「梨園の妻」として、歌舞伎俳優・8代目中村芝翫(51)と同時襲名した3人の息子たちを支えながら芸能活動を続ける女優・三田寛子(50)が、このほど初の自叙伝「銀婚式」(中央公論新社、1512円)を出版した。アイドル歌手を経て、名門・成駒屋に嫁ぎ、母として、裏方として奔走してきた日々。初めて明かす半生の秘話からは、テレビで見せてきた「おっとりした天然キャラ」とは、ひと味違った芯の強さが見える。(甲斐 毅彦)

 空前のアイドルブームを巻き起こした1982年歌手デビューの「花の82年組」の一人。デビュー当時、物静かだった清純派美少女は、やがてトレンディードラマやバラエティー番組でその才能を開花させた。そして、気がつけば人生折り返し地点。まもなく51歳の誕生日を迎えようとしている。

 「50年間も私生きてきたのかなあって(笑い)。全然実感がないんです。昨年は結婚25周年で銀婚式を迎え、夫と息子たち4人が同時襲名しました。これまで振り返らずに一生懸命、前だけを向いて歩いてきたけど、この大きな節目を機に一回立ち止まって、自分の人生を振り返り、活字にしてみたいな、と思いました。果たして皆さんに伝わるかな、という不安はありますけど…」

 古風な京都の家庭に生まれ、比較的厳しいしつけを受けて育った。内弁慶で人前に出ることは好まぬ性格。そんな少女が、芸能界に憧れ、15歳で上京するまでの経緯をつぶさに語ったのは初めてだ。

 「アイドル時代は、あまり自分の生い立ちとかの話はしないように、というのが当時の事務所の方針でした。ファンの夢を広げるのが芸能の役割ですし、自分でもあまり気にも留めませんでした。一つ転機になったのは、母を亡くした時(2008年)。自分が歩んできた人生を考えたのは、それが初めてだったような気がします。それだけ自分にとって大きな存在だったんでしょうね」

 駆け出しのアイドル時代、結婚、出産、子育てと記憶をたどりつつ、執筆するという初めての体験は、新たな自分の発見でもあった。

 「家族、友達、仕事のスタッフ…みんなが影響を与えてくれることによって、自分の人生が味わい深く彩られているんだな、ということを知りましたし、私はすごく人間が好きなんだな、と思いました。母もしかり、女優の先輩方もしかりですが、憧れていた人に一歩でも近づきたいという思いで、自分なりに頑張ってきたと思います。同じように私も誰かの人生を彩る力になれるならば、とてもうれしいことですね」

 襲名披露直前の昨年9月には、夫の不倫報道があったが、妻は殺到した報道陣から逃げることなく笑顔を交えて対応。「芸事以外のことでお騒がせして、深く夫婦で反省しております」と自身の責任も含めて謝罪した姿勢が、むしろ好感度を高めた。「雨降って地固まる」とあくまで夫婦、家族の絆を確かめ合う機会と受け止めていたのだ。

 「(株を上げたと言われ)いや、とんでもないです。全然そんなことはないですし。夫婦のことというのは外から見てどうこうというのは分からないし、夫婦の幸せの形というのは、夫婦の数だけある。それを表現してみたところで表現として十分ではないと思うのであえて言いませんけど、夫婦って皆そういうものだと思います」。銀婚式のセレモニーは「もともと主人はサプライズとかアニバーサリーが得意ではないタイプ。何もしないです(笑い)。今は器用になさる男性が多いけど、主人は照れ屋なんですかね」。

 17年は1月の大阪・松竹座、6月の福岡・博多座、12月に京都・南座と襲名披露興行に追われる。多忙な中でも、新たに英会話と手話にチャレンジする計画。20年東京五輪・パラリンピックまでに、歌舞伎を伝えるコミュニケーション能力を広げていく考えだ。

 「人生の折り返しを過ぎ、第二の人生の幕が開けました。今までのようにやみくもに前だけを向いているのではなく、人生の景色の移ろいに目を向ける余裕が持ちたいものです。人生の秋から冬へ向けて、より味わい深い人生を歩んでいければいいな、と思っています」

 ◆三田 寛子 (みた・ひろこ)1966年1月27日、京都市生まれ。50歳。81年「2年B組仙八先生」でドラマデビュー。82年「駆けてきた処女(おとめ)」で歌手デビュー。バラエティー番組やドラマやCM、舞台、映画などで活躍。91年に3代目中村橋之助と結婚。16年10月、夫が8代目中村芝翫を襲名、同時に長男・国生が4代目中村橋之助、次男・宗生が3代目中村福之助、三男・宜生が4代目中村歌之助の襲名を発表。