宮崎駿を見出した男・スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫に会いに行く(中) 編集長も社長も面倒くさい
「歴代編集長で意図的に部数を減らしたのはお前だけだ」。スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんは徳間書店を辞めるときにこう言われたという。それまで45万部あったにも関わらず、ある号で半分しか売れなかった。それは「宮崎駿特集」のとき。実は鈴木さんはわざと部数を落とした。「面倒くさいから」だ。(佐藤譲・京都大学)
■やりたいことが分からない
鈴木さんの座り方は独特だ。椅子に腰掛けているのだが、裸足であぐらをかいている。その格好のまま話す。時おり煙草をくゆらせ、リラックス。しかし、質問への返答は鋭い。頭をフル回転させる。

大学時代、鈴木さんは自分が何をやりたいか分からなかったという。将来何になりたいか考えられず、進路に悩んだ。教職を取って教師になるか、あるいは大学院に進もうとも考えた。迷った挙句、マスコミ業界への就職を決めた。それはアルバイトの影響が大きい。「子ども調査研究所」での経験が鈴木さんを徳間書店へと導いた。
そこでの仕事は、子どもを集めて意識調査し文章にまとめるというもの。鈴木さんは言う。「当時としては原稿料がすごく良くてね。原稿用紙1枚で2000円だったの。破格。そうするとね、ぼくは速い。で、どうせなら面白く書く方がいいでしょ?そしたら、そこの人から・・・」。
「高山英男さんですか?」。合いの手を入れた。「そう。よく知ってるね」。声が柔らかくなる。
「高山さんから『速くて、上手い』って褒められて。『君は文章が上手いんだから、それを活かす方向に進んだらいいよ』って言われてね」。高山さんの言葉がきっかけになりマスコミを選んだ。しかし、まだ野心はない。「立派なジャーナリストになろうだの、出版人としてすごいことをやろうとか、そういうことは考えていなかった」。
■堀田善衞的、第三の立場が居心地が良い
徳間書店に入社して、最初に配属させられたのは『週刊アサヒ芸能』編集部。それまで雑誌をほとんど読んだことはなかった。しかし、雑誌の仕事は思いのほか面白かったという。
本当に起きた出来事を第三者へ客観的に伝える。思考の仕方が堀田善衞さんのようですねと指摘すると、「面白いこと言うね」と鈴木さん。「そう。ぼくが堀田善衞に興味を持ったのは、そういうことが好きな人だからです」。
堀田さんは『広場の孤独』『方丈記私記』『ゴヤ』などの著作で知られる小説家。鴨長明やゴヤ、あるいは藤原定家やモンテーニュといった歴史上の「記録者」について深く考えて、そこに「今」を見た人だ。
「ありありと等身大で描写した人。そういう人のことを堀田さんは評論したんですよね。ぼくはあの人の対象との距離の取り方が好きなんです。第三の立場。あれがね、自分に居心地が良かった」
自分がプレイヤーであり、プレイヤーではない。距離を取って、冷静に見つめることができる立場。そうした記者の仕事が肌に合っていた。
その後、『週刊アサヒ芸能』特集班に所属し、4頁のコラムを担当する。「三菱重工爆破事件」や「暴走族と特攻隊」といった特集記事を毎週書き続けた。それらの記事との出会いが「やりたいことが分からない」鈴木さんに変化をもたらす。
「特集記事を書いたことが、ノンフィクションに興味を持つきっかけになっていった。自分に合っていると思ったね」。ノンフィクションライターになろうとも考えた。しかし、そこへ『アニメージュ』の話しが舞い込む。
■人気作を追いかけるな
鈴木さんが『アニメージュ』の編集長だった頃、部下に言っていたという言葉が面白い。「人気作を追いかけるな。人気作はこの雑誌で作ろう。そうすりゃ楽だ」。40万部売れていた雑誌を「わざと」半分に減らした。
「やっぱり40万部ってのが重たかったの。会社の期待も大きいじゃない?そうすると、面倒くさいんだよね。お目こぼしがなくなってくるわけ。それで、半分にしちゃおう!ってなる」。アニメージュは最高45万部ほど売り上げていた。社にとっても、取次ぎにとっても、大きな部数。当時の雑誌の多くが200円ぐらいの中、580円もする雑誌が売れ続けるとは思えなかった。何より、派手なロゴが気に入らなかった。
「ロゴが毎号蛍光ピンクなの。ピンクの派手なやつ。それが嫌なんだよね。デザイナーが『だって売れてるから仕様がないじゃん』って。『地味な色を使うにはどうしたらいいの』って聞いたら、『部数を半分に減らすことよ』って言う。じゃあ一回減らそうかって。宮崎駿が僕のそういうところをよく知ってるんだよねー。『鈴木さんはこわい』って」。

毎号売れる部数を予測してピタリと当てた。減らそうと思えば減らすことができる。「世の中に出ると分かるけれど、大体分かるよ?」と言う。
「でも、鈴木敏夫さんて分からないのが好きですよね?」思わず口に出る。「そう。分からないものを探すのが好きです。分かんないものにぶつかると、何だろうってその答えを見つけたくなります」と鈴木さん。
■「映画へ進んだのは、先に行けるから」
1990年、大きな決断を迫られた。徳間書店から社運をかけた大人向けの新雑誌の編集長を頼まれた。一方、宮崎さんから「ジブリの専従になってくれ」と言われた。どっちをやるか。悩んだ。編集者・記者をやってきた鈴木さんにとって、新雑誌には心を引かれた。野心が生まれた。しかし、スタジオジブリを選んだ。宮崎駿と仕事をしたいという思いと、もう一つ。
「映画の方へ進んだぼくの本当の理由はね、先へ行けるってことなんですよ」。
先へ行ける?どういうことだろう。理解できないでいる僕に、鈴木さんは言葉をつなぐ。
「雑誌などのメディアは起きたことを追いかける。そうすると、実際に起きているものが活字や映像になるには、当時のぼくの感覚で言うと、半年くらい遅れるんだよね。最初に起こったときから数えると、半年くらい経っちゃっているわけよ。そういうことを考えるとね、メディアってつらい商売だなって思ったの。空しさがあったんだよね」
映画はどう違うのか。「映画を作るってのはね、最初の人になれるわけじゃん?」。こう語る鈴木さんは、記者をやっているときから、映画作りに進むことは決まっていたのかもしれない。
■実社会が面倒くさいから社長も辞めた
取材中、鈴木さんは僕を観察して「学者になりなよ」と言った。来年度から一般企業で働くことが決まっていることを伝えると、「ちゃんとした普通の会社に行くの?君、向かないよ。学者の方がいいよ」。鈴木さんは学生時代、学者に憧れたという。
「だって、本読んで過ごせるんだよ。おれ、どっちかっていうと、実社会が面倒くさいのよ」
続けて「いまだにそれがあるのよ」と言った。
ジブリで働くことはどういうことかと尋ねると、「ジブリって大体2年間で1本作ってるの。本格的な宣伝を始めるのは公開の半年前くらいから。そうするとね、間が開くわけよ。日常こなさなきゃいけない仕事はあるけれど、この間はね、世間とは遮断される。その期間が面白いわけ」
実社会で生きる。実社会から離れて生活する。そしてまた、実社会に戻る・・・この繰り返し。「ベストですね」と言うと、鈴木さんは「そうでしょ?」と笑った。

昨年2月、鈴木さんは社長を辞した。社長を辞めたのも「実社会が面倒くさい。実業部分がイヤ」という思いがあったからだ。
「社長を辞めてから、来年度に向けて新しい映画を作っているんだけど。久々にね、編集者よろしく、毎晩監督と一緒に、どうやって作るのかを考えた。これが楽しかったんですよ。終わり頃になったら、寂しくてね・・・。おれ、今は現場に入っちゃって、もうすぐ宣伝をやらなきゃいけない。そうすると、宣伝が来るのがずっと先だったらいいなぁって」。
始めのころ「ぼく」だった鈴木さんが、いつしか「おれ」に変わっていた。
→宮崎駿を見出した男・スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫に会いに行く(下) 宮崎駿に先回りしたい
この記事はgooニュースと大学生向けのジャーナリスト育成プログラム「スイッチオンプロジェクト」のコラボレーションによるものです。
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