現在では世界的に認められない選手の第三者保有だが、この規定を回避して行う方法があると発言したことが問題となりサム・アラダイスはイングランド代表監督の職を辞任した。今回のスキャンダルの発覚を受け、この契約形態の被害者であるという元チリ代表ルイス・ヒメネス(現アル・アラビ)が、第三者保有のもたらす被害について『Goal』のインタビューに答えた。

「僕は若くしてイタリアに来た。まずはテルナーナでトライアルに合格するところから始めて、まさに底辺から這い上がるために死に物狂いで頑張ったよ。だから正直に言って初めはすべてがうまく行っていたんだ。だけど僕の保有権の形態が変わってからすべての問題が始まったんだ。当時僕の元には沢山のオファーが来ていたんだけど、僕はどのクラブとも話すことを許されず、いつもマーケットの終わり頃に異なるクラブへレンタルに出された。たとえレンタル先でどんなに良いシーズンを送っても夏には必ずテルナーナに戻る、毎年まったく同じ話だったよ。毎年毎年マーケットが閉まるギリギリまで自分がどこに行くか分からず不安になって本当にストレスを感じていたよ」

インテル加入後の1年目のシーズンで結果を残して630万ユーロの3年契約を勝ち取ったが、そこでもヒメネスの保有権の一部はテルナーナ残った。このまま活躍を続けてインテルが残りの保有権もゆくゆくは買い取るように思えたが、2008₋09シーズンに怪我で思うようにプレーできず、そこからレンタルにのたらい回しの苦悩の日々が始まったのだ。

「僕はインテルでもうまくやれていたと思う。もちろん怪我の問題もあったけど、インテルが僕をこのややこしい保有形態から解放してくれると思っていた。でも結果としてテルナーナは僕の保有権以上の条件をインテルに要求して交渉が決裂、僕はテルナーナに帰ることになった。当時テルナーナはセリエC1への降格が決まっていたから、それまでセリエAでプレーしてた僕がどんな気持ちを感じていたか説明しなくても分かると思う。

テルナーナでは相談できる人は誰もいなかったし、話し相手すらいなかった。自分がこれからどうなるか全くわからず不安だったし、世界にとって僕がセリエC1でプレーするかもしれない問題なんてどうでもいいことだと感じたよ。

そして結局いつも通り市場最終日に僕の次のレンタル先が決まった、チェゼーナだ。そこでは本当に素晴らしいシーズンを過ごせた、けどシーズンが終わればまた同じことの繰り返し…」

そしてこの状態にたまりかねたヒメネスは最終的にFIFA(国際サッカー連盟)に連盟規約17条に基づいて提訴し契約解除を勝ち取った。 (17条は、28歳以前に締結した契約に関して締結後3年を経過した時点で選手は自身の意思で契約を破棄できる旨を規定している。) 自身の一連の経験を振り返りながらヒメネスは最後に第三者保有から選手を守るためには周りのサポートが必要だと警鐘を鳴らした。

「チェゼーナで良いシーズンを過ごした後にチェゼーナは僕の完全移籍を望んでくれた。でもそのオファーにテルナーナは中々返事をしなかった。そしてまたいつも通りマーケットの最終日に移籍を認める答えが来たんだけど、もうその時点で僕の忍耐は限界だった。僕の心は決まっていたんだ、こんなクラブとの契約は解除して自由になるんだって。まあ契約は無事に解除できたけど、FIFAに訴えた上での契約解除には次のクラブはそれまで所属していた国以外でのリーグでないといけないっていう規定がある。だから僕は次にドバイに飛んだんだよ、欧州のマーケットはすでに閉まっていたしね」

「第三者保有がもうすでに禁止されていることは知ってる。けど、アラダイスのスキャンダルで分かるようにまだこの悪しき習慣は消えていないみたいだね。この問題の解決のためには沢山やらなければいけないことがあるとは思うけど、一番言いたいことは僕たちはもっと選手を守る必要があるということだよ。まだ年が若い選手は人生経験が足りず、契約がどういう影響を及ぼすか想像できないからね。だからもし僕と同じようなことで苦しんでいる若い選手がいるのなら、自分の事を本当に大切にしてくれる人を探してそういう人たちで自分の周りを囲めるように言いたい。どんなに最悪な状況に陥っても希望を失わずにトレーニングするよう励ましてくれるようなね」