ペップ・グアルディオラのバイエルンにおけるミッションは「クラブのアイデンティティを継続すること」、そして「ブンデスリーガを支配すること」だった。ペップはその2つをやり遂げた。見事なまでに。

しかし、果たしてそれはエクサイティングだったのだろうか? 『Goal』がユーザーに意見を募ったところ、37%のファンは彼の到着する前のほうが魅力的だったと回答している。よりスリリングになったと答えたのは35%だった。

ペップ・バイエルンの最初のシーズン、彼らはわずか27試合でマイスターシャーレを手中に収めた。ブンデスリーガの歴史上で最も早い段階で決まった優勝だった。

ペップが残した記録はこれだけではない。彼の作り上げたチームは2014−15シーズン、22回のクリーンシートを達成した。翌15-16シーズンには1年を通じてわずか17失点しか許さなかった。いずれも文句なしのブンデスリーガ記録である。その間、1試合平均2.5得点を記録していたことも付け加えておこう。

荷物をまとめてマンチェスターへ旅立つまで、グアルディオラに導かれたバイエルンはリーグで1試合平均2.52ポイントを獲得した。これは10試合以上、ブンデスリーガで指揮を取った監督の中で最も高い数値だった。

彼がチームを去るまでの間、選手たちは成長を遂げた。そしてスペイン人指揮官がミュンヘンを訪れるまで、戦術や技術面に関する議論をしたことがなかったドイツのファンたちは、自分たちの考えを持ち、語り合うことを覚えた。

ペップはあまりにも多くの遺産をクラブに残した。ポゼッションフットボールの基礎は09年から11年まで率いていたルイス・ファン・ハールが作り上げていたが、オランダ人指揮官が用いたスタイルは重々しすぎた。あの期間、アリアンツ・アレーナに訪れた観客たちはあくびをしながら長い午後を過ごすことを強いられていた。

ユップ・ハインケスは前任者よりテンポを上げた戦術を用いた。そしてグアルディオラに、仕上げが託された。多くの人々は、彼がその任務をやり遂げたと考えている。

ペップ・バイエルンは冷酷で美しく、勝利だけを追求しようとしなかった。そしてピッチ上で繰り広げられたフットボールは、いわゆる“ティキ・タカ”ではなかった。彼は選手たちに繰り返し言っていた。「ティキ・タカを嫌っている」ということを。“ポゼッションのためのポゼッション”を良しとしなかったのだ。

知将に作り上げられたチームはバイエルンの歴史上、最もパスを繰り出すチームとなった。しかし、ただ単にボールを回すのではなく、常に相手の最終ラインを突破することを意識していた。

「ペップが示した超高速のフットボールが我々の未来になった」

クラブのレジェンドの一人であるパウル・ブライトナーは、そう語っている。

残念なことに、ペップはバイエルンにUEFAチャンピオンズリーグのタイトルをもたらせなかった。しかし、繰り返しになるがペップに求められたのは「クラブのアイデンティティを継続すること」、そして「ブンデスリーガを支配すること」だった。3度も準決勝で敗れたことは失望に値する出来事だったに違いないが、一方でそれほど重要なことではなかった。クラブはノックアウト方式の大会で起こりがちなアクシデントだったと理解している。

ペップが率いた最後のシーズン、バイエルンはチャンピオンズリーグの最多得点クラブとなり、最も高いポゼッション率を記録したチームになった。「71.8%」は歴史上、3番目に高い数字である。さらに枠内シュート数に関してはレアル・マドリーに勝った唯一のクラブとなった。

グアルディオラがバイエルンで過ごした3年間は、クラブの歴史上で最も輝く期間となった。

「バイエルンが築いてきた歴史の中でも最高のフットボールだった。それを、彼がもたらしてくれたんだ」

ブライトナーは、そう称賛してやまない。

「我々はあの3年で、かつて見たこともないチームに触れることができたんだ。卓越した、素晴らしいフットボールにね」

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