豊洲新市場(東京都江東区)の「盛り土」未実施問題で、石原慎太郎元知事の“責任”を指摘する声が広まっている。不可解な工法変更があった時期が、石原氏の「役人任せ」の都政運営が常態化していた3期目(2007年〜11年)と一致するのだ。気になる「都議会のドン」こと内田茂都議の存在。小池百合子都知事は「石原都政の闇」に切り込むことになりそうだ。

 衝撃的なニュースだった。

 都議会公明党は20日、豊洲新市場・水産卸売場棟の地下空間から採取した水を、民間企業で検査した結果、環境基準を上回る「シアン化合物」を検出したと発表したのだ。毒性の強いシアンの環境基準は「不検出」だが、1リットル当たり0・1ミリグラムが出たという。

 都が採取した水の検査では、環境基準を下回る微量のヒ素と六価クロムが検出されたが、環境基準を上回る有害物質は検出されなかった。

 公明党は「自分たちで水を採取しており専門家による正式な調査ではないが、都に詳しい調査を求めたい」としている。

 「食の安全」への不安が広まるなか、「盛り土」問題の全体像が徐々に見えてきた。

 都の「専門家会議」が08年7月に「敷地全体を盛り土する」と提言し、工法を検討する「技術会議」も09年1月にこれを確認していながら、10年7月までに「地下空洞設置」が決まり、11年8月、新市場の建物の下に盛り土をしない工事の契約書が交わされた。

 この件について、担当部局「中央卸売市場」の市場長(局長級)を09年7月から11年7月まで務めた岡田至氏が20日、共同通信などの取材に応じ、建物下に盛り土を実施しない工事の発注を決裁したことを認めながら、以下のように証言した。

 「(発注仕様書の決裁はしたが、問題発覚まで)盛り土がされていないとは認識していなかった」「地下空間を利用することを議論した記憶はない」「『(決裁の)ハンコを押しといて何だ』と言われるが、そこまで確認していなかった」「(都庁のある)新宿と築地の間で距離感があり、十分な連携ができていなかった」

 都民が憤慨しそうな「無責任な言い分」ではないか。ただ、当時の最高責任者、石原氏の責任も重い。豊洲新市場をめぐる問題が起きた時期は、多くの不祥事や問題が続出した「石原都政3期目」と符号するのだ。

 石原都政は1期目こそ、財政再建に道筋をつけ、ディーゼル車規制で国をリードするなどして高い評価を得たが、3期目に突入すると、都庁内は全体的に弛緩(しかん)し、随所で「ゆるみ」が生じていた。

 都政事情通は「07、08年ごろは、石原氏の登庁回数が『週1回、毎週金曜日の昼ごろから午後の記者会見まで』ということも珍しくなかった。各局の幹部による説明や決裁は金曜日に集中し、その量は膨大だった。とても石原氏がさばける量ではない。都政運営は副知事ら幹部に任せる場面が多かった」と振り返る。

 石原氏が「中小企業を救う」とブチ上げて、都が出資して設立した新銀行東京の融資焦げ付きが大問題になったのも3期目だ。

 都は、火の車となっていた新銀行東京に対し、08年に400億円もの税金を投入した。「ずさんな融資が横行したのは都の監視が不十分だったからだ」として、石原氏は都議会やマスコミから集中砲火を浴びていた。

 同時期、「都議会のドン」こと内田氏は、逆に権勢を強めていった。

 石原氏が1期目(1999年〜2003年)、内田氏とは距離があった。ところが、石原氏の最側近で、特別秘書から副知事に就任した浜渦武生氏が05年、「やらせ質問」問題などを都議会の百条委員会で追及され辞職に追い込まれた。

 内田氏は同年、党都連幹事長に就任し、名実ともに「都議会のドン」として君臨するようになった。内田氏はその後、都連会長となった石原氏の長男、伸晃氏を支えることで、石原氏との関係も深めたとされる。

 豊洲新市場への移転は、都議会自民党が石原知事時代から推進してきた目玉プロジェクトだ。石原氏の「役人任せ」の都政運営もあり、都の幹部職員は、真っ先に都議会自民党に“おうかがい”を立てていたが、本当に「地下空洞設置」を察知できなかったのか。