18歳の時と同じように40歳になってもフランチェスコ・トッティはASローマのユニフォームをまといピッチで魔法を見せ続ける。ローマのトッティは永遠であり伝説といえる。

おそらく知られていない話だが、トッティはプレーすることなくローマに入団した。『コリエレ・デロ・スポルト』のインタビューでこう話す。「当時所属していたズミット・トラステヴェレと練習試合があった。僕はみんなよりもまだ小さかったから出場しなかったんだ。当時、ピッチの端で一人でドリブルをしていた。当時のローマにはエルメネジルド・ジャンニーニがいて、僕を見るとプレーさせることなく入団させてくれたんだ」

だが最初の頃、特にカルロス・ビアンチが監督だった頃は、そう簡単ではなかったという。

「ビアンチ監督とだけはそりが合わなかった。外国人選手をよく知っていたから、地元の選手にあまり納得できなかったのだろう。それに僕は若かったからどうしても他のチームへ移籍させたかったようだ。サンプドリアとは合意にまで至っていたが、移籍の前夜にアヤックス、ボルシア・ドルトムントとのカップ戦があって僕は 2試合とも2得点したんだ。すると試合後にフランコ・センシ会長が彼はここに残るべきだと言ってくれた。結局、サンプドリアへの移籍は破談となって僕はローマに残った。ビアンチ監督からトッティを取るか私を取るかと決断を迫られると、センシ会長はトッティを取ると答えた。それから全てが変わった」

2003年にもトッティは移籍目前だった。「あの時は特別だった。後ろ髪は引かれたがローマを去ってもいいと思えたのは世界で唯一レアル・マドリーだけだった。真剣に考えた。だけど最終的に僕の妻や家族、それに友人たちからいろんな意見を聞いた。その結果、ここに残ったんだ。この決断は幸運だったと思うよ。今となっては、ローマを去るなんてできなかったなんて言えるけど、あの時はほぼ決心を固めていたんだ。それに平凡なチームへの移籍話ではなくて、世界一のチームだったんだからね」

トッティがローマに貢献したのはピッチだけではない。「みんなは知らない事だけど、ローマに尽くしてくれたセンシ会長の家族のために何かをしたかった。恥ずかしいことは何もない。むしろ、あまり話題にならず良かったと思う。チームのために、僕にとって大切な人たちのために、僕を息子のように慕ってくれたセンシ一家のためにしたことだからね」

トッティとルチアーノ・スパレッティ監督との関係は良好のようだが、自身のキャリアで一番良かった監督は間違いなくズデネク・ゼーマン監督だと言う。「ゼーマン監督とは一番やりやすかった。他の監督とも上手くやれていたけどね。自分のやるべき事はやっていたし、監督と問題になったことはない。自分がローマから監督を追い出したことはないし、気に入った監督を要望したこともない。すべてクラブが決めたこと。外野がトッティが誰々を追い出したとか、誰々を欲しがったとか言ったって、僕が口出ししたことなんてない」

40歳を迎えてもローマでプレーを続けるトッティにとって今が一番充実した時間だという。「昨シーズンはあらゆる面で予期しない出来事が何度も起こって本当につらい年だった。それでも、誇りと情熱、決断力、それに勇気で最後には乗り越えられた。今はまるで若かった頃のように本当に充実していている。」

将来的には監督もあるのではないかと言われている。「まだこれからの事だが、みんな監督をやり始めていることだし、もしかしたら、僕にもチャンスが来るかもしれないね。何て言ったらいいかな? 性格や考え方を改めるよ」