(文:山本 尚毅)

「いま、ここ」に真剣に生きる。

 そのような当たり前の事実をアドラー心理学やマインドフルネスで説かれる。わかっちゃいるけど、実践できないのは、ついつい過去を悔やんだり、不確実な未来に思い悩むからである。一方で、リスクを出来るだけ最小化するために予測可能性を高め、テクノロジーが予見する世界像を理解・共有しながら、未来の解像度を高めようとする。そうして、現在と未来の間を行き来し、板挟みになり息苦しさを感じる。

 くよくよ思い悩む私たちを尻目に、世界には「いま、ここ」を生きている人たちがいる。アマゾンの少数民族ピダハンである。ピダハンの言語には、過去や未来を示す時制がきわめて限定的にしか存在しないのだ。未来や過去を含め、抽象的な概念を表現する言語はほとんど存在しない。

 そして、人類学者はしばしば、金銭的・物質的な側面では明らかに私たちの社会よりも貧しい社会に存在する異なる豊かさをに心動かされ、賞賛する。そこでは未来のために現在を手段化したり犠牲にすることなく、「いま、ここ」を生きている。そして、たいていの場合、資本主義経済、とくに新自由主義的な市場経済へのアンチテーゼを標榜する。

タンザニアでは「Living for Today」が一般的

 一方で、著者が長年調査してきたタンザニアの行商人マチンガは、これまでの人類学者が対象としてきた未開の民族や農村地域の住人と比べて、それほど遠い存在ではない。民族誌を読んでノスタルジックに浸るというより、資本主義経済で闘っている同志に励まされるように感じられる。