政治の主役とは誰なのか。政党か。政治家か。官僚か。「いやいや、国民に決まってるでしょ」と言う人もいるだろう。それならなぜ、政治に問題があるのは国会議員や役人のせいだと文句を述べる人が多いのか。主役じゃないのに。

 一部の政党やマスコミは物事をまともに考える行為を放棄させている、という批判なら理解できる。脱原発とかTPP(環太平洋連携協定)とか消費税こそがこの選挙の争点だと彼らは言わんばかりだが、本来そんなものが争点になるはずもないことはサルでも5秒考えればわかる。

 選挙で問われるべきはエネルギーの調達と電力需給全体の政策であって、原発をどうするかではない。権益の草刈り場と化すアジアで米中やASEAN諸国とどのような経済関係を築いていくつもりなのかであって、TPPではない。社会保障の全体像や財政のビジョンであって、消費増税ではない。木の話だけして森の話をしない。

 そのほうが政党や立候補者にとって都合がいい、という仮説は成り立つ。森の話をすれば、森林全体や個々の樹木を守るために木や枝を間引く必要性にも触れざるを得ない。脱原発やTPPはともかく、消費増税は三党合意ですでに立法化されている。増税は高齢者向けの年金、医療、介護の給付の不足を補うためと説明された。それなのに、足りないのならなぜ削らないのかという議論が選挙になっても盛り上がらない。

 週刊誌AERAの記事(2012年12月3日号)によれば、日本人の平均年齢は約45歳、有権者では約53歳だが、2010年の参議院選挙における投票者の平均年齢は約57歳だった。日本の国会議員の平均年齢は外国と比較して飛び抜けて高いわけではないが、票を入れてくれるのが高齢者であればそちらを向かざるを得ない。

 内閣府などの試算によると、社会保障の負担と給付の「損得」について、1943年以前生まれの世代は生涯で4875万円のプラスである一方、1982年以降生まれの世代は生涯で4585万円のマイナスになるという。有権者の約30%はまさにその20代と30代であり、40代も含めれば50%近くを占めるのに、現実の日本は「高齢者の、高齢者による、高齢者のための政治」になっている。

 国民のために仕事をしますと政党や政治家は言うが、その国民とは誰なのか。これだけ多くの政党が新たに生まれたのに、何よりもまず20代、30代、40代のために国会で働きますと誓う政党は一つもない。ネットを利用した選挙活動の解禁を求める声は数年前から高まっているが、既成政党が公職選挙法の改正に前向きに取り組んだ形跡はない。建前はともかく、票として数や形に表れない有権者層はスルーされている。

 ただ、世代間格差に目を向ければよいとう単純な話でもない。高齢者とひとくくりにしがちだが、その世代内の格差もまた残酷なまでに広がっている。シニア向けの豪華旅行が人気を博する一方で、高齢者の自殺や孤立死が繰り返しニュースになる。しかるにここでも、富裕層に有利な利子所得の分離課税や資産課税を是正・強化する話は選挙で盛り上がらない。生活保護も不正受給の話題はやたら盛り上がるのに、本当に必要な高齢者に行き渡っているかどうかの議論はそれほど熱を帯びない。

 高齢者向けの給付を抑制すればすべてが解決するわけでもない。年老いた親が年金で暮らしていけなくなれば、30代、40代の子供がサポートするしかない。病に伏せればなおさら放っておくわけにもいかない。単に高齢者をスケープゴートにするのではなく、世代間格差と世代内格差をどうとらえ、どのように対処していくのか。公約集やマニフェストでそれらについて他党より一文字でも多く、一言でも細かく説明している政党や、演説で少しでもそれについて語ろうとする候補者はいるだろうか。

 必要なのは、20代、30代、40代の利益代表になるような一つの巨大な政党ではない。給付の抑制をどこまで求めるか、保険料負担の軽減と増税が景気に与える影響のどちらを重視するか、医療・介護と子育て支援策のバランスをどう考えるか、などは世代が同じでも異なる。20代、30代、40代の有権者の異なる価値観や優先順位に応じた、選択肢が投票先として用意されることが理想だろう。

 その点、政党の数が増えることは流れの起点として悪いことではない。ソーシャルメディアなどを通じた政策の提示、政治家と有権者のコミュニケーションが今よりもさらに日常化し、いずれ公選法が改正されて選挙公示後もスマホやタブレットで候補者にコンタクトできるようになれば、地縁や利権のつながりとは別のリンクが生まれる。今までスルーされてきた層が数や形として政党の前に姿を現す環境は少なくとも整う。

 しかも今回は、年明けからの通常国会をはさんでわずか7カ月後に参議院選挙がある。選挙は「点」だが、実際の政治は「線」であり「面」だ。衆院選の結果がどうであれ、ねじれ状態が続く国会の主導権がどうシフトするかは来年7月の参院選にかかっている。今回の衆院選と次の参院選を一つのセットとしてとらえて、二つの国政選挙を通じて政党や政治家にメッセージを伝える機会と考えてもいい。

 もう少し時間軸を引き伸ばしてみれば、もとより今はまだ日本の政治が変わっていく過程のただ中にある。政権交代の代償は予想したより大きかったかもしれないが、そこで得たさまざまな教訓を次のステップに活かさない理由はない。政治主導の本質と官僚の職能。財源論なき改革がいかに意味をなさないか。何よりも国会の復権が必要なこと。ここで諦めてしまうのはもったいない。今回の衆院選は最初の一歩にすぎない。

 だからこそ、この大事な選挙で投票に行くべきなのか。そんなことは私の知ったことではない。政治の主役は一人ひとりの「自分」であってほかの誰でもないのだから。


<筆者紹介> 竹田圭吾(たけだ・けいご)。1964年生まれ。東京都中央区出身。ジャーナリスト。元『ニューズウィーク日本版』編集長。多数の情報テレビ番組に出演。