士大夫の没落


 北方の異民族の金国が皇帝を掠って、北宋が滅亡。1127年、帝弟が南京市に南宋を再興。天才的な博学で科挙を通った宰相の秦檜(しんかい、1091〜1155)が軍閥主戦派を強引に排除し、42年、金国への服属という屈辱的条件ながら和平を実現。しかし、これによって南宋はこれまでの莫大な軍事負担を除くことができ、民間経済は劇的に回復した。


 税補足されないような都市部の零細民間経済の発展で、政治的な免税特権に依拠していた地方の士大夫(地主商人官僚)の社会的地位は相対的に押し下げられた。とくに旧法残党の士大夫たちは、北宋滅亡の原因は新法であり、秦檜は売国奴である、と批判したために、軍閥主戦派とともに弾圧されるところとなった。


 その中心となったのが、朱子(1130〜1200)。ぎりぎりの成績で科挙に通ったものの、最初から地方の帳簿係に飛ばされ、早くも30歳で体調不良を理由に薄給名目職となって、故郷の崇安(武夷山市、福州市南昌市の間の山奥)の紫陽書院に下がり、学問に打ち込んだ。おりしも秦檜が死去した直後でもあり、朱子は、旧法残党士大夫の巻き返しの期待を一身に集めることとなった。


 朱子学の根底にあるのは、主流派の新学新法に対する思想的・政治的な批判である。王安石(1021〜86)の新学は、周王朝の理想制度を論じた『周礼』(しゅらい)の斉民思想に基づく。彼は、『孟子』の万民性善説から、一国の下で万民はみな等しくあるべきである、とした。しかし、これは同時に、特権的な士大夫の存在を根底から否定するものでもあった。そして、実際、抑強扶弱を旨とする彼の新法の下で、中小の個人の農家や商人が大量急激に成長し、北宋の経済を劇的に隆盛させた。


 王安石の同時代の旧法洛党の司馬光(1019〜86)は、『孟子』を否定し、『礼記』(らいき、礼に関する論文集)の中の『大学』を取り上げ、その序の、天賦の才は等しくはありえない、だから世間に秀でた者が庶民を治め教えるべきだ、との節を引いて、王安石の斉民思想を批判し、士大夫の必要性を説いてはいる。


 しかし、『孟子』か、『大学』か、という古典同士の権威の争いでは、すれ違いで議論にならない。そこで、朱子は、『孟子』の言うように万民が等しく性善であるにしても、やはり『大学』の言うように人間には優劣があり、政治と社会を牽引するエリートの士大夫が必要である、と理論づけることが目標となった。



理気二元論


 一言で言えば、理屈と現実の違いだ。形而上と形而下、この二つの世界の違いを、朱子は古い陰陽五行説で説明した。すなわち、天、太虚(物質のない世界)なら、『易経』に説かれている陰陽の道理どおりになる。ところが、現実では、この道理を物質が担わなければならない。しかし、物質には木火土金水という五気の性質が乱れ混じっている。このために、現実は道理どおりにはならない。


 現実の物質は、木火土金水、五気の複雑な組み合わせでてきている。そこには、木生火、火生土、土生金、金生水、水生木と循環生成関係がある一方、木剋土、火剋金、土剋水、金剋木、水剋火の静止妨害関係があり、これらによって、陽の動と陰の静とが起こるが、これらの五気から生じる動や静は、かならずしも天の陰陽の波に沿うとはかぎらず、そこで事を荒立てることになってしまう。


 言ってみれば、理気二元論は、物理学(エネルギー論)と物性論(化学)の違い。もともと陰陽の二気は静動のエネルギーの話で、木火土金水の五行は物質の相性の話。計算上、図面上はうまくいくはずでも、実際の部品が熱で膨張すると、うまく動かない。キャリアや能力からすればA部長の補佐にB課長が適任だとしても、前にA部長とB課長が同じ女を争って大ケンカしたというような因縁があると、うまくいかない。


 しかし、現実以前に理論からして、陰陽論と五行論は、つながりが悪い。陰陽は孔子が信奉した『易経』の話だが、五行はむしろ道教の話。「理」の方が陰陽の二気で、「気」の方が木火土金水の五行なのも、うさんくさい。陽が濃縮して木や火が、陰が濃縮して水や金ができたが、老陽から老陰への反転の混乱で土になるので、木火土金水で循環する、とか、木火金水の変わり目ごとに中立的な土になる、とか、気の陰陽に現世の土が混ざることで木火金水になる、とか、かなりあいまい。おまけに、木火土金水のそれぞにも陰陽があって十干(じっかん)をなしており、陰陽から五行ができたとすると、火の陰(丁)、水の陽(壬)って、どういうこと? となってしまう。エネルギーから物質ができる、なんていうのは、現代の科学でも面倒なところ。


 たしかに五行は『書経』にも出てくるし、『孟子』も引用している。しかし、孔子では言及されておらず、『書経(尚書)』の「堯典」(中国最初の神帝の歴史)が作られたのが、せいぜい戦国時代(孔子より後、孟子よりは前)。となると、五行は、むしろ戦国時代のアイディア、それどころか、この時代、アレクサンドロス大王の東征でシルクロードが劇的に発達したので、ひょっとすると遠い古代ギリシアのアリストテレス(BC384〜22)のアイディアの可能性もある。



中正の敬であなたも天下取りの聖人になれる!


 さらにアリストテレス哲学(錬金術)と同様、朱子学は、体/用を区別する。体は潜在する性質(デュナミス)、用は内実ある現象(エネルゲイア)。抽象的な愛というのは体、具体的にだれだれが好きというのは用。現実の事物は、それぞれ、体として、あらかじめ理(類)の性と気(個)の性があり、用として、具体的に多様に発現してくる。しかし、この用が理から外れてしまうのは、理の性よりも気の性の複雑な干渉に引っ張られてしまっているから。たとえば、厳格で知られる裁判官でも、自分の息子の犯罪に刑を科すとなると、甘くなってしまいがち。


 そこで、朱子は、用が理から外れないためには、すでに体の段階で、気の性が理の性に合う(中正)ようにしておくべきだ、とする。この問題は、人間の場合に甚だしい。人間は、理の性としては性善であり、仁義礼智信の五常を持っており、これが四端の情(惻隠・羞悪・辞譲・是非)という用として発現するが、五気の性に惑わされると、陰陽の理の中正を外れて、欲に落ちる。そうならないためには、心身各部の気のばらばらな乱れを理の性に収斂する「敬」に徹していなければならない。


 「敬」は、具体的には『大学』に記された格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下の八条目のステップで修養できる、とされる。ところが、格物については『大学』に説明が無い。最初に『大学』を取り上げた司馬光は、物を格子で隔絶する、つまり、物欲を抑えることとしたが、朱子は、物に当たる、実際の事物を探求することであるとした。こう解釈した朱子の根拠ははなはだ怪しいが、とにかくこれで中国に自然科学、社会科学が生まれた。(といっても、朱子の言う事物の探求は、二次的な古典文献を知ることで、実証的な経験主義まではまだ遠い。それでも、具体的な事物に関する知見は劇的に増大した。)


 こうして八条目に努めるのは、『大学』の三綱領、明明徳・新民・止至善を実現するためである。明明徳とは、明徳を明らかにすること、格物・致知・誠意・正心・修身によって、明るい徳、理の性の模範を人々に示す。こうして、徳を斉家・治国・平天下と広げていくことによって、新民、民を新たにし、止至善、最上の善、つまり、理の状態を保ち続ける。『大学』の本文では「親民」なのだが、別の場所に「新民」というのがあるので、朱子はかってに、これは「新民」のまちがいなのだ、と決めつけた。もともと『大学』は王帝のために書かれたもので「親民」のままで正しかっただろうが、朱子のような名目職は自分の領民など持っていないので、話が合わず、気にくわなかったのだろう。


 いずれにせよ、朱子は、本来は王帝のために書かれた『大学』を、強引に読み替えることによって、だれでも「敬」に徹すれば、気の性(現実の低位や貧窮)に振り回されず、天の理を体現する聖人になることができ、その徳によって周囲の民衆をも感化して、家を興し、国を取り、天下を治めることになる、と説いた。いや、朱子によれば、知のエリートは、現世の五気の性に惑わされている愚かな人々の、ばらばらな世の乱れを、天の陰陽の理に収斂させるための核として、この世にぜひとも必要なのだ。そして、彼はこの自分の考えを、当時、市場に流通し始めた木版印刷で大量に頒布した。


 学べば誰でも聖人となって天下も取れる、などという、自己啓発の嚆矢のような朱子のアイディアは、市場経済で地位が相対的に低下して鬱屈としていた地方の士大夫たち、それどころか科挙にも受からず、経済発展にもかかわらず個人の中小の農家や商人としても芽が出ず、ただ無職貧乏にあえいでいるくせに天下取りの自信と野心だけは全身に煮えくりかえっている、劣等感と自尊心で屈折しまくった連中に爆発的に受け入れられた。しかし、我こそは天の理を体現する者なり、などという思い上がりの化け物みたいなのが、独善的に政治批判、社会批判をしまくるものだから、1195年の慶元党禁で偽学として禁止。それでも、現実の低位や貧窮をかってに無視して(朱子学は、そんな現実を無視するのが正しい、と言ってくれる)、学んだだけで聖人君子を気取れる朱子学の人気は衰えることはなかった。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大 阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)