「トキワ荘」がよみがえる―。東京都豊島区は、手塚治虫さんや赤塚不二夫さんら大物漫画家が若手時代を過ごしたアパートとして知られた「トキワ荘」を復元し、2020年に開設する計画を進めている。

 取り壊された建物の外観は当時のままに再現、手書き原稿の複製や資料などを展示する予定。高野之夫区長(79)は、トキワ荘を日本の漫画文化の発信拠点として、20年東京五輪・パラリンピックに向けて国内外の観光客を呼び込みたい考えだ。

 トキワ荘が復元されるのは、かつて建てられていた場所から徒歩3分ほどにある豊島区の南長崎花咲公園内。建物の面積は約220平方メートルで延べ床面積は約420平方メートル。区ではトキワ荘に住んでいた水野英子さんや山内ジョージさん、鈴木伸一さん、解体請け負い業者らにヒアリング調査を行い、地域住民らへのアンケート調査も行って、精密な復元図を作成した。

 計画では、建物内部は手塚さんらの部屋を再現、当時の原稿の複製や資料などを展示して「マンガ・アニメミュージアム」として整備する。2017年度内に基本・実施・設計計画を作り、18年から建築を開始、20年3月オープンを目指す。建築費用は、「2〜3億円」を予定する。

 トキワ荘は木造2階建てで、漫画家たちは1950年代〜60年代初め、2階に並んだ4畳半部屋に住んだ。手塚さんの入居をきっかけに、赤塚さん、藤子不二雄の2人、石ノ森章太郎さんらが次々と入り、交流を重ねつつ、切磋琢磨(せっさたくま)するようにヒット作品を描いた。トイレ共同で風呂なし。老朽化のため82年に取り壊され、跡地には別の建物が立つ。藤子不二雄(A)さんの自伝的名作「まんが道」の舞台だったこともあり、取り壊れた後にも、跡地を一目見ようと訪れるファンが絶えなかった。

 高野区長は「漫画文化の原点はトキワ荘だった。貴重な文化遺産。復元することで漫画の聖地にして、町おこしにつなげたい」と話す。区では現在、荘があった南長崎地区に関係展示や漫画の閲覧ができる休憩・案内施設「トキワ荘通りお休み処」を開設。周辺に漫画家のモニュメントを置いて地域振興を図っている。

 トキワ荘から始まった漫画文化の流れは、現在のアニメ文化につながっている。区では「池袋を日本一のアニメの聖地にする」と目標を掲げる。今年3月には、池袋で東京アニメアワードフェスティバルが開催される。20年までに池袋駅西口の豊島区旧庁舎跡地に8つの劇場をオープンさせ、世界的なアニメのイベントを行う計画もある。「トキワ荘と池袋で海外からの観光客も呼び込みたい」と高野区長は意気込んでいる。

 ◆トキワ荘 所在地は当時の東京都豊島区椎名町(現・南長崎)。棟上げが1952年12月で、翌年初めに完成し、手塚さんが住み始めたとみられる。82年12月解体。区の資料によると居住者、時期は―

 ▼14号室 手塚治虫さん=53年1月〜54年10月、藤子不二雄(A)さん=54年10月〜61年10月

 ▼15号室 藤子・F・不二雄さん=54年10月〜61年10月

 ▼16号室 赤塚不二夫さん=56年8月〜61年10月

 ▼17号室 石ノ森章太郎さん=56年5月〜61年12月

 ▼18号室 石ノ森さんが仕事部屋として借り、その後、山内ジョージさん=60〜62年

 ▼19号室 水野英子さん=58年3月〜10月

 ▼20号室 鈴木伸一さん=55年8月〜56年6月、森安なおやさん=56年2月〜12月(居候期含む)、よこたとくおさん=58〜61年

 ▼22号室 寺田ヒロオさん(リーダー的存在)=53年12月〜57年6月※すべて荘の2階

 トキワ荘跡地周辺には住人だった漫画家のモニュメントが点在する。豊島区トキワ荘通りお休み処の2階には、寺田ヒロオさんの部屋を忠実に再現したコーナーがある。荘の模型(50分の1スケール)も展示。跡地にはモニュメントもある。復元予定地の南長崎花咲公園(南長崎3丁目)にも記念碑がある。台座には入居していた10人の漫画家たちの自筆の似顔絵とサインが刻まれ、荘のブロンズ模型が乗っている。

 ゆかりの店なども残る。跡地の斜め向かいの「紫雲荘」には赤塚さんが仕事場として借りた部屋があった。現在、区の「活用プロジェクト」で漫画家志望者を公募し町ぐるみで支援している。「鈴木園」には赤塚さんが結婚を機に移り住んだ。トキワ荘通りの「松葉」は、住人の漫画家たちがよく利用した中華料理店。「まんが道」に実名で登場し、店内に色紙が飾られる。荘には電話がなく、漫画家たちは「落合電話局」前の公衆電話で編集者と連絡を取った。「子育地蔵尊」は、手塚さんの作品「トキワ荘物語」に登場。「鶴の湯」は漫画家たちがよく通い、疲れを癒やした銭湯だった。