広島の黒田博樹が引退を発表した。「男気」人気でマツダスタジアム初の年間指定席完売を実現するなど今の「カープ人気」を揺るぎないものにした”剛腕”は、メジャー7シーズンと合わせて20年のシーズンの最後を日本シリーズ初登板という形で終結させる。

ひろスポ!では入団以来、ずっと追いかけてきたその日々の中から、大きな転機となった「一日」をいくつか紹介して「黒田引退」の意味をもう一度、考えてみる。


2004年8月3日・広島市民球場、広島対阪神戦
#1瑠璃の数珠(剛腕・黒田vs鉄人・金本)

泣いていた。ひと目をはばからず、タオルで顔を覆って…

この夏、アテネで長嶋ジャパンのキーマンとなる鋼(はがね)の右腕を持つ男が、平成の鉄人との対決に完敗、プロ8年目で味わう最大の屈辱に耐えきれないでいた。

チームはまさかの5連敗。V戦線はその視界の遥か彼方に消えていった。

「とうぶん、きょうの悔しさは忘れないと思うし、またすぐに…、オリンピックといわずあすにでもすぐに投げたい、という気持ちはあります」

でも、それはかなわぬ願いだった。

黒田はあす、日本代表の一員として広島を離れる。それでも、そう言わずにはいられなかった。「自分に対してすごく腹立たしい」そんな夜になった。

七回、代打を打診され「続投」を志願した。八回も3人で片づけた。完封勝利まであとアウト3つ。リードはわずかに1点。大時計の針は午後9時13分を指していた。

先頭の片岡にヒットを許し、ここで迎えるは手負いの金本。ここが勝負の分かれ目となった。

この日、第1打席では右手一本でレフトフェンスぎりぎりまで運ばれていた。さらに第2打席は左翼線二塁打。第3打席も左前打。5日前、中日・岩瀬の高速スライダーを左手首に受けたはずなのに、平成の鉄人はハンディをハンディとしない”フルスイング”で挑んできた。

デッドボールの瞬間、その手首に巻かれていた「るり」の数珠がバラバラに吹き飛んだという。その3日後には連続フルイニング出場日本新記録を樹立した。黒田対金本、投と打の大将戦だった。

九回、金本の第4打席、初球は144キロのストレート。次の瞬間、またしても信じられないような光景がファンの目に飛び込んできた。

快音とともに弾き出された打球はライトポールの遥か上を通過した。わずかにファウル…

この時、金本はチームメイトの軽量バットを使っていた。いつもの愛用のバットであったなら逆転弾になっていた可能性が高い。

この一撃で黒田の気持ちに変化があったことは容易に察することができる。2球目はベース手前でワンバンドした。3球目。見事にライト前に打ち返された。

そのあと、四球と犠牲フライであっさり同点にされると、二死から連打されて計4点を失った。やっと3つ目のアウトを取った時には午後9時45分を回っていた。


3年連続二桁勝利をマークしてエースに君臨する黒田にとって、わずか7勝に終わったこの年は、屈辱にまみれたシーズンになった。

そして翌2005年、15勝をマークして最多勝利投手のタイトルを獲得。同時に44本塁打の新井貴浩もホームラン王に輝いた。

だが、山本浩二監督5年目のこの年、チームは最下位に沈み、バトンは1975年のジョー・ルーツ以来となる外国人監督、マーティ・ブラウンへと引き継がれた。

※この連載は「赤ゴジラの逆襲」(田辺一球著)と、公式携帯サイト「田辺一球広島魂」コラムの連載に加筆したものです。

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