<横浜のココがキニナル!>

元町や山手周辺には超豪邸がたくさんありますが、そこにはどんな人がすんでいるのか気になります!!元々家柄がよく代々住んでいるのか、お金持ちが引っ越してくるのか等々調査お願いします!!(りうさん)

<調査結果>

山手町周辺は歴史的な背景により80年ほど前から住宅地となり比較的新しく越してきた人が多く事業で成功した人が住んでいる。数億円の豪邸にも突撃


とある昼下がり。編集部・ヤマギシと打ち合わせをしていた時のこと。

「カメちゃんさぁ。豪邸に住んでいる人ってどんなイメージ?」という唐突な質問にライター・カメイは真顔で答える。

「そうですねぇ・・・ガラス張りの部屋で夜景を見ながら、見たこともないサイズのグラスで赤ワインをくるくるしているイメージでしょうか」

「それは、ゆうたろう(芸人)のことだね」

と、おとぼけをかましてはみたが、そもそも豪邸ってどんな家のことを言うのか辞書で調べてみることに。


豪邸ってお城みたいなイメージもある(フリー画像)


豪邸とは、「贅沢に金をかけたと見られる立派な邸宅」(『新明解国語辞典第七版』より)のこと。単なる広くて、庭付きの一軒家ではなく、「贅沢である」と感じさせる要素がなければ豪邸とは言えないのだ。

そして、横浜市内の「豪邸」と言えば、山手・元町エリア。偵察にとどまらず、豪邸の内部をみせてもらい、あわよくば持ち主の年収も知りたいよね!と(とくにヤマギシが)大盛り上がり。最後までお付き合いいただきたい。



山手町で豪邸探しスタート



高級住宅街であるということは、それとなく知ってはいるが、実際どんなお宅があるのか・・・まずは周辺を調査してみることに。


元町公園周辺をブラブラ


どん


どん


どどん!


やはり、そんじょそこらの住宅地とは訳が違う。こだわって、こだわって、こだわり抜いた邸宅がたくさんある。そして、どのお宅も良い意味で生活感がなく、山手町ならではの景観を意識しているようだった。(もちろん洗濯物もない!)

山手町エリアは、外国人居留地だったこともあり、ヨーロッパのような街並みが広がっている。


こういう分岐点なども、とても外国チック


高い建物がないので、街全体が落ち着いた雰囲気があって、見晴らしがよく開放的だ。大型トラックもなるべく通らないようにしているのか、とにかく静か。学校もあるので、子どもたちも多く、子育て世代も住居を構えているようだ。



山手東部町内会会長を訪ねる



街並みを見て、会社経営者をはじめ医者、芸能人など、収入の良い人たちが住んでいるのだろうということを予測。そこで、実際にはどうなのか、山手東部町内会に問い合せ、住民についてだけではなく、街全体の歴史についても話を伺うことにした。


30年前から住んでいるという山手東部町内会会長の斉藤秋造(さいとう・あきぞう)さん


食品会社の経営者をしながら、休みの日はシティガイドのボランティアを30年以上勤め、地域の民生委員もこなしているというスーパーマンだ。


最難関のかながわ検定1級取得者でもある


「この土地を購入したのは40年ほど前ですが、当時から神奈川県で一番土地が高かったです。住宅地のみの平均地価の3倍近くはするのではないでしょうか」と斉藤さん。

確かに閑静で雰囲気の良い地域ではあるが「平均の3倍」の土地代を払ってまで住む魅力はどのようなところにあるのだろう。

「"いつかは山手町に”と横浜生まれの人なら一度は思うのではないでしょうか。私たちの若いころは“成功して山手町に住む”ことがステータスシンボルでした」とのこと。


山手町の歴史に関するエッセイも投稿している


続いて、「山手町は歴史を背負った町なのです」と山手の歴史をひも解いていく。

「1867(慶応3)年から1899(明治32)年まで、山手エリアは外国人居留地として、25万坪が開かれ、日本人が入れないように境界線を張っていたのです」

ここは小さなヨーロッパ・アメリカとして、外国人がたくさん住んでいるエリアだった。


移設された居留地境界の名残


居留地廃止後、日本人も住めるように変わったのだが、外国人の多さとエキゾチックな街並みが合わず、住む人はなかなか現れなかったそう。

「やがて1923(大正12)年関東大震災が起こり、洋館が次々崩れていきました。災害に恐れを抱いた外国人はみんな母国に帰っていったのです。住む人がいなくなってしまった山手町は、すっかり廃墟に近い状態になってしまったと言われています」

すっかり外国人がいなくなってしまい、山手の街並みはどんどんさびれていってしまった。その様子を見た市民が「せっかく緑が豊かで街並みもエキゾチックで美しい。このままの姿で後世に残していきたい」と発起し、徐々に日本人が住み始め、現在は「いつかは住みたい」と憧れの町の一つとなった。


1953(昭和28)年ごろ、山手本通り(提供:生駒實氏)


英語版の入会案内も作成している


山手町は現在人口約5000人のうち、15%は外国人。駐在員や中華街で成功を収めた人などが住んでいるそうだ。さらに、主に高齢化や代替わりなどの理由で毎年10%の入転居があるそうで、新しい人も増えているという。斉藤さん自身は3代以上横浜に住んでいるそうだが、ここに住んだのは斉藤さんの代がはじめて。歴史的な背景もあり、山手町周辺では「代々住んでいる」というより長くても2代目、というような印象だ。

また、風致地区に指定されており、建坪率40%、容積60%、高さ制限は10メートルまで、という制限があるので、3階以上のマンションなども建てづらく、「この町に住みたい、この町が好き」と思っている人ではないとクリアできない問題もあるようだ。

インタビューも終盤にさしかかり、あの質問を仕掛ける。ずばり、みなさんの年収はいくらですかと。


うーん・・・


「住民の方の年収はもちろん存じ上げませんし、私の年収も申し上げられません。山手町にお住いの方は、会社をご自身で経営されている方が多いですし、地価も神奈川県平均(住宅地のみ)の3倍はありますのでね」

と、もちろん言えないということは承知の上で伺っているが、想像を軽く飛び越えるくらいの年収であることは間違いなさそう。

ちなみに国土交通省の地価公示システムを参照すると、2016(平成28)年度の山手町の公示地価は55万3000円/平方メートルだった。仮に150 平方メートルとして、土地代だけで8295万円。これに趣向を凝らした注文住宅を建てたらきっと3〜4億円にはなりそうだ。


いよいよ訪問!こだわりつくされた美しい豪邸とは・・・キニナル続きは次のページ≫