地中海沿岸に位置する港湾都市バルセロナ。

この街には世界に誇るべき素晴らしい観光スポットやサッカーチームが存在しています。

その中でもバルセロナを象徴する建築物と言えば、世界中の誰もが知っている教会「サグラダ・ファミリア」ではないでしょうか。

全世界から多くの観光客が訪れる「サグラダ・ファミリア」は、バルセロナが生んだ稀代の建築家「アントニ・ガウディ」の最高傑作とも呼ばれています。

今回はそんな世界的に有名な教会「サグラダ・ファミリア」の歴史と現代まで受け継がれている多くの人々の想いの歴史をご紹介したいと思います。

多くの方々がご存知のとおり、世界中の誰もが知っている教会「サグラダ・ファミリア」は、1882年の着工から数えて134年も経った今でも、まだ完成に至っていないという建築物です。

着工から数えて9代目の設計責任者ジョルディ・ファウリは、2013年にバルセロナが生んだ稀代の建築家「アントニ・ガウディ」の没後100年にあたる2026年に完成予定と発表し、世界に衝撃を与えました。

実はこの「サグラダ・ファミリア」、全て個人の寄付によって建設されています。その理由は、着工当時の1882年に民間団体「サン・ホセ・カトリック教会」が贖罪教会として計画したためです。

そのため、この計画がスタートした時に設計を引き受けた建築家フランシスコ・ビリャールは無償で設計を行いました。

ただ、着工がスタートするとフランシスコ・ビリャールと教会との間に認識の齟齬(そご)がうまれ、1年も経たずして「サグラダ・ファミリア」の初代建築家は辞任してしまいます。

そんな状況で就任した2代目の建築家こそ、バルセロナが生んだ稀代の建築家「アントニ・ガウディ」です。

以降、ガウディは設計をゼロから作り直し、自身が1926年に亡くなるまで、生涯を通しての仕事として「サグラダ・ファミリア」の設計・建築に取り組みます。

稀代の建築家「アントニ・ガウディ」はその設計スタイルも他の建築家とは異なっていました。

まず詳細な設計図が存在せず、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討し、設計・建築を行っていました。

ガウディの晩年である1918年は、第一次世界大戦が終結する年ですが、この頃からスペイン国内は右派と左派の対立が激化し、さらにカタルーニャやバスクなどの地方独立の動きが加わって、スペイン国内に長い間、政治的混乱が続きます。

その混乱がスペイン国内で大爆発するのが、ガウディの死後10年が経った1936年。

この年、人民戦線政府に対して軍部が蜂起するというクーデターが勃発。

政府側はソ連と国際義勇軍の支援を受け、軍部はドイツ・イタリアと右翼勢力の支援を受け、国内は内乱状態に突入します。

このスペイン内戦によって、フランコ将軍の独裁体制がスタートし、その体制は実に1975年まで継続する事になります。

そんなスペイン内戦によって「サグラダ・ファミリア」に悲劇が起きます。

それが、「サグラダ・ファミリア」の設計につかわれていた大型模型や、紐と錘を用いた実験道具などの破壊です。

あのパブロ・ピカソの「ゲルニカ」にも描かれている通り、大規模な空襲もあったスペイン内戦によって、「サグラダ・ファミリア」の建築の根幹をなす設計資料はこの世から消失してしまいます。

すでにこの世を去ってしまったガウディの構想通りとはならないため、当時は「サグラダ・ファミリア」の建設そのものを継続すべきではない、という意見もあったそうですが、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残されたわずかな資料を元に、「サグラダ・ファミリア」の代々の建築家がガウディの設計構想を解釈して建築を継続する、という形で、で現在も建設が進められています。

1980年代に予想された約300年という建築期間は、その後の技術革新によって大幅に縮むこととなり、9代目の設計責任者ジョルディ・ファウリは、2013年に「アントニ・ガウディ」の没後100年にあたる2026年を完成予定と発表することになるのです。

完成までに9人もの設計責任者を擁し、スペインの内戦と2度の世界大戦を経て、あと10年ほどで完成を迎えるバルセロナが誇る「サグラダ・ファミリア」。

着工から140年以上の時を経て、多くの人々の想いが形となる、その時は、スペインのバルセロナを訪れて、この世紀の大建築を実際に体験してみてはいかがでしょうか。

きっと人間の可能性が無限である事を感じる事ができるに違いありません。

そして、その世紀の大建築に、ガウディの最も大切にしてきた「自然」そのものを感じる事ができるに違いありません。