広い地域でひとつの言語が使われたことは、人類史上かつてなかった。何百万もの人が英語を勉強する理由は簡単だ。国際ビジネスの言葉は英語。よって富を得るための手段が英語なのだ。マイクロソフトやグーグルやボーダフォンがビジネスに英語を使っているから、だけではない。中国人がブラジル人と話す時、ドイツ人がインドネシア人と話す時、そういう時に使うのが、英語だからだ。
英語が世界中に広まったこの物語は、北アメリカ、ブリテン諸島、オーストラレシアに住むネイティブ・スピーカーたちの勝利だ——と解釈したくなる気持ちも分かるが、それは間違いだ。「English Next」の筆者デビッド・グラドル氏は、こう指摘する。グローバル英語は最早もっと複雑な段階に入っている。英語は世界中でどんどん変化していて、古くから英語を使っている国々はその変化の仕方をコントロールもできないし、変化の仕方が必ずしも気に入らないかもしれないのだ。
グローバル英語について論じる人たちは主に、3つの論点を挙げる。第一に、いま利用者が急増しつつある北京語やスペイン語、あるいはアラビア語に、英語がとって代わられることはあるだろうか? 第二に、英語が世界各地に広まり、地元の言語の影響を受けるのに伴い、どう変化していくのか? ラテン語がイタリア語とフランス語に変容していったように、枝分かれしてそれ自体は消滅するのか。それともドイツ語がオランダ語とスウェーデン語を生み出したように、それ自体も残りつつ新しい言語を派生させるのか。第三に、もし英語がこのまま「どこでも通じる」という共通性を特徴として残すとして、その「共通する英語」とは、古くから英語を使っている国々の英語になるのか、それともこれまでの英語とは違う新しい英語になるのか?
英語ではない別の言葉が世界言語になる。これは全くありえない話ではないと、グラドル氏。約50年前には、英語を母国語にする人数は、北京語に次いで多かった。しかし今日では、スペイン語を母国語とする人数も、ヒンディー・ウルドゥー語を母国語にする人数も、英語なみの数になっている。21世紀半ばまでに、英語を第一言語とする人数はアラビア語にも抜かれ、第5位に後退しているかもしれないのだ。
中には、英語にはそもそも有利な条件が備わっているから、英語は生き延びるという人もいる。有利な条件とはつまり、覚えやすい、という。三人称単数現在形にやっかいな「s」がつくのを別にすれば(例「She runs」)、誰が主語だろうと動詞は変化しない(I run, You run, They run; We ran, He ran, They ran)。定冠詞・不定冠詞は名詞の性別によって変化しないので(the actor, the actress; a bull, a cow)、ほかのヨーロッパ言語のように「テーブル」は女性名詞なのか男性名詞なのか、覚えておく必要もない。
しかしその一方で、英語にも覚えにくい要素はいくらでもある。よく似た句動詞の細かな違いを説明するのは大変だ。たとえば「I stood up to him」と「I stood him up」の違いとか(訳注・前者は「私は彼に立ち向かった」。後者は「私は彼をすっぽかした」)。
英語は簡単だから世界言語になった——というこの説を、クリスタル氏は一蹴する。昨年発表した論文で同氏は、ラテン語は文法的にきわめて複雑だったけれどもそれでも広く普及したと指摘している。「ある言語が世界共通語になる理由は、その言語そのものの構造とは無関係だ。世界共通語になる理由は、その言葉を使う人たちの強さと関係している」。「太陽の沈むことなき」と言われるまで勢力圏を広げた大英帝国は、その太陽の沈まない国々にあまねく英語を広めた。
そしてその大英帝国が衰退した後も、アメリカが経済や文化に多大な影響力をもったおかげで、英語の圧倒的な地位は守れられてきた。
ということは、中国の台頭によって北京語がいずれは世界共通語になるのだろうか? あり得ることだ。「数千年前にさかのぼってみれば、いったい誰が、ラテン語がこんなに衰退すると予想できただろう?」とクリスタル氏。とはいえ現時点では、中国語が英語にとって代わりそうには見えない。中国の人たちはこぞって英語を勉強しているからだ。
英語が世界共通語でなくなる事態は、自分たちが生きている間にはなさそうだ。グラドル氏もこう同意する。いったん世界共通語が成立してしまうと、次の言葉に交代するまでにはかなりの時間がかかる。ラテン語は確かに消滅しつつあるかもしれないが、それでも何世代にもわたって科学の言語であり続けたし、カトリック教会は20世紀に入ってもラテン語をずっと使い続けた。
英語の枝分かれ現象については、もうすでに起きたことだとグラドル氏は言う。「私たち英語ネイティブには理解できない英語が、もうあちこちで発生している」
香港教育学院のアンディー・カークパトリック教授が最近発表した「World Englishes(世界の色々な英語)」という本には、具体例が並んでいる。たとえばインドのティーンエージャーは日記に(英語で)「ライバル同士のグ ループが遊びに出かけてって、だいたいはダマル(踊りの一種)して時間をつぶすんだけど。何をするかっていうと、大学に入ったばかりのベチャーラバクラ (可哀想なヤギ)をみつけてからかうんだ」と書いている。英語と現地語が境界線なく同じ文章の中に同居しているのだ。あるいはナイジェリアで現地語と英語 が混ざり合った「ピジン英語」を使うと「サルは働き、ヒヒは食べる(monkeys work, baboons eat)」が「Monkey de work, baboon dey chop」という風になる。(2へ続く)
テレビニュースの元アンカーマンで韓国大統領候補の鄭東泳(チョン・ドンヨン)氏は支持率で遅れをとっているかもしれないが、選挙公約にはかなり目を引くものがある。大統領に当選した場合、韓国の若者が英語を学ぶためにわざわざ外国に行かなくてもいいように、国内の英語教育を充実させるつもりだというのだ。英字紙「コリア・タイムズ」は、「英語を学ぶために、家族が離れ離れになる問題を解決する」必要があると、鄭氏がコメントしたと伝えている。
中国では、ユー・ミンホン(マイケル・ユー)氏が創設した英語スクール・受験塾、新東方教育科技集団(ニューオリエンタル・エデュケーション・アンド・テクノロジーグループ)が、国内最大手となった。昨年度の学生数は100万人以上。ほとんどが英語を勉強している。南米チリでは、次世代までに全国民が英語とスペイン語のバイリンガルになるよう目指すというのが、政府方針だ。
世界中でいったい何人が英語を学んでいるのか、誰もはっきりとは把握できていない。英国の公的な国際文化交流機関ブリティッシュ・カウンシルは10年前、10億人ぐらいではないかと見ていた。同カウンシルが昨年発表した報告書「English Next(次は英語)」では、今から10〜15年後ごろに、英語学習者は20億人でピークに達するのではないかと見ている。
では、現時点ですでに英語を話す人は世界で何人ぐらいいるのだろう? 英語についての世界的な権威で、100冊以上の著作も発表している言語学者デビッド・クリスタル教授によると、世界中で約15億人(地球人口の約4分の1)がまあまあそれなりに英語で意思疎通できるのではないかという。
かつて広大な地域で共通言語として使われていたのは、ラテン語だった。しかしそれは欧州と北アフリカ限定。今の英語のようにこれほど広い地域でひとつの言語が使われたことは、人類史上かつてなかった。何百万もの人が英語を勉強する理由は簡単だ。国際ビジネスの言葉は英語。よって富を得るための手段が英語なのだ。マイクロソフトやグーグルやボーダフォンがビジネスに英語を使っているから、だけではない。中国人がブラジル人と話す時、ドイツ人がインドネシア人と話す時、そういう時に使うのが、英語だからだ。
英語が世界中に広まったこの物語は、北アメリカ、ブリテン諸島、オーストラレシアに住むネイティブ・スピーカーたちの勝利だ——と解釈したくなる気持ちも分かるが、それは間違いだ。「English Next」の筆者デビッド・グラドル氏は、こう指摘する。グローバル英語は最早もっと複雑な段階に入っている。英語は世界中でどんどん変化していて、古くから英語を使っている国々はその変化の仕方をコントロールもできないし、変化の仕方が必ずしも気に入らないかもしれないのだ。
グローバル英語について論じる人たちは主に、3つの論点を挙げる。第一に、いま利用者が急増しつつある北京語やスペイン語、あるいはアラビア語に、英語がとって代わられることはあるだろうか? 第二に、英語が世界各地に広まり、地元の言語の影響を受けるのに伴い、どう変化していくのか? ラテン語がイタリア語とフランス語に変容していったように、枝分かれしてそれ自体は消滅するのか。それともドイツ語がオランダ語とスウェーデン語を生み出したように、それ自体も残りつつ新しい言語を派生させるのか。第三に、もし英語がこのまま「どこでも通じる」という共通性を特徴として残すとして、その「共通する英語」とは、古くから英語を使っている国々の英語になるのか、それともこれまでの英語とは違う新しい英語になるのか?
英語ではない別の言葉が世界言語になる。これは全くありえない話ではないと、グラドル氏。約50年前には、英語を母国語にする人数は、北京語に次いで多かった。しかし今日では、スペイン語を母国語とする人数も、ヒンディー・ウルドゥー語を母国語にする人数も、英語なみの数になっている。21世紀半ばまでに、英語を第一言語とする人数はアラビア語にも抜かれ、第5位に後退しているかもしれないのだ。
中には、英語にはそもそも有利な条件が備わっているから、英語は生き延びるという人もいる。有利な条件とはつまり、覚えやすい、という。三人称単数現在形にやっかいな「s」がつくのを別にすれば(例「She runs」)、誰が主語だろうと動詞は変化しない(I run, You run, They run; We ran, He ran, They ran)。定冠詞・不定冠詞は名詞の性別によって変化しないので(the actor, the actress; a bull, a cow)、ほかのヨーロッパ言語のように「テーブル」は女性名詞なのか男性名詞なのか、覚えておく必要もない。
しかしその一方で、英語にも覚えにくい要素はいくらでもある。よく似た句動詞の細かな違いを説明するのは大変だ。たとえば「I stood up to him」と「I stood him up」の違いとか(訳注・前者は「私は彼に立ち向かった」。後者は「私は彼をすっぽかした」)。
英語は簡単だから世界言語になった——というこの説を、クリスタル氏は一蹴する。昨年発表した論文で同氏は、ラテン語は文法的にきわめて複雑だったけれどもそれでも広く普及したと指摘している。「ある言語が世界共通語になる理由は、その言語そのものの構造とは無関係だ。世界共通語になる理由は、その言葉を使う人たちの強さと関係している」。「太陽の沈むことなき」と言われるまで勢力圏を広げた大英帝国は、その太陽の沈まない国々にあまねく英語を広めた。
そしてその大英帝国が衰退した後も、アメリカが経済や文化に多大な影響力をもったおかげで、英語の圧倒的な地位は守れられてきた。
ということは、中国の台頭によって北京語がいずれは世界共通語になるのだろうか? あり得ることだ。「数千年前にさかのぼってみれば、いったい誰が、ラテン語がこんなに衰退すると予想できただろう?」とクリスタル氏。とはいえ現時点では、中国語が英語にとって代わりそうには見えない。中国の人たちはこぞって英語を勉強しているからだ。
英語が世界共通語でなくなる事態は、自分たちが生きている間にはなさそうだ。グラドル氏もこう同意する。いったん世界共通語が成立してしまうと、次の言葉に交代するまでにはかなりの時間がかかる。ラテン語は確かに消滅しつつあるかもしれないが、それでも何世代にもわたって科学の言語であり続けたし、カトリック教会は20世紀に入ってもラテン語をずっと使い続けた。
英語の枝分かれ現象については、もうすでに起きたことだとグラドル氏は言う。「私たち英語ネイティブには理解できない英語が、もうあちこちで発生している」
香港教育学院のアンディー・カークパトリック教授が最近発表した「World Englishes(世界の色々な英語)」という本には、具体例が並んでいる。たとえばインドのティーンエージャーは日記に(英語で)「ライバル同士のグ ループが遊びに出かけてって、だいたいはダマル(踊りの一種)して時間をつぶすんだけど。何をするかっていうと、大学に入ったばかりのベチャーラバクラ (可哀想なヤギ)をみつけてからかうんだ」と書いている。英語と現地語が境界線なく同じ文章の中に同居しているのだ。あるいはナイジェリアで現地語と英語 が混ざり合った「ピジン英語」を使うと「サルは働き、ヒヒは食べる(monkeys work, baboons eat)」が「Monkey de work, baboon dey chop」という風になる。(2へ続く)
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