見る人を選ぶ作品リスト!

映画の作り手と観客の間には暗黙の了解ともいえる映画のルールが存在します。それは「映画とはこうあるべきだ」という確固たるものではありませんが、長い歴史の中で生まれた共通の認識です。

例えば、映画はあくまでも映画であって私たちとは別空間の話であること、しかし、あくまで自然な編集やカメラワークを用いて映画を見ていることをわざとらしく意識させないこと、ストーリーは分かりやすく観客をむやみやたらに混乱させないこと……などなど。

ところが、こういった映画のルールをあえて無視する型破りな監督もいますし、ルールを破っているからこそ評価されている名作も数多く存在するのです。

今回は、CineFixがまとめた、型破りな名作をご覧いただきます。


「ドッグヴィル」(ラース・フォン・トリアー監督/脚本)



フィクションの世界と観客の間には「第四の壁」という透明の壁が存在しますが、それを飛び越えて観客にシグナルを送ってくる作品があります。いわゆる、リアリズムを破壊するということですが、これを非常にうまくやっているのが、ごく普通の田舎町にやってきたミステリアスな女性をきっかけに、徐々に村人が醜さをあらわにしていく救いようのない傑作鬱映画「ドッグヴィル」。

舞台セットのような背景と、観客に語りかけるようなナレーションが特徴で、演劇を見ているような不思議な作風です。

内容が内容なだけに見る人を選ぶ作品ですが、3時間という長尺にもかかわらず全くあきさせることなく、衝撃のエンディングにもっていくのは、さすがトリアー監督といったところでしょうか。


「勝手にしやがれ」(ジャン=リュック・ゴダール監督)



第四の壁もそうですが、本来ならば、映画は見ている側に違和感を感じさせないのが一般的。編集においても可能なかぎり滑らかにつなぐ努力をするものですが、観客に意識して欲しいがために、あえてわざとらしくカットすることも。

こういった作品の中でもっとも有名かつ優れているのが、ジャン=リュック・ゴダール監督の初長編映画「勝手にしやがれ」。シーンの連続性を無視したジャンプカットや他作からの引用といった、これまでの概念にとらわれない映像作りで歴史に名を残しました。


「東京物語」(小津安二郎監督)



映像作りにおいて自然に見せることが非常に重要だというのは上の2作で触れたとおり。もちろん、それは編集だけでなくカメラワークにおいても同様です。

映画では会話しているふたりの人物をイマジナリー・ライン上で捉え両方から見せる「180度ルール」というのが広く使われていますが、そういったルールを無視して360度の真正面で会話シーンをとったのが、全編に渡って美を追求したことで有名な小津安二郎監督の「東京物語」。

真正面からの会話シーンだけでなく、低いアングルにカメラをおいてあおる「あおり」とは異なり、ロー・ポジションの固定カメラで人物を捉えた演出は「小津調」と呼ばれ、世界的に高く評価されています。


「エンター・ザ・ボイド」(ギャスパー・ノエ監督)



リアリティの映像化には、これといった方程式があるわけではありません。スティーブン・スピルバーグ監督は「シンドラーのリスト」でモノクロの中で少女のコートだけ赤を使い、ウェス・アンダーソン監督は「グランド・ブダペスト・ホテル」で3種類のアスペクト比を使い分けています。

こういった工夫とアイディアの中で、ずば抜けてユニークな方法をとったのがギャスパー・ノエ監督の「エンター・ザ・ボイド」。

目を覆いたくなるような暴力描写やモニカ・ベルッチのレイプシーン、逆語りのストーリーで世界に衝撃を与えた「アレックス」の監督でもあるわけですが、2009年に製作した本作は、東京でドラッグディーラーをしていた男性が警官に射殺され、その魂が地上にとどまり街をさまようというストーリーです。

2分間のオープニングからして他とは一線を画すサイケデリックさは、さすがマジックマッシュルーム映画と呼ばれるだけのことはありますね。なお、オープニングにしろ本編にしろ、明るい部屋で鑑賞することを強くオススメします。


「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(ロバート・ロドリゲス監督)



映画は大体のストーリーの流れが予測できるものですが、時として前半と後半が全く異なるジャンルというハチャメチャな映画が存在します。このような作品は「ストーリーが破綻」していると駄作あつかいされるのが一般的ですが、時として成功する場合も。

この手の映画で優秀なのが、ロバート・ロドリゲス監督の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」。クエンティン・タランティーノが脚本と主演、タラちゃんの相棒を務めたのが本作でメジャーハリウッド初出演のジョージ・クルーニー。おばかな小道具が大好きなロドリゲス監督らしく、本作でも股間ガンが登場します。

前半はクライム・ムービー、後半はコメディ・バンパイア・ホラー。まったく別の2作をつなぎ合わせたジャンルの特定が非常に難しい内容で、前情報なしに見ると面食らうこと間違いなし。タランティーノとロドリゲス監督の悪ノリに付き合えるB級好きにはたまらない映画でしょう。


「サイコ」(アルフレッド・ヒッチコック監督)



映画にとってプロタゴニスト(主人公)は非常に重要で、成功の鍵を握っているといっても過言ではありません。主人公というのは、いわゆるストーリーの中心となって物語を引っ張っていく人物にあたり、その多くが早い段階で画面に登場するのがルールです。この方程式を大きく裏切った名作が、アルフレッド・ヒッチコック監督のホラー・スリラー「サイコ」。

前半の物語を引っ張っているのは、勤め先の不動産会社で客から大金を預かるも持逃げしてしまったOLマリオン。観客は彼女の犯罪をドキドキしつつ見守りますが、立ち寄ったベイツ・モーテルであっさりと殺されてしまいます。そしてマリオンの姉が事件を解決に導く主人公として中盤以降の物語をリードするのです。


「去年マリエンバートで」(アラン・レネ監督)



映画は起承転結できれいにまとめることがよしとされていますが、クエンティン・タランティーノやクリストファー・ノーラン、黒澤明といった監督は、必ずしもそういったルールにのっとって作品を作っていません。彼らは時系列をバラバラにしてみたり、巻き戻しを使ったり、時に記憶をテーマにして曖昧にしてみるといったテクニックを駆使して観客を物語に引き込むことに成功しているのです。

こういったタイプの作品で一押しなのが、映画至上もっとも難解な映画のひとつと言われている1961年公開の「去年マリエンバートで」。

ストーリーらしいストーリーが存在せず、男女の視点で「自分たちは1年前に逢瀬をしたかどうか」が語られるのみの作品。黒澤明監督の「羅生門」に強い影響を受けていることで知られています。


「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」(シャンタル・アケルマン監督)



映画といえば、人を魅了するヒーローやヒロインが登場し、カメラワークが多用され、観客の目をくぎ付けにするような編集がなされ、心を揺さぶるような音楽が流れるのが一般的。作品を効果的に見せたいがための1シーンならともかく、延々と誰かの行動を垂れ流すなんてルール違反ともいえる行為でしょう。

しかし、そういった要素をそぎ落とし、映画的ミニマルを追求しても観客をひきつける作品は作れるのです。それを証明したのが、平凡な主婦の平凡な3日間を、ロー・ポジション固定カメラで音楽もなしにひたすら流すだけの映画「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」。

主人公はどこにでもいるシングルマザー。人と異なるといえば、息子が学校にいっている間に自宅で売春をしていることくらい。息子と食事をし、掃除をし、ひとつひとつジャガイモを剥く…そんな女性の3日間を3時間の長尺で延々と見せ続けます。しかし女性の行動ひとつひとつは言葉よりも多くを語るため、観客は画面にくぎ付けに。そして迎える衝撃のラスト……。

ベルギー出身の女性監督シャンタル・アケルマンの革命的傑作といわれています。


「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(ルイス・ブニュエル監督)



映画に大切なことのひとつに首尾一貫性がありますが、現実を完全に無視して超現実主義「シュルレアリスム」を描いた作品も数多く存在します。アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「ホーリー・マウンテン」やデヴィッド・リンチ監督の「イレイザーヘッド」といったものがそれにあたりますが、このジャンルの傑作はルイス・ブニュエル監督の「ブルジョワジーの密かな愉しみ」。

ルイス・ブニュエルは、女性の眼球をカミソリで切りつける映画として知られる「アンダルシアの犬」をはじめ、シュルレアリスムを得意とする監督。彼が1972年に撮影した本作は、ブルジョワたちが食事に招待されるも、各種邪魔が入ってなかなか食事にありつけないというもの。

アカデミー外国語映画賞を受賞しており、ブニュエル監督の作品にしては内容が理解しやすくシュルレアリスム初心者にもオススメです。


「鏡」(アンドレイ・タルコフスキー監督)



映画最大の型破りは、これといったストーリーがなく、言ってしまえば「なんでもあり」な群像集でつくられる精神世界や夢を描いた作品といえるでしょう。

視覚的に訴えることを得意とする監督は、非言語的な映画作りを積極的に行なってきました。例えばスタンリー・キューブリック監督の「2001年 宇宙の旅」、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」、テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」といった作品が有名です。

しかし、こういった精神世界を描かせたら右に出るものはいないのがロシアが誇る映像作家アンドレイ・タルコフスキー。中でも監督の自伝的映像詩といわれる代表作「鏡」は、その研ぎ澄まされた感性と圧倒的な映像美が観客を引き込みます。

ひじょうに難解と言われていますが、繰り返し鑑賞することでその魅力を理解して欲しい作品です。


以上、型破りな名作映画10選でした。「型破りでない映画」と比較してみることで、よりいっそう違いを楽しめるんじゃないでしょうか。


source: The Awesomer, YouTube

中川真知子