きょうのコラム『時鐘』2017/03/2402:22何(なに)を聞(き)かれてもダンマリを決(き)め込(こ)む。口(くち)がきけず耳(みみ)も聞(き)こえぬふりをする。落語(らくご)「こんにゃく問答(もんどう)」の一場(いちば)面(めん)である寺(てら)のにわか住(じゅう)職(しょく)になったこんにゃく屋(や)が、旅(たび)の僧(そう)とちぐはぐな禅(ぜん)問答をするという一席(いっせき)。手土産(てみやげ)に「こんにゃく」を持参(じさん)した疑(うたが)いをかけられた渦(か)中(ちゅう)の人物(じんぶつ)は、きのうの国(こっ)会喚問(かいかんもん)で、ダンマリとは逆(ぎゃく)の立(た)て板(いた)に水(みず)のおしゃべりを続(つづ)けた。が、密室(みっしつ)での金(かね)のやりとりなど、水掛(みずか)け論(ろん)に終(お)わりそうな「証言(しょうげん)」ばかり。成分(せいぶん)の大半(たいはん)が水というこんにゃくみたいに、のらりくらりと、つかみどころのない問答が目立(めだ)った人(ひと)払(ばら)いした上(うえ)での金子(きんす)のやりとり、しばらく身(み)を隠(かく)せというその筋(すじ)からのお達(たっ)し。時代劇(じだいげき)の「エチゴ屋」が顔を出しそうな話(はなし)も出(で)て耳(みみ)をそばだてた。が、疑惑解明(ぎわくかいめい)をもくろむ喚問が、真相(しんそう)は深(ふか)い薮(やぶ)の中(なか)に放(ほう)り込(こ)まれてしまったかという思(おも)いがぬぐえない問答とは、難(むずか)しいものである。果(は)たして、どこまで本当(ほんとう)なのか。たっぷりのツバを眉(まゆ)に塗(ぬ)り重(かさ)ねながら、国会中継(こっかいちゅうけい)を眺(なが)めた落語の問答は、笑(わら)いと共(とも)にストンと落(お)ちるが、それとは逆(ぎゃく)の後味(あとあじ)の悪(わる)い「こんにゃく問答」もある。