どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は「Children of Japan」というUS National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)のウェブサイト(※リンクは元記事にて)にて公開されている白黒フィルムを取り上げました。

■この記事の完全版(映像と全キャプチャ画像付き)は、ページ下部【関連記事】の(元記事)からご覧いただけます。

ERPI Classroom Films, Inc.という、アメリカの映像教材を制作する会社の作品で、アメリカの児童に世界各国の文化を紹介するというシリーズの一環のようです。US National Archivesによると公開は1941年(昭和16年)とのこと。映像には英語のナレーションが入っています。

子供たちの通学風景が捉えられていきます。まずは田んぼのあぜ道を行く5人組です。なんというのどかさ。

さらには山道を上がっていきます。雨の日は大変そうですね。

ランドセルを背負っている子供たちもいます。ランドセルメーカーの「中村鞄製作所のHP(※リンクは元記事にて)」によると、「戦前の皮製ランドセルは贅沢な高級品」だったそうです。

茶摘みが行われている畑も通過します。時期は初夏から夏にかけてのようです。

こちらは漁村近くの通学風景(さすがに別の子供たちです)。

煙突からモクモクと煙が出ている工場の町の通学風景も。アメリカの子供たちに、日本にもいろいろな町や村があるんだよと伝えるためのカットでしょうか。



と、以上が前振りで、ここからは、この手の異国文化を紹介する映像に大抵登場する、モデル家族のヤマダさん一家の出番となります。家族は、お父さん、お母さんと…お兄さんのタロウさん、妹のユキコさん、おばあさんと次男の“ボッチャン”だそうです(名前ではないんですが…)。おばあさんは、ボッチャンのお茶を冷ましてあげようとしています。



さて出発です。タロウさんもユキコさんも奇麗なランドセルを背負ってます。

お母さんは「いってらっしゃい」と手を振ってお見送り。微笑ましい光景です。それにしてもお母さん、お美しい。



通勤・通学途中の町の様子です。木製の電柱が短い間隔で立ち並んでいます。

この建物は郵便局のようで、タロウさんだけ一人、手紙を出しに中に入っていきます。その間、お父さんとユキコさんは車道を眺めていますが、オート三輪や路面電車、円タクのような自動車やトラックなどが行き交い、結構な交通量があります。

やがてヤマダさん親子は、ある建物の中へ入っていきます。国有鉄道の駅です。学ランのような格好をしていたお父さんは、鉄道員だったんですね。子供たちは脱帽し、深々とお辞儀をして「さようなら」をします。

こちらがお父さんのオフィス。窓から見えるホームには、そこそこ人が待っています。電話が鳴り、受話器を取ると、間髪をいれずに電車の到着アナウンスのようなことを読み上げるお父さん。ちょっと理解のしづらいシーンです。



タロウさんとユキコさんは、学校に到着です。お父さんの職場は、通学路の途中だったんでしょうか。先生がたにも、脱帽して深々とお辞儀。下駄箱で靴を脱ぐところでは、きっとアメリカの子供たちは首を傾げていたことでしょう。

国語の授業が始まり、教科書の朗読の指名を受けるタロウさん。教科書の内容もばっちり映っています。混雑した電車におばあさんが乗ってきて、さあどうするというような内容でしょうか。

ユキコさんも同様に朗読の指名を受けます。ユキコさんが読んでいるのは、夏休みの絵日記のような内容で、挿絵にはラジオ体操のような光景が描かれています。



映像はヤマダ家に戻ります。ナレーションでは”メイド”が豆腐を買っていますとの紹介。ヤマダ家には家政婦さんもいるようです。

一方でお母さんは、ナレーションが「日本の家事で一番重要なものの一つ」いう、生花をしています。初耳です。

おばあさんは新しい着物を縫いながら、ボッチャンをあやしています。

そして、お母さんは完成させた生花を神棚に供えています。普通は榊を供えますが…。



場面はお父さんの職場に切り替わります。ナレーションでは「トウキョウエクスプレス」がやって来ますとのこと。お父さんは急行電車が時間通りに通過していくか確認しているようです。

鉄道の運行状況についての報告書の宛名書きをしているところだそうです。東海道本線の沼津駅長宛に書いているようです。「トウキョウエクスプレス」は東海道本線だったようです。先ほど使っていた電話での報告ではだめなのでしょうか。

その頃、タロウさんたちも習字の授業のようです。お父さんのようにはうまくできません、とナレーション。書いていたのは「大日本(未完成ですが)」。



時間は飛んで、お休みの日。ユキコさんは絹の着物でおめかししています。家族全員でお祭りに出掛けるようです。お手伝いさんを残してですが。

出掛けたのはお花見のよう。冒頭の茶摘みの頃とは時期が違うようです。富士山をバックに美しい光景が広がります。

このきらびやかさを見ると、撮影されたのは1941年(昭和16年)よりもう少し前のことなのかと思われます。1941年は12月に太平洋戦争が始まる年でもあり、日中戦争も長期化し、贅沢ができなくなっている時代でした。

お父さんは趣味のカメラで桜を撮影。「桜は毎年数日しか咲かない貴重なもの」とナレーション。

花見を終え、神社でお参りした後にヤマダさん一家が立ち寄ったのは…紙芝居でした。映像の8:03頃から、だみ声で読み聞かせる紙芝居師の声が15秒ほど収められています。子供たちも、こののめり込みよう。

お祭りの最後は、みんなで綿菓子を購入。本当に楽しそう。



続いては、ヤマダ家の夕飯の様子です。家政婦さんは一歩下がって家族のご飯をよそっています。お母さんは専業主婦でおばあさんも同居なのに…とケチをつけるのはやめておきます。

こちらが夕飯の内容です。ナレーションによると、肉、刺身、調理された野菜各種と白米だそう。家政婦さんは、台所でもしご飯が足りなかった場合のため、もう一度炊飯をしているのだそう。

家政婦さんは、もう一つ仕事を思い出し台所を出て行きます。風呂焚きの炭を投入します。一番風呂はタロウさん単独です。兄弟と一緒に入らないとお湯がもったいない、と思ってしまった貧乏性の著者ですが、きっと撮影のためでしょう。

寝床を支度するお母さんと家政婦さん。これはお母さんもやるのですね。お父さんは夕刊紙を読みながら一服タイム。

子供たちが就寝して(目がシバシバしてますが)、映像は終了します。



日本人としては、ツッコミを入れたくなる箇所もいくつかありましたが、太平洋戦争開戦以前の日本の様子がいろいろ垣間見られ貴重な映像でした。割愛したシーンもいくつかありますので、10分30秒ほどの短い映像ですから、お時間が許せばぜひご覧ください。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)