引退即監督就任のG高橋監督1年目はシーズン2位

 昨年、原前監督の退任により3年契約で巨人の指揮を執ることが決まった高橋由伸監督の1年目のシーズンが終わった。3月25日のホームでのヤクルト戦で勝利。2リーグ制以降、50年水原茂監督、81年藤田元司監督に次いで、35年ぶり3人目の初陣白星となった。しかしシーズンは中心選手のケガや不振などで戦力が整わない中で戦い、優勝に届かずリーグ2位。クライマックスシリーズでは第1ステージでDeNAに敗れた。

 現役引退し、即監督に就任したのは1975年の長嶋茂雄監督以来。当時、ミスターは39歳。高橋監督は40歳だった。長嶋氏が率いた際も中心選手の高齢化が進み、主砲の王貞治選手が負傷で攻撃陣は強力とは言い難かった。外国人選手、正捕手の不安、優勝チームが広島、など今年と状況は似ている。長嶋一次政権の初陣は47勝76敗7分という大敗でシーズン最下位だった。しかし、そこから地獄の秋季キャンプを経て翌年一転、優勝を果たしている。

 由伸監督の初年度は2位。最下位になった当時より悲観する必要はないが、来季はファンが感じた悔しさを晴らし、広島、DeNAとの差を埋めるための戦いを見せる必要がある。

 高橋監督の場合はいきなり選手から監督になった難しさもあったはず。それでは巨人の歴代監督は1年目でどのような成績を収めてきたのか。ここで見てみたい。

1年目に日本一を達成した川上哲治監督

○1950年水原茂監督・3位(82勝54敗4分) 優勝チーム・松竹(98勝35敗4分)

 巨人の第7代監督。セ・パ2リーグ制度が始まった年だった。当時の4番は川上哲治。8球団による戦いで82勝も挙げたが、リーグ3位。松竹ロビンス(後に大洋ホエールズに吸収合併され消滅球団に)がセ・リーグの初代優勝チームとなった。しかし、水原監督はチームを立て直し、1951年から1953年までリーグ3連覇・日本一に導いた。

○1961年川上哲治監督・日本一(71勝53敗6分)

 1957年に現役を引退した首位打者5度、ベストナイン10度の「打撃の神様」が就任した。前任の水原茂監督から交代。王貞治、長嶋茂雄らが中心となり、1年目から優勝し、6年ぶりの日本一を成し遂げる。65年から9年連続日本一(通称V9)を達成した名将である。スモールベースボールの礎ともいえる「ドジャース戦法」を取り入れたり、強いチーム作りをした。

○1975年長嶋茂雄監督・6位(47勝76敗7分) 優勝・広島(72勝47敗11分)

 就任1年目は球団史上初の最下位に転落した。39歳で引退し、即監督に就任したが、自身の抜けた「4番サード」の穴がなかなか埋められず、4月中に6位になり、早々と優勝争いから遠のいた。主力の高齢化が進んだため、オフには若手を徹底的に鍛え、翌シーズンは積極的起用。日本ハムから張本勲、太平洋クラブから加藤初が加入し、張本は打率3割5分5厘をマーク。加藤も15勝を挙げた。王も49本で本塁打王、123打点で打点王と2冠獲得。最下位から一転、優勝を飾る劇的なシーズンだった。1993年から2次政権になったが、この年は3位で終わっている。

藤田元司監督、原辰徳監督も1年目で日本一に

○1981年藤田元司監督・日本一(73勝48敗9分)

 前年に長嶋監督が辞任し、王貞治も引退。V9時代にエースとして活躍した藤田元司氏が就任した。絶大な人気を誇った長嶋氏の後の監督だったため風当たりは強かったが、投手中心の手堅い野球で1年目から日本一になった。この年、江川卓が20勝、西本聖が18勝、加藤初が12勝、定岡正二が11勝とローテーションが安定。ドラフト1位で獲得した原辰徳が新人から125試合に出場し、22本塁打。篠塚利夫、中畑清も飛躍。また助監督には王貞治氏が就き、あらゆる面で育成も入れながら、チームを強化。後に「ミスター完投」と呼ばれるほど球界を代表する投手になった斎藤雅樹(現巨人2軍監督)の投げ方をサイドスローにして活路を見いだしたことでも知られる。1次政権は81年1位、82年2位、83年が1位だった。1989年から2次政権となったが、その1年目も日本一になっている。

○1984年王貞治監督・3位(67勝54敗9分) 優勝・広島(75勝45敗10分)

 藤田政権下では助監督を務めたが、序盤から苦しみ1年目はリーグ3位。西本が15勝、江川は15勝。中畑が31本塁打を放つなど気を吐いたが、なかなか波に乗れないシーズンだった。8月以降に10連勝したが広島には追いつけなかった。88年まで指揮し、優勝は1987年の一度だけだったが、篠塚、原、クロマティ、中畑、吉村禎章ら強力打線を作った。その後、ホークスやWBC日本代表でも指揮を執り、チームを頂点に導いている名将。

○2002年原辰徳監督・日本一(86勝52敗2分)

 前年までの長嶋政権下ではヘッドコーチを務めた英才教育を受けた。上原浩治が17勝、桑田真澄12勝。クローザーに河原純一を起用し、28セーブ。日本でのプレー最終年になった松井秀喜外野手が50本塁打を記録し、日本一となった。日本シリーズも西武との戦いは4連勝と圧勝。2006年の2次政権は好調な滑り出しで5月まで首位を走っていたが、4位に終わった。

○2004年堀内恒夫監督・3位(71勝64敗3分) 優勝=中日(79勝56敗3分)

 原監督の後を受け、ヘッドコーチや投手コーチを歴任してきた200勝投手の堀内恒夫氏が就任。元近鉄の主砲・ローズ外野手やダイエー(現ソフトバンク)の小久保裕紀内野手、ヤクルトのペタジーニらを獲得。阿部慎之助捕手や高橋由伸外野手、清原和博内野手、江藤智内野手ら大砲揃いでシーズン新記録となる259本塁打を記録したが、投手陣で目立った活躍は上原くらい。投打のバランスがかみ合わなかった。2年間の任期で優勝はできなかったが、内海哲也投手や林昌範投手らの若手を積極的に起用した。